82.神戸市北区山田町原野字休松の道標(不明)

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兵庫県神戸市北区日の峰2−9−1 『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊の北区97に「山田町原野字休松、
もとあった場所は原野からと中村からの道が合流する地点だという。…字名は休松であるが、今は松はない。誰かが辻
の地蔵さんとして…つねに花や水が供えられている。」とあり、巻末の地図の印位置から想像すると、現在の桂木2丁
目と大原3丁目の間ぐらいとなり、桂木南公園辺りを探すがが見つけられなかった。概要を引用しておきます。
山型角柱 87x30x30
N34.756269 E135.140830


写真iimg1670

元位置候補の辻2、上記経緯度(候補地1の40m南)
「左、淡河…」を示すなら右(西)端で東面していたか。

正面
┌─―――――――――――――――――――┐
│右 のせな□□             │
│左 おうご小川             │
└――――――――――――――――――――┘

右面
┌─―――――――――――――――――――┐
│奉納四国西圀善光寺巡礼供養塔      │
└――――――――――――――――――――┘
(「塔」は「土」ヘンに「合」「田」とある)

浦面
┌─―――――――――――――――――――┐
│維時安政第六年             │
└――――――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――――――┐
│一峯良心信士              │
│      樂邦荘巖也         │
│花顔良月信女              │
└――――――――――――――――――――┘


(上にも書いたが添付の地図では出版時点での詳細な位置が分らず、現在では宅地開発で地形も大きく変わっている。
 本の発行に近い昭和60(1985)年修正の地図でこの辺りの「辻」を探すも一本道が書かれるのみで手掛かりも無く、旧
 道の残る地点や、公園等に移設されているかもと考え探したものである。場合によってはやや東の桂木小学校や南の
 大原中に残るかも知れないが、供養塔であれば校内には置きにくいであろう。ひょっとして元位置辺りに戻されたか
 もと考え、それらしい辻も探してみた。北から順に候補地1,2…としたが、『神戸の道標』が書く元位置に相応し
 いのは「候補地2」であろう。明治の地図では複雑な辻に見えており、道なりに西に下れば、淡河方面に続いている。
 又、このやや南に地名として「涼松(スズマツ)」とあり字休松とも似ている。現在の鈴蘭台の「スズ」とも関係し
 ているのかもしれないがその範囲は明確でない。)
(安政六年なら西暦1859年である。)

写真iimg1668 写真iimg1671 写真iimg1673
【1.元位置候補1 【2.元位置候補3 【3.元位置候補4
 日の峰2-12-2の西  候補地2の南220m  候補地3の南130m
 N34.756507 E135.141116】  N34.754585 E135.140578】  N34.753495 E135.140016】

写真iimg1675 写真iimg1676
【4.昭和60年頃の位置か 【5.昭和60年頃の位置か
 桂木3-32-2の南  桂木南公園を東に望む
 N34.751118 E135.140923】  N34.748074 E135.142649】

写真gimg3367
【6.北区南部の道標】
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