3.大阪市東成区東小橋1の道標

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大阪市東成区東小橋1−4−3 玉造東商店会の赤舗装路に入り東へ90m道南側の祠中に東を正面に建つ
蒲鉾型角柱 65x27x22p(頂高3p)(『大阪の街道と道標』では高さ144とある。)
N34.674001 E135.535102


写真himg5433

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東面
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│(立像)  矢(田地蔵尊 是より東)        │
└――――――――――――――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

北面
┌─―――――――――――――――――――――――――┐
│従是三里松原一り余くら(がり峠一り余小瀬一り矢田山)│
└――――――――――――――――――――――――――┘
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

西面(壁面で見えず)
┌─―――――――――――――――――――――――――┐
│(不明)                      │
└――――――――――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――――――――――┐
│(なし)                      │
└――――――――――――――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、50
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載)
(『大阪の街道と道標』では高さを144としており、いわゆる地蔵では無く道標である。像は地蔵尊かも知れないが、
 道標として残して(全容が見える)欲しいものである。見えない部分に紀年銘や施主があるかも知れないし、横に
 有る解説碑の読み下しにも間違いが見受けられるように思う。)
(行先としては第一が「矢田地蔵」であろう。矢田寺のhpを見ると「矢田寺(矢田山・金剛山寺)、郡山西3.5km、
 矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、日本最古の延命地蔵菩薩を安置。」奈良県大和郡山市矢田町3549とあり、
 当道標が近世の作とした場合、暗峠越えが最短であろう。依ってこの道筋に置かれて問題はない。設置当時はどの
 向きに建てられていたかは分からないが、「すぐ」では無く「是より東」と有るらしいので西面では無かったと出
 来そうである。明治44年地図では当地は南への道がある三ツ辻として書かれており、普通ならば地蔵像を南面さ
 せて建てる事が多いが、そうすると現在の北面が東面になり、案内方向が正反対となり、南面は無理であろう。
  では、北面か現在の様に東面の何れであろうが、南への人通りは少ないと思われるため、地蔵は北面し主街道の
 通行人に向けられていたと考える。この時現北面が西面し、市内から東に向かう人には正面に見える。)
(北面の行き先はどうであろうか。読める範囲が限られているが、同書や祠前の解説碑を正しいものとして検討する。
 (但し、松原への距離は「二り」ではなく「三り」と刻されている。)
 松原から後の、暗峠から一里(4km)余、小瀬(生駒市)は良し、それから一里の、矢田山も問題は無いと思う。
 では、従是三里(12km)松原の松原は何処か、現東大阪市松原町に比定するなら8.8km(二里強)となり、二里
 と読みたいが、先にも述べたように「三」である。距離を優先するなら、河内松原と成ろうがその後が続かない。
  尚、東大阪市の松原は国立国会図書館デジタルアーカイブ「天保河内国絵図」に恩地川の西に「高四百八石」の村
 として載り、北には水走村があり、闇峠への道が太く朱書きされ村の北を通っている。)
(依って、ほぼ現在地に東西の奈良街道の南側に北面して建っていたと考える。松原への距離は誤って彫ったものと
 する。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.暗越奈良街道を東に望む
 右奥(西)玉造へ  中央大きいのが  左奥(東)玉津へ
 左祠内に当道標】  当道標、東面する】  洗濯屋右入り当道標】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面上部 【6.道標北面上部
 上部は何も無いが  像部は摩滅が激しい  「従是…」とある
 下部はどうか】  良く触られた為か】  距離は右に小さく刻む】

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【7.道標北面上部拡大 【8.道標東面下部 【9.道標北面下部
 「従是」  「矢」しか見えない  「…松原…くら」
 と読める】  下部は有るのか】  とある】

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【10.道標北面中部拡大 【11.道標北面下部拡大 【12.道標北面最下部拡大
 「三り」と読める  「松原」とある  「一り余」
 「二り」では無さそう】  松原へ三里(12km)】  「くら…」と読める】

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【13.祠北の解説一部 【14.北横の解説碑東面 【15.祠を南西に望む
 『大阪市の旧道と坂道』  三行目中頃  腰板63pがあり
 「大坂都市協会」編】  「二り松原」誤りか】  その分が隠れるか】

写真himg2316
【16.大阪市東成区の道標】
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