8.大阪市東住吉区今川2の道標

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大阪市東住吉区今川2−13−2 松虫通と今里筋の今川2交差点の東40mの交差点南東部に西を正面に建つ。
尖頭型角柱 99x37x27p(頂高7p)
N34.629964 E135.538988


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東面
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│ ││ 右 大阪道        │
│東││すぐ 北田辺 天下茶屋 築港│
│ ││ 左 中野 南田辺 住吉  │
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北面
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│北││明治四十三年十月設立    │
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西面
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│西││ すぐ平野         │
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南面
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│南││ 共勵會          │
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(「勵會」は旧字「励会」)


(明治四十三年は、西暦1910年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、38頁。)
(案内先については名の知れた地名ばかりで解説の必要もないと思う。明治の地図で見ると当地の西に小川が見え、
 その西に大きな辻(東西南北とも聯路)が見える。これを明治17年頃の地図で見ると、西への道が無い三ツ辻に
 描かれていることから、西への道(松虫通り)が出来た時に上記道標が建てられたものと想像する。その辻が現在
 (2021)の「今川2交差点」であろう。その後の道の拡幅により邪魔になり、東へ移設されたものと考える。
  尚、「共勵會」に地名等が付いていないが、当時の「今在家」の組織であろう。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南西に望む
 奥(西)岸里へ  左右の松虫通り  道標後の南への道は
 先の辻右、今里へ】  北へは横断不可】  60mで突当り西今里筋へ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.道標北面拡大
 「共勵會」  「すぐ 北田辺…」  「明治四十三年十月設立」
 と読める】  を挟み右、左】  と読める】

写真himg7306 写真himg7299 写真himg7313
【7.道標西面上部 【8.道標頭頂部を東に望む 【9.道標北面中部
 「すぐ平野」  元の辻で元の向きか  「治四十三年…」
 と読める】  東西南北は方位を示す】  と読める】

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【10.大阪市阿倍野区の道標】 【11.大阪市平野区北部の道標】
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