3.大阪市天王寺区夕陽丘町1の道標

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大阪市天王寺区夕陽丘町1−1 谷町筋六万体交差点の南50m西側の太平寺、門を入りすぐ左前、東を正面に建つ
頭丸傘型付角柱 116x29x28p(頂高9p)(龕部40x25x-4p)(指差像13x23x-1p)
N34.659156 E135.514006


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東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│北                   │
│  大聖不動明王            │
│山                   │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│   是より壹丁   世話方      │
│(右指差像)ふどう明王 升葉屋為治(郎)│
│   さ可能うへ可ど  能登屋平(吉) │
│            嶋之内早(竹) │
└――――――――――――――――――――┘
(「可、能」は変体仮名「か、の」
 左の「ど」は「登」に濁点の仮名、「坂の上角」)

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│元治元甲子年五月建之          │
└――――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 是より一丁  世話方         │
│ ふ登う明王   平野屋重(吉)    │
│ 坂野上の角   乃 り (定)    │
│         瀬戸屋徳衆      │
└――――――――――――――――――――┘
(「登」は変体仮名、「不動明王」)
(「野」は変体仮名「の」、「坂の上角」)


(元治元(甲子)年五月1日なら、西暦1864年6月4日土曜日である。元治は2月20日改元。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、26頁)
(東面「北山不動明王」は太平寺のhpでも市指定文化財に登録と有る様に、太平寺を示すものとしてよいだろう。)
(上書に「下寺町三丁目松屋町筋、善龍寺前」としてあり、元は松屋町筋東側から口縄坂を少し登った。善龍寺門前
 辺りとすれば、南・北面の記述「一丁(109m)坂を上りその角」の太平寺と一致するが、人通りなどを考えると
 松屋町筋に建っていたほうが相応しいように思える。)
(世話人の名前の下部は前書と少し異なり、一部隠れているものもあり私なりの読みである事を断っておきます。)
(右指差し像は浮彫ではなく、手の回りを約1pほど掘り下げ仕上げてある。右が坂上を指す事から、この面が南面
 であったと思われ、元は180度回して辻の南東部に置かれていたと考えられ、これも松屋町筋説に有利となる。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北西に望む
 灯籠左に当道標  右奥、本堂へ  右、門を出て谷町筋
 左(南)四天王寺へ】  左端椿の右当道標】  背後に、境内社】

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【4.道標南面上部 【5.道標東面拡大 【6.道標北面上部左
 「ふ登う明…」  「北山大聖不動明王」  「さ可能うへ可ど」と
 「坂野上の角」】  は当寺を示す】  同じ表現を避ける】

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【7.道標南面下部 【8.道標上部を南西に望む 【9.道標北面下部
 中央「乃り定」は  左が東面  世話方の三名
 屋号であろうか】  右が北面となる】  左「嶋」は山が上に】

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【10.道標西面上部 【11.道標西面中部 【12.道標西面下部
 「元治元…」  「…甲子年…」  「五月建之」
 1864年である】  きのえね年】  と読める】

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【13.大阪市天王寺区の道標】
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