3.大阪市淀川区新高4の道標

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大阪市淀川区新高4丁目6 南東から北西への道の北東側にある新高公園の南西入口の西側に南西を正面に建つ
(R176号新高1交差点から北にに250mの四辻を西へ180m、正面が公園の北東入口、中を突っ切り60mで南西入口へ)
尖頭型角柱 149x18.5x18p(頂高9p)(基部4p高さに含む)(卍8x7x-0.2p)(指差像5.5x15x1p)
N34.733886 E135.479729


写真himg2793

写真himg2800

写真himg2732

写真himg2734

南西面
┌─――――――――――――――――――┐
│  ……   かんざき   大坂講中 │
│南(卍 左指差像)  中山      │
│       伊丹     講元福安 │
└―――――――――――――――――――┘
(卍の右に文字あり、読めない)

南東面
┌─――――――――――――――――――┐
│     ミ国 者つとり       │
│東 すぐ        乃セ     │
│     み乃勝尾寺         │
└―――――――――――――――――――┘
(「者乃」は仮名「はの」で「服部、能勢、箕面」か)

北東面
┌─――――――――――――――――――┐
│北 春ぐ 十三 十六丁 本庄 二十丁 │
└―――――――――――――――――――┘
(「春」は「す」、丁数は小さく書く)

北西面
┌─――――――――――――――――――┐
│明治四辛未年十月           │
│ 福泉山□春寺            │
└―――――――――――――――――――┘
(□は「巌」の様にも見えるが)


(明治四(辛未)年十月1日なら、1871年11月13日月曜日となる。)
(この道標の特徴は三面に東南北が記されている。これが案内先の方向と一致しないので、設置地点の方位が書かれ
 たものであろう。現実の方位とは45度ほどづれており、「南」が南西を向いて立っている。)
(現在公園中に建っている事と明治の地図では辻が無い点で移設であろうとし、元位置を検討してみる。
  北面の距離が最も確実とし最初に考えてみる。
 取り敢えず、淀川南の本庄から直線で20丁(2.18q)とすると野中南1丁目辺りが北限となり800mも離れた地点
 からの移設となり難しそうである。そこで、この本庄は渡しの北岸とすると川幅分の1丁程が北に延ばせるがこれ
 でも現在地からは遠すぎる。本庄への渡しを今の木川(新橋の渡があった)とすると現在地の近辺と出来そうだが、
 これは都合よすぎる解釈であろうか。
  東面に書かれた三国が「すぐ」とあるので西にあると考えると、当地からは東となる明治期の能勢街道に向かわ
 ず矛盾がでるので街道より東に置かれていたものとすると、十三16丁と本庄20丁の距離が逆転し不可である。
  南面の神崎と伊丹が西を指す様で、神崎川の南岸に出てその後西に進み神崎へ渡って後伊丹を目指すとするなら、
 これは同じ道を案内しても矛盾はない。
  西面の案内が無い点からは、東への道が無いか、畦道や路地程度とする。
  残念であるが、これらを満足する地点を探し得ないでいる。)
(西面の紀年部の「福泉山…春寺」と現在地の50m北にある黄檗宗の福泉寺とは別物であると思う。福泉寺のHPには
 享保の開山で当時は青雲山福泉庵と号したとあり、明治十三年第十代住職の記録にもその名が記されているとして
 おり、山号が現寺名と一致はするが別とした理由である。又、寺名が表に書かれず、願主になる事も無いとの考え
 である。下部に名前等があればまた別ではあるが。)
(ここで気が付いたのだが、道標が元位置のまま残っているとしたらどうなるか。公園にあるから移設の先入観を払
 い、一つだけ仮定を立てると上手く行きそうである。それは今の辻から直に南への道が有り、新高小学校の北西か
 ら十三市民病院の南東辻に行けたとする事です。現状では当道標から南には道の痕跡すらないが、明治の地図では
 小川が書かれている。多少なりとも土手状の畦道が有っても良さそうな気がする。もし、この南に流れる小川ある
 いはドブ沿いが歩行可能であれば、新高小学校北西からは地図上に残る道を辿るだけで淀川郵便局の西(役場跡)
 を十三とし1.8km、十三病院から東に能勢街道に出て木川南の堤防迄2.3kmとほぼ距離は満足出来る。都合よく地図
 を解釈したくはないがどうであろう。
  東面「すぐ三国…能勢」は西へ進み一見反対方向に見えるが、道標の20m西の辻を北に折れると道なりに三国
 へ出て、能勢街道に繋がり、東の村中を通り街道に出るより近道である。
  よって移設は無かったと結論したいが、北西の紀年銘側がよく見え、南東面の案内が見えにくいのは不合理で、
 今の北福泉寺への参道の西側に置かれていたとしたい。道幅分の近接移設。)

写真himg2806 写真himg2807 写真himg2808
【1.道標を北西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南西に望む
 左奥(北西)神崎へ  左側(北)新高公園  停止標識を左(南)に
 奥の四辻右、三国へ】  奥、村中からR176へ】  神戸線から十三駅へ】

写真himg2773 写真himg2795 写真himg2801
【4.道標北東面中部 【5.道標南西面上部拡大 【6.道標南東面上部
 「北すぐ」は画面上外  「卍」右横に何かある  「東 すぐ」は西を示す
 「…十三…」と読める】  左指差しは北西へ】  少し空けて行先二行】

写真himg2774 写真himg2797 写真himg2804
【7.道標北東面下部 【8.道標南西面中部拡大 【9.道標南東面下部
 「…十六丁 本」  「神崎」「中山」  「ミ国 者つとり」
 「本」はくずし字】  「伊丹」全て左へ】  「み乃勝尾寺」「乃せ」】

写真himg2776 写真himg2798 写真himg2751
【10.道標北東面最下部 【11.道標南西面下部拡大 【12.道標北西面上部
 「庄 二十丁」  「大坂講中」  右「明治四辛未年…」
 と読める】  「講元福安」と読める】  と読める】

写真himg2809 写真himg2758 写真himg2781
【13.北50m福泉寺を 【14.道標南西面下部 【15.道標北西面中部
 北に望む  「南」が南西を向く  左側「福泉山」
 ほぼ行止り】  45度右に廻されたか】  と読んだ】

写真himg2311
【16.大阪市淀川区の道標】
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