99.茨木市竜王山丁石一覧

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 2024年12月 調査。
 「茨木市竜王山丁石一覧のgoogleマップ」はこちら

写真kimg4167 写真kimg4558 写真kimg4387
【南参道出発点 【西参道出発点 【八大龍王宮拝殿を
 八丁丁石が左にある  府道からいきなり  北東に望む、ここが
 寿命院に登る石段】  石段を登り始める】  到達地点=0丁とした】

目次
 1.参道概要
 2.南参道を辿る
 3.南参道丁石全般
 4.南参道丁石一覧
 5.南参道丁石詳細
   龍王山丁石一覧図
 6.西参道を辿る
 7.西参道丁石全般
 8.西参道丁石一覧
 9.西参道丁石詳細

1.【参道概要】
 当丁石の目的地は茨木市竜王山の八大龍王宮本社とします。現竜王山の登山道は4経路有る様ですが、この内3
経路に丁石が有るそうですが、確認出来た経路は2本でした。
 一本は、忍頂寺寿命院からほぼ北へ向う道でこれを「南参道」と勝手に名付けました。もう一本は西の府道1号
線、忍頂寺バス停近くから東に登り、途中自動車が通行できる道に合流し、八大龍王宮に向かう道です。こちらを
西参道と呼ぶことにしました。南参道は二丁丁石を過ぎた地点で、西参道の舗装道に合流し、一本になります。
 3本目は竜王山頂上を越し北東に下る道で、その後山腹を南に巻いて車作に向う道です。これを北参道とし、丁
石が一基残るとされているが、見つけられなかった。尚、登山道4本目は龍王宮から山頂展望台に出て、真っすぐ
南に下り北に廻りこみ車作に出るルートであるが、平野部からの取り付きの悪さから参道になり難そうで、丁石は
有りそうも無く調査していません。
【明治の地図から】
 当丁石の多くが明治以降の作であろうと勝手に想像し、『今昔マップ on the web』明治の地図大正11年測図
を見ると次の様な事が言える。
1.西参道が書かれていない。
2.山頂への道は3経路あるが、北の見山からの道は現在無く、ここで言う北参道の道は描かれておらず、南参道
  と現展望台から南の板谷バス停へ下る道が描かれている。展望台を経由する道は参道とはしなかった。
3.南参道が間道、或いは里道(幅半間(90p)以上)と他の2経路(小径)より太く描かれている。
【年代に関する手掛かり】
丁石中に銘が有る場合は問題なしであるが、無い場合、先頭、もしくは最後の石の銘、更にない場合は、町名や
個人名に頼る事となる。
 町名の手掛かりとして
「内北濱五町目…」とするものがあり、現行「北浜」とは異なっている。web『大阪市中央区の町名の説明』
「北浜一〜五丁目」の案内に「摂津名所図会大成」に「浪花の北方なるを以て北浜といひ又略して浜ともいふ」
とあり、大川沿いの北向きの浜という意味に由来する。外北浜(川沿い)と内北浜(陸裏側の筋)の二つの町筋
を有する。」とあり、手掛かりと出来る。
近世の地図では5丁目が無く、北浜一〜二丁目・過書町・梶木町を明治5年3月17日に各町をもって北浜一〜五丁目に
なるとしており、この年以降と出来そう。
【総論】
 丁石は基本、厳格に1丁毎に建てられており、間を飛ばしたりする事も無い。今の登山道の案内板等とは異なる性
格のものであるが、現代に於いては飾り物のように扱われてしまい、都合よく移設、再建等されているようです。
 南参道の明治以降と思われる丁石の多くは、建設後に道が付け替えられ(石段を多くした)て距離が短くなったと
想像する。その時前からあった丁石は元位置の近くに残され、結果各丁石の間隔が縮まってしまったものと思う。
 西参道に関しては、現在の舗装路になった時点で経路が長くなったと思われる。即ち、現5丁が尾根筋を離れ南の
舗装路の取り付け三ツ辻に移設されたものを北に戻し、蛙岩辺りの湾曲部を等高線を無理なく登り岩刀山へ繋がって
いたとすると、距離が一致します。依って、5丁、4丁が移設され、3,2丁は遺失したと思う。
 現宝池寺寺標の東に置かれる9丁丁石は、施主に「柚原村(ゆのはらむら)」と有る事から、現在は道が無くなっ
た下音羽集落から南東へ竜王山の山頂の西を越え、宝池寺に下る道にあったものでは無かろうか。参道が無くなった
為、山頂に移設したと考えたい。府道43号線の下音羽川に架かる地蔵橋辺りが10丁程になると思う。尚、柚原村は現
亀岡市西別院町柚原とした。方角的にこの経路が選ばれると考えた為です。
 丁石は全て梵字を頭部に持ち「バン」大日如来、或いは水天の種子と思われる。宝池寺のHPにも本尊の記述は無く
これを以て寺を目的地とするかの判断は着けられないと思う。八大龍王がこの字で示されるかは知りません。

