55.和泉市葛の葉町信太森の千度石(道標ではない)

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和泉市葛の葉町1−11−4 東門入って10m右横、新石灯籠右列の外側に南東を正面に建つ
尖頭型角柱 121x30.5x29p(頂高6p)
N34.509081 E135.438920


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南東面
┌─――――――――――――――――┐
│千度石              │
└―――――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――――┐
│       辻本氏       │
│願主 堺川尻 本城氏       │
│       中尾氏       │
└―――――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――――┐
│      取次         │
│天保二年             │
│        神南辺      │
└―――――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――――┐
│五穀成就             │
└―――――――――――――――――┘


(天保二年(辛卯)1月1日とすると、西暦1831年2月13日日曜日となる。)
(神南邊関連で「千度石」とあるものは初めてである。多く「百度石」としているが理由は知らない。「取次」
 とあるので当人が書いたものではないと思う。ただ百度石の建て方は「百度」の面が対象物に正対している
 と思われるので、千度石も同じであろうとすると、向きが変わっていると想像できる。
  尚、もう少し門に近い位置に「百度石」もあり、見た目はこちらの方が古く見えますが、石質の違いも関
 係しており、何んとも言えません。)
(落語等で聞いてはいたが、「信太森葛葉稲荷神社」がここであると初めて知りました。社門北の由緒書によ
 ると晴明伝(出典不明)に出ているらしく、神南邊は「安倍晴明」とのつながりを見たものか。
 国会図書館デジタルアーカイブ『和泉名所図会』3巻コマ7「信太杜」に「ホキ抄に安倍晴明が母は信太森の狐也」
 とあり、当時からその様な話が知れ渡っていたなら、「尤もである」として良いと思う。)
(紀年銘は明確であるが、「神南邊」が書いたものとできるかは不明である。他の項で問題にしている「邊」
 「邉」問題に関しては、「辺」となります。)

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【1.神門を北に望む 【2.百度石を北に望む 【3.当千度石を北西に望む
 右奥(北東)赤い鳥居は  楠左二基目の灯籠のに  参道敷石の外に
 北信太駅方面へ】  左後に当千度石】  門に向け置かれる】

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【4.南東面拡大 【5.北西面上部分拡大 【6.北西面下部分拡大
 「千度石」  「天保二年」  「取次」の
 と読める】  は1831年になる】  「神南辺」と読める】

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【7.北東面願主拡大 【8.北東面願主下部 【9.北西面最下部分
 「堺川尻」  「辻本」「本城」  「神南辺」のシンニュウは
 と読める】  「中尾」とある】  「`」が二つある】

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【10.南西面拡大 【11.葛葉稲荷神社の解説板
 「五穀成就」  門前の大きな社標には
 と読める】  「信太森神社」とある】
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