12.大阪市天王寺区茶臼山町1の道標

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大阪市天王寺区茶臼山町1−11 谷町筋西、堀越神社境内、東門門扉北に南を正面に建つ
尖頭型角柱 82x24x25(頂高2p)
N34.651495 E135.513525


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写真himg4621

写真himg4625

南面
┌─――――――――――――――┐
│    これよりひだりハ   │
│(梵字)           │
│       大坂みち    │
└―――――――――――――――┘
(梵字は「バク」釈迦如来の種子か)

東面
┌─――――――――――――――┐
│ これより右ハ        │
│  天王寺みち        │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│宝永二乙酉年 天王寺西    │
│         □兵衛   │
│ 八月十五日 今宮田中丁   │
│         七兵衛   │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ これより右ハ        │
│ すミよし さ可い      │
└―――――――――――――――┘
(「可」は変体仮名「か」「堺」か)


(宝永二(乙酉)年八月十五日は、西暦1705年10月2日金曜日である。この年閏四月あり。大阪市内最古とされる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、226
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載)
(御神職の方にお聞きした所、「昭和40年の谷町筋拡幅の折、神木と共に移設されたものではないか。元の位置は
 分りません。」との事であった。碑面の案内を見ると、境内に置かれる案内ではないので移設には違いない。
 元位置を考えてみると、東西の面から南北の筋に置かれる限り、天王寺より南でなければならない。今の天王寺は
 此処より南に成ってしまい問題に成らない為、この天王寺は「四天王寺」とする。次に南面「左、大坂」を何処と
 見なすか。一般的な「大坂城」とした場合は城より東に位置する事になりこの近辺では無くなる。
  そこで国立公文書館デジタルアーカイブの『元禄国絵図摂津国』を見ると、この辺りは「天王寺村」で、北西に
 「大坂町」と書かれており、これを「大坂」とすれば、東横堀川から西で、道頓堀から北の地域を目指す道を指示
 するものと考えてよい。残念ながら国絵図にはその道が書かれていないので、大阪市立図書館デジタルアーカイブ
 の絵図、元禄4(1691)年『新撰増補大坂大絵図(大阪古地図集成第4図)』を見ると、茶臼山が丸く描かれ、
 当神社は分からないものの神社北東角と想定できる三ツ辻があり、ここに置かれていれば、三面の要件は満たすこ
 とが可能である。
 大坂町への道順は、谷町筋を西に折れ茶臼山に突当り、これを北にグルと廻り込み一心寺の北の逢阪を下り、今宮
 の手前(現恵美須町)で日本橋筋を北に折れ、長町を過ぎて道頓堀川に架る日本橋を渡れば「大坂町」となる。
  依って、谷町筋の東の旧道の三ツ辻(現四辻)
N34.651632 E135.514114
 大阪市天王寺区大道1ー9辺りの東部に現在の向きのまま建っていたとしたい。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を東に望む
 門扉裏で見えない  生垣後は谷町筋  右、現JR天王寺駅へ
 左(西)本殿】  横は神木の由来】  左(北)四天王寺前へ】

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【4.道標西面上部 【5.道標南面上部 【6.道標東面右中部
 「これより右ハ」  「これよりひ…」  「…より右ハ」
 「すミよし さ」】  「大坂み…」】  と読める】

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【7.道標西面下部 【8.道標南面下部 【9.道標東面下部
 「右ハ」  「これよりひだりハ」  是より右はの続き
 「…さ可い」】  「大坂みち」とある】  「天王寺み…」とある】

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【10.道標北面右上部 【11.道標北面右中部 【12.道標北面左中部
 「宝永二乙…」  「八月…」  「十五日…」
 西暦1705年】  今の10月】  2日金曜日になる】

写真himg2317
【13.大阪市天王寺区の道標】
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