2.大阪市東成区東小橋1の距離標(道標では無いが丁石に順ずるか)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
大阪市東成区東小橋1−3−38 JR玉造駅北ガード東90mの五つ辻から南東へ分岐の旧道東側に北西を正面に建つ。
(平成の作で調査対象外であるが、旧碑が置き換えられた可能性もあり載せる。同様碑は他に何基か存在。)
角柱 98x25x25p
N34.674248 E135.534212


写真himg5409

写真himg5410

写真himg5411

写真himg5412

(北西面)
┌─―――――――――――――――┐
│暗越奈良街道          │
└――――――――――――――――┘

(南西面)
┌─―――――――――――――――┐
│平成八年 大阪市        │
└――――――――――――――――┘

(南東面)
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

(北東面)
┌─―――――――――――――――┐
│高麗橋元標から三・六キロメートル│
└――――――――――――――――┘


(平成八年は西暦1996年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(特徴として上面に「北」の文字と、方位を示す矢印が彫られている。)
(明治後半の資料に基づき、暗越奈良街道をアピールする為に作成されたものと思う。住民サービスの一環か。
  高麗橋起点ならば、中央区にも有って良さそうだが、熊野街道碑はあるものの、暗越奈良街道碑は見ないように
 思う。区によって温度差があるのか、沿線住民の意向等が関係するものであろうか。東成区の旧道は昔の面影がよ
 く感じられて何となく楽しい。今後も残ってほしいものである。)

写真himg5408 写真himg5415 写真himg5416
【1.距離標を南東に望む 【2.距離標を北に望む 【3.距離標を北西に望む
 左奥、玉津1交差点へ  後(東西)長堀通  左長堀通りを玉造駅へ
 右(南東)旧道へ】  旧道を顕彰する為か】  南北道が猫間川跡か】

写真himg5553 写真himg5568 写真himg5569
【4.東成消防署北の 【5.今里筋50m東の 【6.今里西之口公園の一本
 距離標を西に望む  距離標を東に望む  東の道の碑を南に望む
 4.6kmとある】  4.7kmとある】  4.9kmとある】

写真himg2316
【7.大阪市東成区の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