鬼虎川遺跡

現在の西石切町、弥生町、宝町に広がる遺跡である。
もっと解かり易く言えば、ドンキホーテ、生喜病院、ライフ、コーナン等の建物の下に眠る遺跡。
南北に多数の車が走り外環状線(170号線)、東西に通う地下鉄『ゆめはんな』、高速道路第二阪奈などが、この遺跡の上を忙しく走り去っていくのである。

この土地を5メートル掘り起こせば、そこには弥生時代の遺跡が現れ、弥生文化を彷彿させるのである。
昭和41年頃までは、低湿地特有の堀上田などの田畑が広がる地域であったが、170号線の水道管工事により、弥生土器が発見され現在まで遺跡発掘調査が行われてきた。
特に、弥生時代の遺物、遺構が多く、その規模・出土量から、弥生時代中期の大集落(大規模集落)の代表例として有名な遺跡であるらしい。

旧石器時代 縄文時代前期の海岸線堆積層より、石器が出土。西の辻遺跡、千手寺・正興寺・山畑遺跡からも出土しており、
この付近を住居としていたらしい。
縄文時代
 前期の温暖化で上町台地の北端から海水が進入する。これにより形成された河内湾の海岸線の波打ち際から
土器、クジラ、イルカやトチなどの動植物遺体が出土している。この時代の集落は、神並遺跡、縄手遺跡で住居跡がみられ、晩期には貝塚・土器・石器が確認された日下遺跡など段丘・扇状地に遺跡があり暮らしていたらしい。
弥生時代  
   


弥生時代の河内平野 河内湖東南の弥生時代の遺跡群

 

 

 

参考資料
  ●弥生時代の東大阪ー鬼虎川・瓜生堂遺跡を中心に   東大阪市教育委員会 福永信雄
  ●鬼虎川遺跡第58次発掘調査         東大阪市教育委員会文化財課 市田英介・井筒美智与

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