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2.【南参道を辿る】
  先ず、当参道の起点であるが、丁石の約束事である「最初と最後が特別で、中間は同じ意匠」により判断する
 と11丁となり、これが大正3年とある。大正の地図で現地理院地図の想定距離を測ると400mとなり、3.7丁と
 少し誤差があり過ぎるので、八丁丁石を起点としてみました。八丁は二基あり北側の階段下のものです。

  それでは参道を辿りましょう。

写真kimg4139 写真kimg4146 写真kimg4167 写真kimg4565
【1.11丁から北を見る 【2.右8丁道標は起点の 【3.起点から北を見る 【4.階段途中の山門を
 「十一丁、八大龍王山」  20m南、道の東に建つ  左端に8丁が建つ  北に見る、額は
 大正3年の建立を北へ】  舗装路を左へ登る】  階段を登り寿命院】  「忍頂寺」であろう】

写真kimg4172 写真kimg4176 写真kimg4182 写真kimg4560
【5.境内より寿命院を北に 【6.寺より八所神社を東に見る 【7.神社から西を見る 【8.寿命院西からの登山口を
 見る、この南を東に折れ  墓地を行かず  右(北)社殿前を通過し  東に見る。鉄柱奥へ近道の為
 神社に向かう】  寺南側を回り込む】  奥に直進し登山道へ】  参道とせず神社経由でこの先へ】

写真kimg4185 写真kimg4207 写真kimg4228 写真kimg4241
【9.登山道に出て50m登る 【10.90m北に5丁を見る 【11.60m北、四丁らしい石 【12.50m北、3丁を東に見る
 と右(東)に6丁石が  1m程の高さの岩の手前に  が木標柱の手前に  左が折れた上部
 折れて転がる】  南西を向き建つ】  倒れている】  下部には継鉄筋がある】

写真kimg4263 写真kimg4270 写真kimg4292 写真kimg4294
【13.70m北、2丁を北に見る 【14.2丁過ぎを北東に見る 【15.合流点を南西に見下す 【16.車道から2丁を南に
 正面右へ車道と合流  正面石段を登り左の車道  左(電柱)は南参道へ  見下す、左に赤旗の一部
 赤旗左は駐車場】  (西参道)に合流し北東へ】  奥舗装路は西参道】  西参道2丁と兼用は辛い】

写真kimg4320 写真kimg4321 写真kimg4324 写真kimg4326
【17.合流から30mの道標を 【18.岩刀山を北西に見る 【19.道標を南西に見下す 【20.2丁から60m、1丁を北東に見る
 北東に見る、右に荒瀧へ  正面に薬師如来祠  右、岩刀山の木標  奥、小さく白い建物は
 左、岩刀山の木標】  左奥に岩刀山】  奥、駐車場の赤旗】  宝池寺か、急坂である】

写真kimg4353 写真kimg4354 写真kimg4356 写真kimg4385
【21.0丁候補地その1を 【22.候補地その2を東に見る 【23.右門柱石の東側に 【24.1丁から80m、9丁を南西に見る
 北東に見る、中央の階段が  寺標に「八大龍王宮」  丁石の到達点を示す石  明らかに形式が異なる
 寺前への道、右駐車場へ】  「宝池寺」とある】  でなく9丁丁石がある】  右奥、南・西参道を下る】

