41.岸和田市南町天性寺山門脇の百度石(道標ではない)

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岸和田市南町43−12 東山門入って右横に北西を正面に建つ
尖頭型角柱 139x32x32p(頂高9p)
N34.458729 E135.365324


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北西面
┌─――――――――――――――――┐
│百度石              │
└―――――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南東面
┌─――――――――――――――――┐
│        サカイ      │
│天保九戌年四月          │
│         發記 神南邊  │
└―――――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(天保九年(戊戌)四月1日とすると、西暦1838年4月24日火曜日となる。この年閏四月あり。)
(神南邊関連の「百度石」である。本堂に正対しており境内の配置等が変わっていなければ元の位置と思う。
 国会図書館デジタルアーカイブの『和泉名所図会』3巻コマ40に「岸和田天性寺、世に鮹地蔵という」として絵が
 載り、これを見る限り現在とほぼ同じ様に見える。
 「發記」は「発起」と同じとし、当人が書いたものか判断しにくいが、他に施主などが無い事から本人が書
 いた可能性は高いと思う。
  他の項で問題にしている「邊」「邉」問題に関しては、楷書風に書かれているが何れでもなく、誤記とし
 なければ、略した「邊」が近い様に思う。)

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【1.山門を北西に望む 【2.百度石を北に望む 【3.当百度石を南東に望む
 右白壁裏に当石  山門北前柱の左に  山門を入ってすぐに
 正面は本堂】  当百度石が見える】  本堂に向け置かれる】

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【4.百度石を南に望む 【5.南東面上部分拡大 【6.南東面下部分拡大
 「百度石」  「天保九年戌年四月」  「サカイ」
 と読める】  は1838年になる】  「發記 神南邊」とした】

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【7.南東面發記拡大 【8.南東面發記部 【9.南東面最下部分
 「サカイ」  「神南邊」  「邊」のツクリ下部は
 「發記」は「発起」か】  としてみたが】  レンガに刻する】

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【10.本堂を北西に望む 【11.鮹地蔵天性寺の解説板
 地蔵堂であるらしい  岸和田城を守った伝承を
 「護持山」の額】  手短に説明する】
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