1.大阪市天王寺区生玉町11の道標

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大阪市天王寺区生玉町11-8 生国魂神社北真言坂下り口の三ツ辻北西部、マンション入口北に東を正面に建つ
尖頭型角柱 149x24x18㎝(頂高約2㎝高さに含まず)
N34.665977 E135.512684


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東面
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│右 京道         │
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北面
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│天保十五年冬十月建之   │
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西面
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│左 御堂并さんくう道   │
└―――――――――――――┘

南面
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│(なし)         │
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(天保十五(甲辰)年十月1日とすると、西暦1844年11月10日日曜日となる。天保は12月1日まで。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、60頁
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には未記載)
(上書には地図に明記されず同一道標か判定し難いが、本文中の「天保5年」は、「十五年」の誤記と思われる。
 真言坂は天王寺七坂の一つで、唯一北向きの坂とされるので位置的にはこの道標と出来る。)
(行先を見ると「京」これは「京橋」方面とし東方か、「御堂」は南北二つあるが北西か、その下「さんくう」を
 「サンキュウ」とし「三休」三休橋か、何れも明確でないが、長堀に架かる三休橋を通り南御堂へと受け取れば、
 当地点から西へ出た後北へ南御堂、更には北御堂となる。市立図書館デジタルアーカイブの弘化二年(1845)
 『弘化改正大坂細見図(大阪古地図集成第14図)』を見ると当地点は辻ではなく北へ曲がるだけで道標の必要は
 無く、坂を下った三ツ辻か、生国魂神社北東角の三ツ辻の何方かが適するようで、現マンション敷地内にある事
 から真言坂下の三ツ辻の方が可能性が高いと思うが如何か。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南東に望む
 進入禁止標識左当道標  右、真言坂下ると  右奥(南)鳥居を潜り
 奥(西)松屋町筋へ】  突当りは三ツ辻】  生国魂神社へ】

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【4.道標東面拡大 【5.道標北面上部 【6.道標西面上部
 「右 京 道」  「天保十五年」  「左 御堂并…」
 大通りとは限らぬ】  とある】  御堂は南北有り】

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【7.道標を北西に望む 【8.道標北面下部 【9.道標西面下部
 頭頂部は尖頭型  「…冬十月建…」  「さんくう道」
 高さは測れず】  と読める】  「三休道」か】

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【10.大阪市天王寺区の道標】
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