7.大阪市東住吉区矢田6の道標(河内国内)

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大阪市東住吉区矢田6−5 大和川下高野橋北詰から北に300mの四辻北東部、辻地蔵祠内に南を正面に建つ
地蔵光背 推定65x30p
N34.600968 E135.530754


写真himg7669

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│  右 なかの(ひらの)      │
│(梵字)(地蔵立像)        │
│  左 大坂(てんのうじ)     │
└――――――――――――――――――┘
((梵字)は「カ」地蔵菩薩の種子か)
(( )部は『大阪の街道と道標』より)

その他面(写真無)
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、397
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(摂津国が東に張り出した百済村の南隣の矢田村であり、河内国丹北郡となり対象外である。南北を結ぶ主要な道で
 明治期には下高野街道と呼ばれていた道筋で、市内でもあり載せておく。)
(同書に「矢田6の辻地蔵と呼ばれる一角に、多数地蔵の祀られる堂の内の一体」とあり現在(2021)とは少し状況
 が変わっているようである。
  行先案内と、明治の地図より、ほぼ元位置に元の向きのままに置かれていると思われる。但し現在では新しい祠
 に祀られており、近接移動は免れないと思う。この地図では西への道が見えず三ツ辻で有った様で、「左大坂…」
 の道は真っすぐ北上し矢田部の集落中を抜け鷹合方面となる。一方「右なかの…」へ進んでも、すぐに北に曲がり
 矢田部の東をかすめて鷹合の東方を北に進み湯谷島(湯里)で八尾街道に繋がっている様に見える。
  南へは、300m程で大和川の「下高野橋」と成っており、現府道26号大阪狭山線沿いの旧道が下高野街道と呼ば
 れる道であろう。今は西に新しい「行基橋」が架かり自動車の通行量は少ない。)
(地蔵の前掛けにより、一部しか見えないのが残念である。せめて解説でもあれば良いと思うが。)

写真himg7702 写真himg7705 写真himg7694
【1.六地蔵を北に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北に望む
 奥、矢田部集落中へ  正面やや右が  光背部の左右に
 右、南大坂線高架下へ】  当道標の入る祠】  道案内が見える】

写真himg7689 写真himg7672 写真himg7687
【4.道標上部左 【5.道標上部拡大 【6.道標上部右
 「左 大坂」  「右 なかの」  「右 なかの」
 とした】  「左 大坂」 とした】  「な」は「奈」か】

写真himg7683 写真himg7704
【7.道標上部中央 【8.道標を北東に望む
 梵字が有る様だ  右奥(東)中野へは
 「カ」地蔵菩薩であろう】  公園東縁が痕跡かも】

写真himg2321
【9.大阪市住吉区の道標】
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