2.大阪市西区新町4の道標

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大阪市西区新町4−5−14 西区役所玄関南西前に南を正面に建つ
角柱 115x23.5x25.5p(上部欠損)
N34.676028 E135.485866


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南面
┌─――――――――――――――――――――┐
│  右  四ツ(橋) 新町        │
│南 すぐ ざこば 大淀 安治川      │
│  左  西口能渡 寺嶋 竹林寺     │
└―――――――――――――――――――――┘
(欠損部「橋」は『大阪の街道と道標』より)
(「ば」は変体仮名「者」に濁点、「能」は「の」)

東面
┌─――――――――――――――――――――┐
│  右  ざこば 大淀 安治川 天保山  │
│東 すぐ 西口の渡 寺嶋 木津川     │
│  左  瓶橋 幸町 前だれ嶋      │
└―――――――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――――――┐
│  右  ご□□び            │
│北 すぐ 堀江 あミ陀 木津 なんば 住吉│
│  左  四ツ橋 日本橋 天王寺     │
└―――――――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――――――┐
│  右  道頓堀 木津 なんば 住吉   │
│西 すぐ 四ツ橋 御城          │
│  左  新町 南御堂 堂嶋 天満    │
└―――――――――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、213頁)
(同書には「尼崎街道」の項の地図に関連して載るが、この道とは特に関係は無いものと思われる。webに幾つか
 「長堀川北岸の鰹座橋詰あたりと想像。建立年代は幕末期と考えられる。」とするものがあり、之を検討してみ
 よう。
  二面にある「四ツ橋」は今もほぼ変わらないと思われ、西面から「すぐ」とあるり、「四ツ橋の西にあったと
 考えられる。尚、四ツ橋は東西に炭屋橋、吉野屋橋、南北に上繋橋、下繋橋の四つの総称であろう。
 同じく西面の「左南御堂」から現御堂筋の東本願寺御堂より南にあった事になり、長堀通と見当を付けて、
 市立図書館デジタルアーカイブの弘化二年(1845)『弘化改正大坂細見図(大阪古地図集成第14図)』
 見ると次の様である。
  四ツ橋の西、吉野屋橋から長堀に架かる橋は他に7梁有った様でこの内の一つが鰹座橋である。東から順に
 1「宇和島橋」2「富田屋橋」3「問屋橋」4「白髪橋」5「鰹座橋」6「玉造橋」7「高橋」となる。
  鰹座橋なら、新町を狭義に採り遊郭域と解釈すると北では無く東に向かうこととなり、北と出来るのは東から
 「宇和島橋」「富田屋橋」「問屋橋」迄であろう。只、新町通りと解釈すれば鰹座橋以西でも問題は無い。
  寺嶋は現在の千代崎町に当る島で、弘化二年時点では今の長堀通は木津川で途切れており、舟渡で寺嶋に渡っ
 ていた様である。この図に渡しの名は載らないがこれが「西口の渡し」ではないか。
  竹林寺は西区本田1−9−3に今も有る様で、今の長堀通の木津川伯楽橋を西に渡り200m辺りになる。
  北面の「あミ陀」を和光寺阿弥陀池とするなら、直近の橋は「白髪橋(白カハシ)」となろう。北面の「右」
 に続く文字が読めない。「ござ部び」、「ご春いび」等に見えるが地名に心当たりが無く、他の面からすると、
 「西口の渡、寺嶋、木津川、竹林寺」等となろうが、別のものを書いたのであろう。
  西面の「南御堂」は「東本願寺御堂」と書かれており、北へ進んだなら立売堀を越えた後、東に進む道を案内
 する事にすれば、新町程近くないので問題はない。
  東面の「瓶(かめ)橋」は「鰹座橋」の筋を真っすぐ南に下り、堀江川に架る橋である。「幸町」は道頓堀を
 越えた南側一帯で「白髪橋」を除きどの橋からも直線で行き着く。「前だれ嶋」はWebに「『大坂大津波図』に
 前垂島(現、浪速区木津川1丁目)…」とする資料がありこれを信ずると道頓堀川の南であろう。
 「堀江」は長堀の南の北・南堀江とし、「なんば、木津、住吉」は当時の各村で幸町から南へ街道筋と思える。
  以上の様に「鰹座橋」の北詰説は「新町」を北に進む案内を除きほぼ満足する。
 尚、新町の大きさは国立国会図書館デジタルアーカイブ『攝津名所圖會』. [5]のコマ番号24の「新町傾城廓」
 の「新町橋の西方四丁(436m)をいふ」を参考にした。
  では「鰹座橋北詰」何処か。今は一本東の新なにわ筋の交差点に「鰹座橋」が残り、道標南に「鰹座跡」ある
 ことを見ればほぼ現在位置となるが、明治の地図では区役所すぐ東の筋が南北に真直ぐ通り、今もこの道が残っ
 ており、橋北詰の四辻
N34.675944 E135.486681
 現西区役所南東角辺りとしたい。欠損部の位置から辻の北西部に有ったとすれば70m東からの移設となろうか。
 長堀通りの東の白髪橋、西の玉造橋、の各交差点は移動していない様に見え、「なにわ筋」だけがやや東に付け
 替えられ「新なにわ筋」と呼ばれるようになったのかは知らない。

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 左奥(西)は木津川  右後ろ西区役所  奥(東)長堀通を心斎橋へ
 伯楽橋へ】  奥(北)新町通へ】  次の辻が道標元位置か】

写真himg3692 写真himg3678 写真himg3681 写真himg3686
【4.道標西面中部 【5.道標南面中部 【6.道標東面中部 【7.道標北面上部
 「右/すぐ/左」下に  「右四ツ…」は  「右ざこば」の  右端が読めない
 「道頓堀」から始まる】  「橋」が欠けたか】  「ば」は「者゛」】  「ご…」】

写真himg3693 写真himg3679 写真himg3682 写真himg3689
【8.道標西面下部 【9.道標南面下部 【10.道標東面下部 【11.道標北面下部
 中央「…御城…」は  「…新町…大淀…」  「…天保山…木津川」  二行「あミ陀」
 上町筋へを示すか】  「…竹林寺」とある】  「…前だれ橋」とある】  三行「日本橋」】

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【12.道標西面「道頓堀」部 【13.道標南面「寺嶋」部 【14.道標東面中部 【15.道標北面中右部
 「道」はくずし字で  『大阪の街道と道標』は  「西口の渡」  「ご??び」は
 「屋」の様に見える】  「寺島」としているか】  「の」は普通のかな】  「ご春以び」か】

写真himg3750 写真himg3703 写真himg3718 写真himg3727
【16.道標西面「堂嶋」部 【17.道標南面「西口」部 【18.道標東面下部 【19.道標北面下部
 前述書で「島」は  「西口能渡」一見「代」  「前だれ嶋」  前述書では
 「嶋」とした】  は「能」の変体仮名】  と読んだ】  「なんば」で終る】

写真himg2312
【20.大阪市福島区の道標】
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