1.大阪市生野区桃谷2の道標

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大阪市生野区桃谷2−5−1 玉造筋の細工谷交差点から東310m、旧道が北へ分岐の辻の北東部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 151x26x28p(頂高4p)(〇印外径17p)(下から2pで折損)
N34.662188 E135.531137


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南面
┌─――――――――――――――――┐
│左 高津 いく玉 道とん本り   │
└―――――――――――――――――┘
(「本」は変体仮名「ほ」、「道頓堀」か)

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│     …人          │
│為釋淨圓…  俗名 うま     │
│     世話方 …田      │
└―――――――――――――――――┘
(俗名「うま」は「文吉」等かもしれない)

西面
┌─――――――――――――――――┐
│右  信貴山           │
│      〇寅待講       │
│すぐ いせ            │
└―――――――――――――――――┘
(〇は印様、中は「本」等の篆書か)


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、587
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、31頁)
(西面に有る「すぐ伊勢」の道が明治の地図では判然としないが、今里へ出て「暗越奈良街道」を指すであろうと想像
 し、「右信貴山」が平野に向かい「奈良街道」(国道25号相当)と理解すれば、ほぼ現在地点に置かれていて、東へ
 の道が直線状で、信貴山への道が右(南東か)に分岐する辻の形であったと思われる。
  南面「左、高津…」は西の細工谷に向かう一本道であったと思う。)
(北面は「為」以下読み難いが敢えて読んだ。特に俗名「うま」等女性名としても風変わりで、「文吉」にも見えるが
 どうであろう。誤りに気を付けて頂きたい。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を西に望む
 東、近鉄小路駅へ  道標の北面が見え  奥(西)細工谷交差点へ
 左も200mで新道へ】  これが裏面とした】  右手前へ旧道が続く】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標西面上部 【6.道標南面上部
 現辻でも90度回して  「右信貴山」  「左高津」
 置きたいと思うが】  「すぐいせ」とある】  は高津の宮か】

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【7.道標北面上部 【8.道標西面下部 【9.道標南面中部
 「為釋淨…」  「〇寅待講」  「いく玉」は
 と読める】  と読める】  生国魂神社かも】

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【10.道標北面上部 【11.道標西面〇部 【12.道標南面下部
 「淨圓」と読める  丸の中は「本」  「道とん本り」は
 戒名であろう】  の篆書か】  「道頓堀」でしょう】

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【13.道標北面中部 【14.道標北面中部 【15.道標北面中部右側
 「俗名」と読める  俗名の下、明部  「…人」か「…八」か
 俗がやや見難い】  「う」とした】  左「世話方」が切れる】

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【16.大阪市生野区の道標】
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