写真kimg4382 写真kimg4387 写真kimg4390
【25.八大龍王宮を南東に見る 【26.1丁から110m、八大龍王宮を 【27.八大龍王本殿を北東に見る
 右奥突当りに社務所  北東に見る、奥に池が見え  本来、池が第一と思うが
 背後に宝池寺がある】  池の奥に本殿がある】  拝殿前を到達点=0丁とした】

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3.【南参道丁石全般】
 1.丁石の起点は南参道11丁か、8丁丁石、と思われる、それ以遠の地点に丁数を示す24丁があるがこれは
   道標と見なす。道標は丁数を少なく表すことが多いが、現南参道を使うと2丁程多い。
 2.目的地までの残存距離を示す丁石である。
 3.11丁丁石は大正3(1916)年と紀年銘を持ち、形式も尖頭型で大きく起点に相応しい。途中の8〜1丁石は
   蒲鉾型で大きさや様式はほぼ統一されており、同時に建てられたものであろうが、11丁よりはやや古い様
   に思う。8丁が二基あるが、南側のものは、文久3(1863)年と、大正に比べ50年以上も古い江戸時代の作で
   あり、丁石の特殊なものとは考えず道標とし扱う事にする。
 4.不明が10、9、7、4丁と四基あるが、4丁の残欠と思われる石が存在する。
   異なる様式の9丁丁石が、八大龍王宮20m西の鳥居下に置かれるが、南参道の他の丁石とは同時に作成され
   たようには見えない。
 5.1丁は西参道と合流後になり西参道と兼用になる。2丁も合流直前であり西参道と兼用であったかも知れな
   いと考えてみたが、1丁丁石から南参道を下ると、どう見ても1丁に近すぎる。兼用は無かったとする。
 6.道路整備等に依る為か、距離の誤差がはなはだ大きいと思われる。因みに、地図上で八所神社西の現登山道
   から二丁丁石の上の自動車道合流地点迄、水平距離310m、高低差100m(勾配32%)と読め、階段を多用し
   た為短かくなったと考えます。九十九折れにすると当然距離は延びます。

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4.【南参道丁石一覧】
茨木市竜王山南参道丁石一覧
丁数北緯東経紀銘紀年特徴大きさ地理院地図上の距離
(m)
表示距離
(m)
誤差
(m)
109m=1丁
2434.877975135.541318(東面)
(指差像)八大龍王山 廿四丁
(南面)
大正五年三月 大阪有志中
         發起人光玉
            木村
大正5年3月
1916年3月
丁石ではなく道標
南参道経由を示すか
西参道8丁を示すか
大阪有志
蒲鉾形角柱
137x26x24.5p
(頂高3p)
28722616+256
1134.892716135.541359(南面)
是ヨリ十一丁
(梵字バン)八大龍王山
(北面)
大正三年十月 吹田新田
         信者中
大正3年10月
1914年10月
参道入口か
吹田新田
尖頭型角柱
139x35x27.5p
(頂高12p)
(台石25x63x50p含まず)
10361199-163
834.894904135.544136(南面)
是ヨリ
   龍王山 八丁
(西面)
 文久三年亥三月建之
(北面)
右 大坂 茨木
           道
左 柳谷(道中)
     立石阿ふ
(東面)
 施主 阿州遠藤直左ヱ(門)
      世話人
          當村(□三)
( )部は『わがまち茨木』より
文久三年三月
1863年
阿波国の人尖頭型角柱
78x22x22p
(頂高5p)
652872-220
834.895109135.544286(南面)
         大阪島之内千年町
(梵字バン)八丁  魚油商奥田彦次郎
明治5年以降
1914年以降
大阪島之内蒲鉾形角柱
126x20.5x18.5p
(頂高3p)
(基部3p含む)
631872-241
634.896276135.544774(上面)
        大阪玉造
(梵字) 六丁 魚太
なし大阪玉造蒲鉾型角柱
二分倒置
上部80x20x17p
(頂高3p)
下部81x20x17p
(基部37x22x22p高さに含む)
433654-221
534.896815135.545264(南西面)
        大坂玉造
(梵字) 五丁 積善講中
なし大坂玉造蒲鉾型角柱
122x22x17p
(頂高3p)
(基部12p高さに含)
356545-189
434.897156135.545686(上面)
 山
 (御)栄組
なし丁石か不明角柱
上部折損倒置
108x20.5x18p
(基部29x23x21含む)
301436-135
334.897515135.545984(西面)
        海老江
(梵字) 三丁 御膳講中
なし(大阪?)海老江蒲鉾型角柱
折損
上部倒置
上部77x20.5x15?p
252327-75
234.897966135.546024(西面)
        大阪ざこば
(梵字) 二丁 伊丹源
(「ば」は変体仮名「者」に濁点)
なし大阪ざこば蒲鉾型角柱
152x21x18p
(頂高3p)
181218-37
134.898384135.546386(南面)
        大阪内北M五町目
(梵字) 一丁 つる屋丁
          出崎鶴吉
(「M」は「浜」の別体)
(「丁」は「了」等かも)
(「出」は「山」に「々」と刻す)
なし大阪内北M五町目
西参道4丁は御崎
ほぼ元位置
蒲鉾型角柱
82x18x12p
114109+5
934.898816135.547197(北面)
   柚原村
九丁 長沢要造
なし別参道から移設か
(亀岡?)柚原村
山型角柱
47x15x10p
(頂高3p)
22981-959
034.898703135.547358宝池寺八大龍王宮   000


