76.茨木市泉原素戔嗚尊神社北東の道標

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茨木市泉原 府道43号、泉原バス停東50mの四辻の北150m素戔嗚尊神社下から北東に700m、東海自然歩道三叉路三ツ辻北側に、南を正面に建つ
(神社下から舗装された農道を北東450mの三ツ辻で東に東海自然歩道が分岐しあとは道なり。)
頭丸型角柱 50x22x15p(頂高2p)(西面高さ89p)
N34.890407 E135.523387


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南面
┌────――――――――――――――┐
│左 妙見山             │
└――─―――――――――――――――┘

東面
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│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では53)
(同書に「古くは妙見街道であったかもしれない。泉原からこの道を通ることもありうる。」としているが明治以前の
 道標であるとすれば街道を示すことはなく、その場から目的地を指示するのみであり「街道」の決定には意味がない
 と思います。尚、人の流れから考えると、現在の茨木市街地方面から妙見山を目指す人は現行の府道下泉原橋から北
 に分岐し素戔嗚尊神社から当道標を経由しても数百m程長いだけであるが、アップダウンの点で不利であろう。)
(当道標からの道を明治の地図で見ると、左右どちらの道をとっても現府道の手前で合流しているが距離的には「左」
 西寄りの道が近かく、これを案内するのは妥当であろう。府道の合流地点は「源氏講」の建てた大きな題目碑がある
 地点になるようだが、当道標200m程から先は未踏査である。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南に望む
 右の道はほぼ水平に東へ  奥(北西)左の池を  奥(南西)神社へ
 左やや下り妙見山へ】  かすめ妙見山へ】  250mで農道に合流】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標西、南面拡大
 今の案内の右大竹台  文字に朱が入る  北側は土嚢で固定
 は何処か知らない】  非常に綺麗である】  西側は擁壁が切れる】

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【7.道標から北600mの
 現府道合流点の題目碑を
 北に望む】

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【8.茨木北部の道標】
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