16.神戸市兵庫区里山町鵯越駅の道標

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神戸市兵庫区里山町 神電鵯越駅西側踏切を北に10m越え西への階段を上り、階段の踊り場の西に南東を正面に建つ
山型角柱 大きさ不明、高さ102pとするもの有
N34.692509 E135.141868


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南東面
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│鵯越大師                │
│      (是ヨリ 二丁)      │
│ 八十八ヶ所              │
└――――――――――――――――――――┘

北東面
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│昭和十二年五月廿(六日)        │
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北西面
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│(なし)                │
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南西面
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│(なし)                │
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(昭和十二年は西暦1937年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には記載なし。)
(現在はフェンスがあり構内敷地の感もあり、近づけなかった。よって全貌は分からないが一応載せておく。)
(案内先は道標下の道を道なりに北に上り、100m地点の三ツ辻を東に折れ、これも道なりに進み北へ曲り谷筋の250m
 辺りに、四国八十八箇所巡りがあり、都合350m(三丁)にはなるがここを示すと思われる。
 偶然ここの世話をされている方にお会い出来、伺ってみると「曾祖母が三重より移住し開いたもので、昭和の初めに
 は沢山の参詣の人で賑わった。」とのことであり、紀年銘もその頃に一致し、こことして良いと思う。
  昭和10年の地図では「鵯越駅」があり、駅を降りた人への案内であったと思う。この時改札口がどちらに有ったか
 は知らないがもし北側に有ったなら、現斜面上部へは20m程の移動と思われる。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北に望む
 右斜面の上  中央石垣の上  線路南より望遠で
 フェンスの左】  階段はトンネル上へ】  電車の架線が邪魔する】

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【4.道標を西に望む 【5.取っ掛かり辺りの 【6.中心地点辺りを西に望む
 右側遮断器の辺りが  第二十一番  ここまで駅から350m程
 元位置ではなかろうか】  昭和十三年とある】  各石の室が各寺に相当か】

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【7.神戸市西部の道標】
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