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5.【南参道丁石詳細】

39.八丁、道標
尖頭型角柱 126x15.5x15.5p(頂高5p)
N34.894916 E135.544152


写真eimg5750

写真eimg5753

写真eimg5751

写真eimg5748

八丁、道標(南面)
┌────――――――――――――――――――――┐
│是ヨリ                     │
│   龍王山 八丁               │
└――─―――――――――――――――――――――┘

八丁、道標(東面)
┌────――――――――――――――――――――┐
│ 施主 阿州遠藤直左ヱ(門)          │
│      世話人               │
│          當村(□三)        │
└――─―――――――――――――――――――――┘
(( )部は『わがまち茨木』より)

八丁、道標(北面)
┌────――――――――――――――――――――┐
│右 大坂 茨木                 │
│           道            │
│左 柳谷(道中)                │
│     立石阿ふ               │
└――─―――――――――――――――――――――┘
(( )部は『わがまち茨木』より読み下した)

八丁、道標(西面)
┌────――――――――――――――――――――┐
│ 文久三年亥三月建之              │
└――─―――――――――――――――――――――┘


41.八丁、丁石
蒲鉾形角柱 126x20.5x18.5p(頂高3p)(基部3p含む)
N34.895109 E135.544286


写真eimg5731

写真eimg5734

写真eimg5733

写真eimg5732

八丁、丁石(南面)
┌────――――――――――――――┐
│         大阪島之内千年町 │
│(梵字バン)八丁  魚油商奥田彦次郎│
└――─―――――――――――――――┘

八丁、丁石(東面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

八丁、丁石(北面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

八丁、丁石(西面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


2.六丁、丁石
 蒲鉾型、二分倒置、上部80x20x17p(頂高3p)、下部81x20x17p(基部37x22x22p高さ含む)
 N34.896276 E135.544774


写真kimg4186   写真kimg4189

写真kimg4200

六丁(上面)

┌―――――――――――――――――┐
│        大阪玉造     │
│(梵字) 六丁  魚太      │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なしと思う


3.五丁、丁石
 蒲鉾型角柱、122x22x17p(頂高3p)、(基部12p高さに含む)
 N34.896815 E135.545264


写真kimg4214

写真kimg4215

写真kimg4217

写真kimg4218

五丁(南西面)
┌―――――――――――――――――┐
│        大阪玉造     │
│(梵字) 五丁  積善講中    │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし


4.四丁、丁石か
 角柱、上部折損倒置、108x20.5x18p、(基部29x23x21含む)
 N34.897156 E135.545686


写真kimg4230

写真kimg4231

写真kimg4232

四丁?(上面)
┌―――――――――――――――――┐
│ 山               │
│ (御)栄組           │
└―――――――――――――――――┘

 左右面、なし
 下面、不明


5.三丁、丁石
 蒲鉾型角柱、折損上部倒置、上部77x20.5x15?p(頂高3p)、下部55x20.5x16.5p(基部5p含む)
 N34.897515 E135.545984


