5.大阪市住吉区墨江1の道標

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大阪市住吉区墨江1−6−7 長居公園通、高野線踏切西250m辻の北50m、三ツ辻の北西部に南東を正面に建つ
(北は住吉神社南東部に続き、南は住吉行宮跡の東に出る。北10mに子安地蔵がある。)
尖頭型角柱 118x22.5x24p(頂高8p)
N34.609793 E135.49424


写真himg6492

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写真himg6502

南東面
┌─――――――――――――――――――┐
│左 あびこ観世音           │
└―――――――――――――――――――┘
(「び」は変体仮名「飛」に濁点)

北東面
┌─――――――――――――――――――┐
│   是より半丁能南角        │
│右 子安地蔵尊            │
│   同なごりの□□道        │
└―――――――――――――――――――┘
(「能」は変体仮名「の」)

北西面
┌─――――――――――――――――――┐
│ 嘉永七甲寅五月           │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――――――┐
│       八 百 @       │
│  施主 堺 八百 いの       │
│       八百 A三       │
└―――――――――――――――――――┘
(@は「保」、Aは「駒」の様に見える)


(嘉永(甲寅)七年五月1日とすると、西暦1854年5月27日土曜日となる。この年閏七月あり、十一月二十七日安政
 に改元。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、37頁)
(北東面「右子安地蔵尊」とその右に小さく書かれた「是より半丁能南角(半丁の南角)」を手掛かりに元位置を探
 すと、子安地蔵の北80mの細井川に架かる「一つ橋」の北詰の四辻が考えられる。ここに現南東面を北面させて置
 くと「左安孫子観音」は川沿いに東へ進み(今は住宅で途切れる)、現「熊野かいどう」碑のある南北の道に出て、
 「龍の橋」を渡り、南へ安孫子方面となる。
 「右子安地蔵尊」が南を指すために、辻の南東部で西面していたと思われる。
N34.609990 E135.495404
 住吉区上住吉2−10−12の民家南辺りとなり、細井川北岸の土手の上でよく目立ったであろう。
 現在(2021)は子安地蔵の南10mの為、北90mからの移設としたい。今の設置は「右子安地蔵」を合わせた為に、
 「左安孫子…」が西を示さないよう45度時計方向に回され置かれるが、どう見ても西を指す様に感じられる。)
(同じく北東面の左側「同なごりの□□道」は「同なごしの□□遍」等かも知れないが、分らない。)
(南西面の施主「八百」で良くあるのは八百屋の屋号であろうが不明。下の名前三人の信者によるものであろう。)

写真himg6486 写真himg6487 写真himg6488
【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む
 奥(北)住吉神社  右、住吉公園南側へ  ここから安孫子観音
 南東部、浅澤社へ】  奥(南)長居公園通へ】  へは右(南)となる】

写真himg6528 写真himg6503 写真himg6546
【4.道標南西上部 【5.道標南東面拡大 【6.道標北東面拡大
 「施主 堺」の下  「左あびこ観世音」  「…子安地蔵…」左右に
 「八」が三行並ぶ】  と読める】  元位置の手掛かり】

写真himg6529 写真himg6538 写真himg6510
【7.道標南西下部 【8.道標北東面左中部 【9.道標北東面右中部
 「八百…」住所か  「同なごり(し)…」  「…半丁能…」
 氏名か屋号等か】  以下は読めない】  「半丁の」とした】

写真himg6523 写真himg6521 写真himg6513
【10.道標北西面上部 【11.道標北東面左下部 【12.道標北東面右中部
 「嘉永七甲寅…」  「の…」に続く二文字  「…南角」
 と読める】  程度か、読めない】  と読める】

写真himg6526
【13.道標北西面下部
 「五月」
 と読める】

写真himg2321
【14.大阪市住吉区の道標】
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