10.大阪市住吉区住吉大社南門の道標

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大阪市住吉区住吉町2−9 住吉大社南門の南東20mの境内に南西を正面に建つ
角柱 210x39x21p(角柱の四隅は面取りされており板碑とすべきか)
N34.611513 E135.493887


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南西面
┌─――――――――――――――――――┐
│浅澤乃池  これより         │
│ 大歳の社  東半町         │
└―――――――――――――――――――┘

南東面
┌─――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――――――┐
│ 大正十三年四月吉祥日 取次     │
│              藤田藤次郎│
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――――――┐
│ 奉納 大阪南區難波 大津湯     │
│            朝日潟くら  │
└―――――――――――――――――――┘


(大正十三年は、西暦1924年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載)
(案内先の「浅澤乃池」は現在の住吉大社末社「浅澤社」とその前の池であろう。当道標からは南東80mの三ツ辻南東
 部にある。「大歳の社」は同じく末社「大歳社」で、浅澤社の南の一つ橋を渡り10mにある。よって案内の「半町」
 として問題はないがやや遠く感じられ方向も東よりはむしろ南に思える。昭和七年修整の地図を見てもほぼ道路状況
 は変わっていない様に思えるので、元は武道館の南東の石鳥居辺り
N34.611083 E135.494076
 に建っていたのではないかと考える。ここからなら、東へ40m進み三ツ辻を南に折れ10m都合50m(半町)で浅澤社
 の鳥居となり、歩き出しも東に向かうことになる。)
(Web上に「浅澤社」の本殿前に「芸能を守らせ給ひ婦徳共用を司り給ふ神なり」とする御利益があると出ているのを
 信じると、施主も女性であろうと思われるが、「朝日潟」は苗字であろうか。Webでは「さくらそう」ともある。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北西に望む
 左奥住吉大社南門  奥、上住吉二丁目へ  左(西)武道館
 左、南海住吉大社駅へ】  右(南東)武道館前へ】  右端辺りが元位置か】

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【4.道標北西面中部 【5.道標南西面上部 【6.道標北東面上部
 「大阪南區難波」  「浅澤乃池」  「大正十三年四」
 と読める】  「大歳の社」とした】  と読める】

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【7.道標北西面下部 【8.道標南西面下部 【9.道標北東面上部
 「大津湯」と読める  「これより」  「取次…藤次郎」
 「朝日潟くら」とした】  「東半町」とした】  とある】

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【10.一つ橋より浅澤社を北に望む
 左奥突当りが三ツ辻で
 石鳥居から東40m地点】

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【11.大阪市住吉区の道標】
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