21.吹田市江坂3の油掛け地蔵西の道標

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吹田市江坂3−67−6 素盞嗚尊神社(江坂神社)西側駐車場北の油掛け地蔵祠の西に16基程の石碑の後部中央に
南を正面に建つ。
蒲鉾型角柱 50x19x12p(上から3.5pに18.5x14x-2pの龕部を設け座像を浮彫)
N34.768917 E135.491993


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南面
┌────――――――――――――――┐
│        七り        │
│     右 みや津        │
│(座像)              │
│     なり阿いへ        │
│       九リ         │
└――─―――――――――――――――┘
(「阿」は変体仮名「あ」)

東面
┌────――――――――――――――┐
│文政十亥七月            │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│ 當村願主             │
│   松原庄右衛門         │
│         建        │
└――─―――――――――――――――┘


(文政十(丁亥)年七月1日とすると、西暦1827年8月22日水曜日となる。この年閏6月あり。)
(『すいた歴史散歩』には未記載)
(「右みや津、七り」を京都府の「宮津」とし、「なりあい」を天橋立北の成相寺(宮津からは11q(3里))とすると
 案内先に繋がりが有る様に見え都合は良いが、この場合遠方からの移設となり当地で議論すべきものでは、ないであ
 ろう。
 又、異なる経路への二地点でない為元位置の同定も困難と思われる。西面の「當村」を村名にしてあれば元位置も分
 ったかもしれない。)

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【1.油地蔵祠を 【2.油地蔵祠左に 【3.道標を
 北西に望む  まとめて置かれた  北西に望む
 奥、神社北口へ】  石造物群を北西に】  三列目中央が当道標】

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【4.道標を北東に望む 【5.南面上部拡大 【6.東面拡大
 下部の台にセメント  頭部右下欠損  「文政十亥七月」
 で留められている】  蓮華座部は+1.5p】  と読める】

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【7.西面拡大 【8.南面下部拡大 【9.道標を南に望む
 「當村願主」  「七り」は追刻か  手前中央が当道標
 「松原庄右衛門」  同じく「九り」も  (赤い前垂れを外した石)
 左下に「建」】  バランスが悪い】  他の石には銘なし】

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【10.吹田市の道標】

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