写真kimg4246   写真kimg4247

写真kimg4250

写真kimg4253

写真kimg4255

三丁(西面)
┌―――――――――――――――――┐
│        海老江      │
│(梵字) 三丁  御膳講中    │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なしと思う


6.二丁、丁石
 蒲鉾型角柱、152x21x18p(頂高3p)
 N34.897966 E135.546024


写真kimg4272

写真kimg4274

写真kimg4276

写真kimg4277

二丁(西面)
┌―――――――――――――――――┐
│        大阪ざこば    │
│(梵字) 二丁  伊丹源     │
└―――――――――――――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に濁点)

 他の面、なし


7.一丁、丁石
 蒲鉾型角柱、122x22x17p(頂高3p)
 N34.898384 E135.546386


写真kimg4329

写真kimg4331

写真kimg4333

写真kimg4334

一丁(南面)
┌―――――――――――――――――┐
│        大阪内北M五町目 │
│(梵字) 一丁  つる屋丁    │
│          出崎鶴吉   │
└―――――――――――――――――┘
(「M」は「浜」の別体)
(「丁」は「了」等かも)
(「出」は「山」に「々」と刻す)

 他の面、なし


8.他参道九丁、丁石
 山型角柱、47x15x10p(頂高3p)
 N34.898816 E135.547197


写真kimg4357

写真kimg4359

写真kimg4360

写真kimg4361

他参道九丁(北面)
┌―――――――――――――――――┐
│   柚原村           │
│九丁 長沢要造          │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし


 
写真kimg4575
【28.龍王山丁石一覧図】

参道概要  南を辿る  南全般  南一覧  南詳細  西を辿る  西全般  西一覧  西詳細  ↑先頭へ  ↓末尾へ

6.【西参道を辿る】
 (同じ丁数で、西参道と南参道を区別する為、これ以降「西」を付ける。)
  南北の府道1号線に西からの43号が合流する三ツ辻、忍頂寺交差点が当参道の起点であるが、丁石の約束事
 である「最初と最後が特別で、中間は同じ意匠」と出来れば良いが、結果的には摘要出来ない状況であった。
 参道入口の大きな石には「昭和九(1934)年…」と銘があるが、その北横にある西8丁丁石と中間にある丁石はそ
 れより古いものと思われ、南参道にある丁石と同じ時期に建てられたとする方が適切かと思います。依って形状
 による起点の決定は出来ませんが、道の状況から参道の始まりに相応しいとして、西八丁から歩測をはじめます。
 考えようによっては、出発点が明確でなかった為、昭和9年に大きな石を横に建てたと出来るか。

  それでは参道を辿りましょう。

写真kimg4558 写真kimg4542 写真kimg4491 写真kimg4475
【1.起点から東を見る 【2.同左写真の鳥居東に 【3.起点東190m、西6丁を東に見る 【4.西6丁東90m、西5丁を北に見る
 右二基とも8丁とする  二基の参道石標が  距離的には妥当と思うが  背後は車道、左からの西参道
 正面の階段を登る】  門柱の様に建つ】  倒置させられている】  は車道に出て東に転向する】

写真kimg4471 写真kimg4433 写真kimg4429 写真kimg4294
【5.西5丁東110m、西4丁を 【6.西4丁東20m、起点上と 【7.1丁から想定2丁辺り 【8.車道から南参道2丁を南に
 東に見る、谷側にあり  同じ二基の参道石標が  右崖上の蛙石の案内板  見下ろす、南参道と兼用と
 不自然な感じがする】  門柱の様に建つ】  2,3丁共に不明】  するには無理があるか】

写真kimg4292 写真kimg4326 写真kimg4354 写真kimg4387
【9.合流点を南西に見下す 【10.1丁を北東に見る 【11.宝池寺前を東に見る 【12.1丁から110m、八大龍王宮を
 左(電柱)は南参道へ  西4丁からは440m程で  寺標に「八大龍王宮」  北東に見る、奥に池が見え
 奥舗装路は西参道を下る】  西参道0丁地点になるか】  宝池寺」とある】  池の奥に本殿がある】

