3.大阪市中央区日本橋2の道標

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(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では25頁)
大阪市中央区日本橋2−9−13 日本橋三丁目交差点四辻北東部歩道上に北を正面に建つ。
尖頭型角柱 105x27x27p(頂高6p)
N34.663104 E135.506105


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北面
┌─┐┌─――――――――――――――┐
│ ││  生玉社          │
│北││左 清水           │
│ ││  天王寺          │
└―┘└―――――――――――――――┘

西面
┌─┐┌─――――――――――――――┐
│ ││  住吉社          │
│西││右 さ可い          │
│ ││  高野山          │
└―┘└―――――――――――――――┘
(「可」は変体仮名「か」「堺」か)

南面
┌─┐┌─――――――――――――――┐
│ ││  難波新地         │
│南││左              │
│ ││  両川口          │
└―┘└―――――――――――――――┘

東面
┌─┐┌─――――――――――――――┐
│ ││         六     │
│ ││  道頓堀  会 十月 建  │
│東││右 両御堂  町 四二 再  │
│ ││  天満天神 三 和十    │
│ ││       日 昭年    │
└―┘└―――――――――――――――┘
(下部「日三町会…再建」は左から横三行書き)


(『近畿地方の歴史の道1』2005年発行に「近年に再建したもの」とあり、見た目も新しい。大阪市立図書館デジタル
 アーカイブ『大阪古地図集成 』
の「第4図」元禄4年(1691)の古地図を見ると、道頓堀に架かる日本橋から南へ
 は今宮まで続いているが、この筋(現堺筋)を東西に横切る道が見えず、辻は無かったのではないか。有ったとして
 も案内を建てるほどの辻は無かったと思われる。
  同上「第21図」明治18年地図までは四辻はなく、「第22図」明治19年地図に至って、初めて四辻として描
 かれているが駅には直結していないように見える。依って大きな移動が無ければ、旧道標もこれ以降の建設と思われ、
 頭頂部に「東西南北」と刻まれる、明治期に多い道標の特徴とも一致する。
  再建は昭和46(1971)年12月と成っており、現在風に左から横書きにしている。

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【1.道標を南に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(南)堺方面へ  奥(西)難波へ  右奥(北)北浜へ
 左、生玉神社へ】  右、天満天神へ】  南面、少し東を向く】

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【4.道標の東面拡大 【5.道標の北面拡大 【6.道標の西面拡大
 両御堂がなぜ西を  清水は松屋町筋を  堺へは恵比寿町で
 案内しないのか】  南下し東へ折れる】  西折れし紀州街道へ】

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【7.道標を西に望む 【8.道標の東面拡大 【9.道標上部を北に望む
 難波駅への道は  両川口とは  各面に方角を刻む
 明治中期以降か】  現西区の川口か】  見えないが北もある】

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【10.大阪市天王寺区の道標】
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