53.吉野山竹林院南東の道標(大和国内)

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吉野郡吉野町吉野山1279 竹林院前バス停を東へ30mの三ツ辻の南部に北西を正面に建つ
尖頭型角柱 130x30x16.5p(頂6p)
N34.360225 E135.864516


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(北西面)
┌─――――――――――――――――┐
│右 大ミ祢み(ち)        │
│左 さくら木十八(丁)      │
└―――――――――――――――――┘
(( )部は『隆光と関係石造物』より)

(南西面)
┌─――――――――――――――――┐
│ 神南辺隆光           │
└―――――――――――――――――┘
(下部「光」は上部のみ見える)

(南東面)
┌─――――――――――――――――┐
│   吉日            │
└―――――――――――――――――┘

(北東面)
┌─――――――――――――――――┐
│ 堺 鍋屋嘉平衛         │
└―――――――――――――――――┘


(『隆光と関係石造物』月山渉、2012年では、s゙良8)
(行先に関しては「右 大ミ祢み(ち)」は「右、大峯山」として、この辺りで案内によく見る「大峰山
 奧駈道」を案内するとして問題は無いでしょう。現在の状況が当時と余り変わらないとすれば尾根筋に
 沿って登る道、即ち西寄りの道になる。では「左、さくら木十八(丁)」はどうでしょう。上書にある
 「丁」を信じると、「桜木まで18丁(約2km)」となりそうです。国立公文書館の『大和名所図会』7に、
 「櫻木神祠」が見え、現在の吉野町喜佐谷にある「櫻木神社」とすると直線で約3q程あり少し遠すぎる。
 ここは、「千本櫻、長峯より一目に見る桜をいう」を採用して、展望台を示すと考えますが、今の道を
 左に下り道なりに進むと2kmでロープウェイの吉野山駅の下の大橋まで下ってしまう。途中で東の峰に
 分岐し如意輪寺へ進むと1.6q程となりこの辺りを示したものか。答えは分かりません。如何でしょう。
 『大和名所図会』6にのる吉野山千本櫻の絵は東の峰から西を見て描いたと思われます。
  もし施主が神南辺(天保十二(1841)年没)であれば、寛政三(1791)年刊の『大和名所図会』を見る事
 は可能であったと思う。)
(南西面に「神南辺隆光」、北東面に「堺、鍋屋嘉平衛」とあり、施主が誰かは不明である。二人で費用
 を折半したものかも知れないが、名前部分は本人が書いたものと思う。
 他の項で問題にしている「邊」「邉」問題に関しては、「辺」となります。
  明確な資料はないが、『「神南辺」が堺の燗鍋作りの職人であった』を信ずるなら、「鍋屋嘉平衛」
 さんは彼の親方等と想像するのも楽しい。)

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【1.三ツ辻を南東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北西に望む
 右上奥駆け道、水分神社へ  電柱の地支線(黄色)  右地支線の左が当石
 当道標は見えない】  の右が当道標】  奥(北西)竹林院へ】

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【4.北西面上部拡大 【5.北西面中部拡大 【6.北西面下部拡大
 「右…」  「大ミ祢…」は「大峯道」  「みち」はよくある
 「左…」】  左が分からない】  「十八丁」なら約2q】

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【7.南東面下部拡大 【8.南西面上部拡大 【9.南西面下部拡大
 「吉日」  施主等無く  「隆光」で
 だけは珍しい】  「神南辺」とある】  間違いないでしょう】

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【10.北東面上部拡大 【11.北東面中部拡大 【12.北東面下部拡大
 施主等無く「堺」  「鍋屋」屋号か職種か  「嘉平衛」
 のみが書かれる】  「なべ」つながり】  とある】

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【13.近くの案内図東面
 「奥、上千本/奥駆け」
 「写真方向に道を上る」と
 右の道を指示する】
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