103.高槻市柱本3の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
高槻市柱本3−20 府道16号柱本交差点北770mを東折れ120mの四辻南東部に北を正面に建つ
(柱本実行組合の北側)
角柱 159x23x22p(上部から5p下に巾3pの周溝)
N34.793305 E135.605158


写真iimg9436

写真iimg9445

写真iimg9447

写真iimg9448

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│蓮如上人               │
│     八房之梅          │
│御舊跡                │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│中牧山法光寺             │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  飛良田              │
│左                  │
│  い者ら幾             │
└―――――――――――――――――――┘
(飛、良は変体仮名「ひ、ら」で平田とした)
(者、幾は変体仮名「は、き」で茨木とした)


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊には、未記載)
(現地点を『今昔マップ on the web』の明治の地図で見ると水路の屈曲点辺りになり、道標、寺標等を建てるに相応し
 い場所とは思えず、移設であろう。
  元位置の候補としては寺標を主と見なして、道標から道なりに140m南東の法光寺の北西四辻角の南東部
N34.792692 E135.606391
 高槻市柱本3-21-19の寺の敷地内らしい所(今は「法光寺」と「くらわんか船碑」の案内柱が建つ)が相応しい
 ように思える。
  ここに有ったとし現在と同じ向きのまま置かれていたとすると、「左、…/い者良幾」が南を指す事になる。ただ
 此の道を進むと、明治の地図では村南端で道が途切れている。現在でこそ西に折れると府道16号(大阪高槻線)に出
 る事が可能だが昭和4年の地図に至っても西行する道は描かれておらず、南北の道さえ無い。
  では茨木へはどのように行ったのであろうか、柱本から茨木は北西に当り最短距離をとる道は北の西面(にしめ)
 へ出た後西へ向い目垣で安威川を渡り、土手沿いに東から町中を目指すか、土手を離れて平田から水尾へ西行し南か
 ら茨木町中へ進む経路となろう。此の為には現東面が西面している必要があり、四辻北東部に置かなければならない。
 そうすると、正面を向いているべき「蓮如上人/御旧跡…」が法光寺をうまく示さなくなり、この辻ではない可能性
 が大となる。
  そこで、「左、茨木」が西を指す、上記四辻から東へ40mの寺北東角の三ツ辻の南西部に、現東面を南面させて建
 てると「旧跡、法光寺」が後ろに建っており、全てが満足できるように思う。
  依って元位置は
N34.792717 E135.606774
 鐘楼近くの土塀外角辺りになるとしたい。)
(上記の考えを基に、読み難い東面の右側を読み解くと、茨木より手前にある「平田」を当てるのが妥当かと思い
 「ひら田」とした。「ひ」は「飛」からの変体仮名として良く使われ、右側に「´」があれば間違いないとおもう
 が見えない。次の字が大きさから見れば「しん」と二字にしたくなるが、左側の「幾(き)」の長さに符合させて
 一字の「良(ら)」としたのは強引すぎるであろうか。
 こうすれば国立公文書館の「天保摂津国絵図」の嶋下郡「溝杭平田村」に同定出来て解決すると思う。
  ここを東から来る人が多かったのは、淀川の船客があったものと想像できる。土手上には「くらわんか舟」発祥
 の碑が建っていた。明治の地図でも「渡し」らしきものが見える。
  尚、wikiに『平田村は明治22(1889)年の市町村制で「溝咋(みぞくい)村 」に、昭和10(1935)年に「玉島村」、
 昭和29(1954)年に「茨木市」』とあり、現在も町名として残る。)

写真iimg9433 写真iimg9434 写真iimg9440
【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(東)法光寺へ  右(西)府道16へ  右背の高い方が道標
 手前、南北の水路】  右奥、淀川土手へ】  右(北)府道16へ合流】

写真iimg9451 写真iimg9453 写真iimg9458
【4.道標東面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標西面拡大
 「左、…田/いばらき」  「蓮如上人/御旧蹟」  「中牧山法光寺」
 右側が読めない】  「八房之梅」】  と読める】

写真iimg9469 写真iimg9466 写真iimg9480
【7.道標東面下部左 【8.道標東面下部 【9.道標東面下部一字め
 「い者良幾」は  右側が難関で「田」  変体仮名「飛」とし
 「茨木」であろう】  以外文字数も怪しい】  「ひしん田」では見当が付かない】

写真iimg9481 写真iimg9501 写真iimg9537
【10.道標東面下部二字め 【11.先の候補地を南東に見る 【12.道標元位置を南西に見る
 これもナガーイ一字で  左(東)淀川右岸土手へ  右(西)40m先を北へ折れ
 「良(ら)」とした】  右、集落を抜け同じく土手へ】  西面(さいめ)、平田、茨木へ】

写真eimg6773
【13.高槻北部の道標】
写真eimg6774
【14.高槻中部の道標】
写真eimg6742
【15.高槻南部の道標】
写真himg2309
【16.高槻市南端の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