参道概要  南を辿る  南全般  南一覧  南詳細  西を辿る  西全般  西一覧  西詳細  ↑先頭へ  ↓末尾へ

7.【西参道丁石全般】
 1.丁石の起点は西参道8丁、と思われる、遠く「大岩の道標2/2」に丁数を示す24丁があるがこれは南参道
   への案内と見なす。こちらの参道を経由では距離が足りない。
   但し、八大龍王宮を示すものでなく、西参道入口を示すものとすると、地図上ではピタリ24丁になる。
 2.目的地までの残存距離を示す丁石である。
 3.西8丁を示す石は2基あり、大きい石に昭和3(1928)年と紀年がある。参道途中に山型角柱に「龍王山参道」
   と刻む石(標石とした)が道の両側に対で建ち、これが二ヶ所にある。
   それ以外の丁石は大きさや様式がほぼ統一されており、南参道と似ている事から、同時に建てられたもので
   あろう。
 4.不明が7、3、2丁と三基あるが、2丁は南参道の合流地点10m程下にあり南参道と兼用であったかも知れ
   ない。ただ西参道を下部の西8丁からが正しいとすると、兼用は出来ずもう少し下(西)に有るべきです。
 5.1丁は南参道と合流後になるが、西4丁からは440m(4丁)程に置かれており、これが歩測のミスで無ければ
   0丁(目的地点)は現在の1丁丁石を過ぎた辺りとなりこれは容認できない。参道が長くなっている。

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8.【西参道丁石一覧】
茨木市竜王山丁石一覧
丁数北緯東経紀銘紀年特徴大きさ地理院地図上の距離
(m)
表示距離
(m)
誤差
(m)
109m=1丁
2434.877975135.541318(東面)
(指差像)八大龍王山 廿四丁
(南面)
大正五年三月 大阪有志中
         發起人光玉
            木村
大正5年3月
1916年3月
丁石ではなく道標
南参道経由を示すか
西参道8丁を示すか
大阪有志
蒲鉾形角柱
137x26x24.5p
(頂高3p)
35652616+949
西834.897867135.538752(西面)
龍王山参道 本社マテ
       八丁
(北面)
昭和三年御大典記念
昭和三年
1928年
本社と明確に書く蒲鉾型角柱
221x33x15.5p
(頂高9p)
950872+78
西834.897884135.538741(西面)
       大阪曽根崎
(梵字)八丁  渡辺ヱ□
なし大阪曽根崎
六丁も渡辺
蒲鉾形角柱
71x19x15p
(頂高3p)
950872+78
34.897906135.538927左(西面)
龍王山参道
左(東面)
昭和九年四月吉日
右(西面)
龍王山参道
右(東面)
大阪 高津八番町
 綿谷己之助
昭和九年四月
1934年4月
大阪高津八番町山型角柱
左98x18x13p
(頂高3p)
右79x17x13p
(頂高3p)
930
西634.898193135.540751(上面)
        大阪曽根崎
(梵字) 六丁 渡辺フク
なし大阪曽根崎
渡辺フク
八丁も渡辺
蒲鉾型角柱
123x19x12p
(頂高3p)
(基部33p高さに含む)
倒置
433654-221
西534.897966135.541669(南西面)
        西…
(梵字) 五丁
なし埋没か蒲鉾型角柱
51x17x12p
(頂高3p)
655545+110
西434.898424135.542996(西面)
        大阪(南久太…)
(梵字) 四丁 御崎源一郎
なし大阪…
1丁は出崎
蒲鉾型角柱
83x19x13p
(頂高3p)
517436+81
34.898536135.543253(西面)
龍王山参道
(東面)
昭和九年四月吉日
(西面)
龍王山参道
(東面)
大阪 高津八番町
 綿谷己之助
昭和九年四月
1934年4月
大阪高津八番町山型角柱
右70x18x13p
(頂高3p)
左95x18x13p
(頂高3p)
490
134.898384135.546386(南面)
        大阪内北M五町目
(梵字) 一丁 つる屋丁
          出崎鶴吉
(「M」は「浜」の別体)
(「丁」は「了」等かも)
(「出」は「山」に「々」と刻す)
なし大阪内北M五町目
西4丁は御崎
ほぼ元位置
蒲鉾型角柱
82x18x12p
114109+5
034.898703135.547358宝池寺八大龍王宮   000


