5.大阪市阿倍野区王子町3の道標

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大阪市阿倍野区王子町3−8−3 北畠公園、顕家墓の南前に南を正面に建つ。
板碑 160x30x17p
N34.62862 E135.509738


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南面
┌─――――――――――――――――――┐
│       北畠停留所ヨリ     │
│北畠顯家卿墓             │
│       東北三丁        │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――――┐
│ 大正八年十二月           │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――――┐
│先考之依遺命  浪岡具雄建之     │
│  岩代福嶋 遂堂 高橋直周敬書干時年│
│                七十七│
└―――――――――――――――――――┘


(大正八年は、西暦1919年である。第一次大戦後で国家が国民生活統制を図り始めた頃と関係ありか。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(大正八年の北畠停留所を大正十年測図の地図で確認すると、上町線の現在の駅と同じと思われ、現在の距離では約
 400m程になり、案内の常の通り短く「三丁(327m)」書かれているとして、駅近辺に建てられていたものであ
 ろうか。元々此処に建てたとすれば道標では無くなる。施主と思われる「浪岡具雄」をwebで検索すると、電気系
 の書籍で有名なオーム社の二代目社長に係り年代的には一致し、大阪に所縁もある様ではあるが調べてはいない。
 一方、「高橋直周」は元福島藩物頭、従兄弟に三春藩用人浪岡季令…の記事があったがこれも未調査。
 又、岩代福嶋は今の福島県二本松市に「岩代」と名の付く施設が多く地名と考えられる。)
(墓域南西部に「大阪市阿倍野区王子町3の碑」がある。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南西に望む
 中央やや右  奥、に墓石がある  西側にあべの筋
 木の下に当道標】  ここで距離は不要】  この方向に停留所】

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【4.道標西面上部 【5.道標南面拡大 【6.道標東面拡大
 「先考」とは  「北畠顯家卿墓…」  「大正八年十二月」
 亡き父の意味らしい】  とある】  と読める】

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【7.道標西面下部 【8.道標南面下部 【9.道標を北東に望む
 「浪岡具雄」  「北畠停留所…」  左端が墓石
 「高橋直周」とある】  「東北三丁」とある】  右端に当道標】

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【10.大阪市阿倍野区の道標】
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