大阪市北区西天満4−12 梅新東交差点南80m三ツ辻南東部、新御堂降り口東歩道上に西を正面に建つ
角柱 185x39.5x39.5p(台石26x底辺68x65p)
N34.697374 E135.501962




西面
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│天満宮 是ヨリ東七丁 │
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南面
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│(移設銘板) │
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東面
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│ 壹丁目 │
│明治丗七年七月建之 老松町 貳丁目有志中│
│ 参丁目 │
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北面
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│左 天満天神社さんけい道 │
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(明治三十七年は、1904年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、216頁
『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では24頁)
(行先「天満天神」は言うまでもなく天神橋2丁目にある「大阪天満宮」で、此処からは東へ1kmである。南面には
建築や移設の経緯が書かれておりそれを信じると更に1丁遠くなり、距離に関しては「七丁」は少なすぎる。又、
老松町の建設であれば、西の曽根崎町に建てるよりも町の入口か町内に建てる方が理にかなっていると思うがどう
であろう。老松町は昭和52年まで東の1丁目から3丁目が有ったようで、二丁目の西端(現水晶橋から北へ)の
辻から八丁程で天神橋筋となり、この辺りなら「七丁」も許せるのではないか。)
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【1.道標を南に望む |
【2.道標を北東に望む |
【3.道標を南東に望む |
奥(南)淀屋橋へ |
左奥、梅新東交差点 |
左(東)天神さんへ |
左、老松通りへ】 |
道標後ろ右、天神へ】 |
右、御堂筋難波へ】 |
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【4.道標北面拡大 |
【5.道標西面拡大 |
【6.道標南面拡大 |
「左…さんけい道」 |
「天満宮…七丁」 |
「…西百米…」 |
今は「老松通り」】 |
天神へは1050m】 |
「今の御堂筋に建」】 |
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【7.道標東面上部 |
【8.道標東面下部 |
「明治丗七年七月」 |
「老松町、壹貳参」 |
1904年である】 |
と難しい字】 |
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【9.大阪市福島区の道標】 |
【10.大阪市北区の道標】 |
(移設銘板の内容)
この道しるべは、明治三十六年三月梅田停車場(大阪駅)
と大江橋の間に梅田新道が出来て、天満宮参詣道案内の
為ここより西百メートル、今の御堂筋角に建てられたもの
です。
昭和四十五年、新御堂筋の開通などで周辺の環境が著しく
変ったので、建立当時の主旨に則り、参詣者の便宜の為
昭和五十七年九月この地に移しました。
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