4.大阪市住吉区住吉町2の常夜灯(道標ではない)

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大阪市住吉区住吉町2−9 住吉神社北西部、阪堺線と上町線の合流地点、道東側の玉垣中に西を正面に建つ
常夜灯竿部 竿部のみ推定220x60x45p
N34.613855 E135.49184


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西面
┌─――――――――――――――――――┐
│さんけい道              │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――――┐
│             棚頭 卯之松│
│維時慶応二丙寅天三月吉祥日      │
└―――――――――――――――――――┘
(「棚」は「木」に「明」と刻す)
(「松」は俗字「木」の下に「ム」)

東面
┌─――――――――――――――――――┐
│  土州大部家      部家頭枠  │
│     部家頭 清五郎 棚頭 市松 │
│     手代  藤吉  棚頭 重吉 │
│常夜燈  役割  勘蔵  棚頭 弥太郎│
│     役割  荘吉  棚頭 捨吉 │
│     役割  徳兵衛 棚頭 政吉 │
│                源助 │
│                惣若中│
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――――┐
│  執次     岩田 平七     │
│   山上茂太夫 土堤内清五郎    │
│         内川 徳兵衛    │
│         小山 卯之助    │
└―――――――――――――――――――┘


(慶応二(丙寅)年三月1日とすると、西暦1866年4月15日日曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、37頁。)
(道標ではないと思うが、上書に倣い載せる。)
(参詣道への案内ではなく参詣道の入口にあったとし、道標とはしなかった、本来は社標を奉納したかったのでは
 ないかと思うが都合で「さんけい道」となったように思う。よって建てる位置は目立つ場所である必要があり、
 案内がいるような場所ではなかったとしたためである。道路拡幅などによる移動はあろうがほぼ元の位置にある
 と思う。)

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【1.常夜灯を北に望む 【2.常夜灯を東に望む 【3.常夜灯を南東に望む
 奥(北)玉出へ  本社は右奥南東へ  玉垣で囲われ
 左阪堺電車が通る】  後は時計台】  立入りは憚られる】

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【4.常夜灯を南に望む 【5.常夜灯西面拡大 【6.常夜灯南面右下部
 奥(南)紀州街道  「さんけい道」  「棚頭 卯之松」の
 を大和川越え堺へ】  と読める】  「棚頭」は役職か】

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【7.常夜灯東面下部 【8.常夜灯北面下部 【9.住吉神社を東に望む
 「土州」は土佐  「執次」は  鳥居の後ろに
 今の高知県か】  「取次」と同じか】  有名な反橋】

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【10.大阪市住吉区の道標】
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