2.大阪市中央区上町1の道標

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大阪市中央区上町1−8−4 国道308長堀通北側、玉造稲荷神社境内北側フェンス内に東を正面に建つ
尖頭型角柱 107x34x34p(頂高6p)
N34.675779 E135.524325


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東面
┌─――――――――――――┐
│  春ぐハ 京橋 八(軒)│
│右            │
│  丹しハ 安堂寺    │
└―――――――――――――┘
(「春、丹」は変体仮名「す、に」)
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

北面
┌─――――――――――――┐
│  なら 伊(勢)    │
│左            │
│  大師 免日      │
└―――――――――――――┘
(「免、日」変体仮名なら「め、ひ」か)
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

西面
┌─――――――――――――┐
│文政四年辛巳春二月建   │
└―――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘


(文政四(辛巳)年二月1日とすると、西暦1821年3月4日日曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、49
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(同書と一部異なる読み下しがある。北面の左側下部「鬼口」を「免日」とした。又、右側下「伊勢」とは思うが、
 「勢」の字の上部の左側の「土」から、右「丸」に移る部分の書き順が気に掛かる。
  では左側の行き先を検討してみよう。先ず「大師」は河内長野市大師町とすると、高野山方面と考えられるが、
 それほど大きな村であったかどうか。
 次に読みを「免日」としたが地名は心当たりがなく、変体仮名として「めひ」「めび」「めい」と読んでも、何処
 を指したかものか途方に暮れる。下に字が隠れていることを期待する。
  もし、前書が読んだように「鬼口」ではどうであろか。河内国絵図に現河内長野の南に錦部郡「鬼住村」があり、
 これとするなら方向は一致するのであるが「鬼」一字だけの一致で決めてよいものか、又案内先とするほど有名で
 あったかは分らない。
 尚、国立国会図書館デジタルアーカイブ『天保河内国絵図』で参照可能。)
(北面「左奈良、伊勢」を手掛かりに、東への暗峠越え奈良道を示すと考え、現在地より西60mの三ツ辻西部に立
 っていたとし、東面の「右、直、京橋」は右に曲がりそのまま直進(北進)し大坂城方面へ、「右、西、安堂寺」
 は右折後30mの三ツ辻で再び西折れし暗越奈良街道とする道を安堂寺橋へと受け取れ、案内に問題は無くなる。
 依って、中央区上町1−24−2
N34.675888 E135.523665
 辺りの三ツ辻西部に現在の向きのまま置かれていたとしたい。
  尚、「右、左」の文字にセメントの様なものが埋め込まれており、何度かの移設があったものと思われる。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(東)玉造駅へ  社基壇石垣左に  右側が暗越奈良街道
 右から二つ目当道標】  当道標が見える】  奥(西)安堂寺橋へ】

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【4.道標西面上部 【5.道標東面下部 【6.道標北面上部
 「文政四年」と  「京橋」は北へ  「なら」「大師」は
 くずさずに書く】  「安堂寺」は西へ】  間違いないであろう】

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【8.道標西面下部 【9.道標東面最下部 【10.道標北面下部
 「辛巳春二月」は  右側「橋 八」  右下「…伊勢」か
 「かのとみ春二月」】  迄は見えた】  左が難「免日」とした】

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【11.道標北面最下部 【12.「免日」のくずし字 【13.玉造稲荷を北東に望む
 左側「鬼口」とする  〇印「免日」とした  右(東)JR玉造駅へ
 資料があるのだが】  『くずし字用例辞典』より】  道標は北側で見えない】

写真himg2316
【14.大阪市東成区の道標】
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