茨木市東福井三丁目 個人宅内として『わがまち茨木』(道標編)93に掲載される。
頭丸型角柱 80x16.5x?(頂高4)
N34.852894 E135.547429

正面
┌────――――――――――――――┐
│みき 京ふし │
└――─―――――――――――――――┘
左面
┌────――――――――――――――┐
│ひたり │
└――─―――――――――――――――┘
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では93)
(「元はどこにあったわからない」とある。)
 |
【1.茨木北部の道標】 |
 |
【2.茨木南部の道標】 |
96.茨木市元治元年の道標(未調査)
茨木市東福井三丁目 個人宅内として『わがまち茨木』(道標編)94に掲載される。
頭丸型角柱 73x19x?(頂高5)
N34.852970 E135.547349

正面
┌────――――――――――――――┐
│(なし) │
└――─―――――――――――――――┘
左面
┌────――――――――――――――┐
│五十丁 助 │
└――─―――――――――――――――┘
左面
┌────――――――――――――――┐
│元治元年 │
└――─―――――――――――――――┘
(元治元(甲子)年2月20日とすると、西暦1864年3月27日日曜日となる。元治は元年二月二十日から二年四月六日
迄しかない。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では94
「元はどこにあったわからない。時代のわかる貴重なものである。行先等は判別できないが、」等とある。
現物を見ていないので道標であるか、丁石であるかも判断できないが、「里程を示したもの」としている。掲載の
写真を見る限りは「五十丁(5.45q)」が大きく書かれこの面に目的地が書かれていない様なので、丁石の形態
ではないかと想像する。であれば正面には寺社名等が書かれており、進むべき方向は書かれていないと考える。
この近辺からの移設とすると、目的地は「龍王山」、「妙見山」が考えられそうで、当地から龍王山までが直線で5
q超でありこちらが相応しいであろう。府道114号沿いであったとすれば、常磐会学園グランドの入口辺りになる。)
 |
【1.茨木北部の道標】 |
 |
【2.茨木南部の道標】 |
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
↑先頭へ