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9.【西参道丁石詳細】

42.西八丁、道標
蒲鉾形角柱 221x33x15.5p(頂高9p)
N34.897867 E135.538752


写真eimg5690

写真eimg5692

写真eimg5693

写真eimg5691

西八丁、道標(西面)
┌────――――――――――――――┐
│龍王山参道 本社マテ        │
│       八丁         │
└――─―――――――――――――――┘

西八丁、道標(南面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西八丁、道標(東面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西八丁、道標(北面)
┌────――――――――――――――┐
│昭和三年御大典記念         │
└――─―――――――――――――――┘


43.西八丁、丁石
蒲鉾形角柱 71x19x15p(頂高3p)
N34.897884 E135.538741


写真eimg5694

写真eimg5695

写真eimg5697

写真eimg5696

西八丁、丁石(西面)
┌────――――――――――――――┐
│       大阪曽根崎      │
│(梵字)八丁  渡辺ヱ□      │
└――─―――――――――――――――┘

西八丁、丁石(南面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西八丁、丁石(東面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西八丁、丁石(北面)
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


1.参道標石(下の二基)
 山型角柱、右79x17x13p(頂高3p)、左98x18x13p(頂高3p)
 N34.897906 E135.538927


写真kimg4522

写真kimg4523

写真kimg4524

写真kimg4526

参道標石、右(西面)

┌―――――――――――――――――┐
│龍王山参道            │
└―――――――――――――――――┘

参道標石、右(東面)

┌―――――――――――――――――┐
│大阪 高津八番町         │
│ 綿谷己之助           │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし

写真kimg4542
参道を東に見る


写真kimg4527

写真kimg4528

写真kimg4529

写真kimg4531

参道標石、左(西面)

┌―――――――――――――――――┐
│龍王山参道            │
└―――――――――――――――――┘

参道標石、左(東面)

┌―――――――――――――――――┐
│昭和九年四月吉日         │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし


2.西六丁、丁石
 蒲鉾型、倒置、123x19x12p(頂高3p)(基部33p高さに含む)
 N34.898193 E135.540751


写真kimg4495

写真kimg4500

写真kimg4501

写真kimg4498

写真kimg4499

西六丁(上面)

┌―――――――――――――――――┐
│        大阪曽根崎    │
│(梵字) 六丁  渡辺フク    │
└―――――――――――――――――┘

 裏面不明、他の面、なし


3.西五丁、丁石
 蒲鉾型角柱、51x17x12p(頂高3p)
 N34.897966 E135.541669


写真kimg4481

写真kimg4483

写真kimg4484

写真kimg4485

西五丁(南西面)
┌―――――――――――――――――┐
│        西…       │
│(梵字) 五丁          │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし


4.西四丁、丁石
 蒲鉾型角柱、83x19x13p(頂高3p)
 N34.898424 E135.542996


写真kimg4453

写真kimg4455

写真kimg4456

写真kimg4457

西四丁(西面)
┌―――――――――――――――――┐
│        大阪(南久太…) │
│(梵字) 四丁  御崎源一郎   │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし


5.参道標石(上の二基)
 山型角柱、右70x18x13p(頂高6p)左95x18x13p(頂高6p)
 N34.898536 E135.543253


写真kimg4435

写真kimg4436

写真kimg4437

写真kimg4438

(上の二基)参道標石、右(西面)

┌―――――――――――――――――┐
│龍王山参道            │
└―――――――――――――――――┘

(上の二基)参道標石、右(東面)

┌―――――――――――――――――┐
│大 南区高津八番町        │
│阪  綿谷己之助         │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし

写真kimg4433
参道を東に見る


写真kimg4439

写真kimg4440

写真kimg4441

写真kimg4442

(上の二基)参道標石、左(西面)

┌―――――――――――――――――┐
│龍王山参道            │
└―――――――――――――――――┘

(上の二基)参道標石、左(東面)

┌―――――――――――――――――┐
│昭和九年四月吉日         │
└―――――――――――――――――┘

 他の面、なし


6.一丁、南参道と兼用に付き省略

 一丁詳細へ

 
写真kimg4575
【28.龍王山丁石一覧図】


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