6.大阪市住吉区墨江4の道標

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大阪市住吉区墨江4−6−21 熊野街道、寶樹寺の南西の四辻の南東部民家の壁に接して北を正面に建つ
(山型)板碑 79x17x9p(西面巾7p)上部欠損、折れ痕二ヶ所
N34.605024 E135.49562


写真himg6572

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北面
┌─――――――――――――――――┐
│         厄       │
│(左指差像あ)びこ 観世音    │
│         除       │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『博物館研究紀要』より)

西面
┌─――――――――――――――――┐
│(明治三十三)年二月 施主 某  │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『博物館研究紀要』より)

南面(写真無)
┌─――――――――――――――――┐
│(不明)             │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(右) 住よし          │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『博物館研究紀要』より)


(明治三十三年とすると、西暦1900年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、38頁)
(明治の地図を見ると、熊野街道を南下してきた場合遠里小野へ出るよりも、ここで東に折れ、やがて南東に向かい
 安孫子観音へと続く道が最短である。此処に建てるのは自然であろう。)
(上記の書には、損傷前の写真が載り、頭頂部は山型で、北面欠損部の左指差し像(多分線刻)と「あびこ…」が見
 え、東面の「右 住よし」も読み取れる。又、右(西)横の「敷石周旋人」碑の一部と背景の民家を見ると、当時
 と同じ位置に有る様に見える。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を西に望む
 奥(北)住吉神社  右、住吉公園南側へ  ここから安孫子観音
 南東部、浅澤社へ】  奥(南)長居公園通へ】  へは右(南)となる】

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【4.道標東面上部 【5.道標北面拡大 【6.道標西面上部
 「住よし」  「…びこ 観世音」  「年二月…」
 とした】  と読める】  と読める】

写真himg6589 写真himg6570 写真himg6583
【7.道標を南西に望む 【8.道標を東に望む 【9.道標西面下部
 右石碑は道標と無関係  左あびこ観世音は  「施主 某」
 材質の為か崩壊は近い】  この方向へ】  とした】

写真himg2321
【10.大阪市住吉区の道標】
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