5.大阪市天王寺区伶人町2の道標

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大阪市天王寺区伶人町2 谷町筋、府南税務署北東三ツ辻の南西部歩道上、西の清水寺への進入口に北を正面に建つ
角柱 139x29x29p(上部より24、52、75pで折損)(指差像10x18x0.5p)
N34.655752 E135.513555


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北面
┌─――――――――――――┐
│          是より│
│風除風天尊(右指差像)半丁│
└―――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――┐
│   大阪市南區日本橋  │
│寄附   瀧川つぎ    │
└―――――――――――――┘
(「橋」は異体字であろう)

南面
┌─――――――――――――┐
│子育地蔵尊        │
│    参詣道      │
└―――――――――――――┘
(上部欠損部「子」とした)

東面
┌─――――――――――――┐
│浪速           │
│  清水寺        │
│名所           │
└―――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では27頁))
(歩道を北から来て正面に見えるため北面を正面としたが、清水寺が主であれば東面が正面であろう。
  南面の子育て地蔵は言う迄もなく、北面の風天は十二天の中で西北を守護する神らしく、何れも清水寺内に有る
 様で、どの面をとっても清水寺への案内である。)
(寄附主の住所「南区日本橋」を中央区のhpから見ると「明治22年4月1日の市制施行にともない大阪市南区に編入」
 とあり、明治22(1889)年以降の建設となろう。)
(北面の「半丁(55m)」を厳密に採るともう一本西の辻に立っていた事に成ろうが、大正10年地図では、ほぼ現在
 の位置に広い道路が付けられ市電が走っている様子が見られ、参詣道の案内とするには今の位置の方が相応しいと
 考えられ元位置としたい。案内を短めに書くのは良くあり、破損のひどさも広い道に有った事を裏付けるとする。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北東に望む
 奥(南)天王寺駅へ  左(南)天王寺駅へ  奥(北)谷町九へ
 右、清水寺へ】  右、百mで清水坂へ】  左、清水坂上に寺標へ】

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【4.道標南面上部 【5.道標東面中部 【6.道標北面上部
 「子育地蔵尊」の  「清水寺」  「風除風天尊」は
 欠損「子」とした】  ここから西にある】  北西方位守護】

写真himg4089 写真himg4087 写真himg4080
【7.道標南面下部 【8.道標西面中部 【9.道標北面下部
 左下に小さく  「…南區日本橋」  右指差像下に
 「参詣道」とした】  旧字や異体字】  「是より半丁」】

写真himg4101 写真himg4102
【10.道標西一丁の清水坂 【11.清水寺西門の西の
 案内を西に望む  「たき道」石碑は
 左端、清水寺寺標】  道標とはしなかった】

写真himg2317
【12.大阪市天王寺区の道標】
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