ラムネ哀歌

長年販売してきたラムネが今秋より売れなくなる。
仕入先のラムネ製造所(生野区)が生産量も少なく儲からなくなり廃業するからである。工場跡地は駐車場にするらしい。
そちらの方が楽に金儲けができるし賢い選択。メーカとして当然だろう。
時代の趨勢、時の流れ、ご時世と言えば簡単だが。

子供の頃から慣れ親しんだ飲み物『ラムネ』が店から無くなる。
参拝客に親しまれ、懐かしがられ、珍しがられた『ラムネ』が消えて行く。
戦後5円か10円で売っていた時から現在(120円)まで売りつづけてきたが。
参道で唯一のラムネを売っていた当店も今後はラムネを売れないのである。

レモネードの転訛。レモネード⇒レモネ⇒ラムネ

清涼飲料水。炭酸ガスを溶解した水に少量の砂糖とレモン香料で調味。
(ラムネを飲むとげっぷが出るところから)月賦の隠語。
昔懐かしいガラス製の瓶入りです。
持ち帰りは出来ません。
ラムネの瓶が手作りで高価な為。瓶代必要
光景1
子供はラムネを一生懸命に飲むが、すぐ中に入っている(ビー)玉が、出口をふさぎ、喉に届かないのだ。そこで、お祖父さんがラムネの飲み方について説明。
 この二つの凹みを下にして、凹みに(ビー)玉をのせ、出口をふさがないようにして飲むのだよ。
 おじいさんと孫との会話。
ラムネはコミュニケーションの道具である。

光景2
スペイン系の女性がラムネを飲んだ。空になったラムネの瓶を振り興味を持った。瓶が欲しいというのであげる。彼女は瓶をマラカスのように、振りながら持ち帰った。
ラムネの瓶は楽器である。

光景3
若いお父さんが自慢。俺はラムネを吹いて開けると。
人差し指では開けられる。小指で開ける人もいるかも。しかし、息を吹いて開けるとはなんと言う肺活量か

ラムネ雑学

1)ラムネの定義について    
ラムネとは「玉ラムネびんに詰められた炭酸ガス入り飲料」をいう  
(昭和34年7月1日 農林省農林経済局長名にて)

(2)商品「ラムネ」の解釈について 
 商標法施行規則別表第29類中の「ラムネ」とあるのは、「甘味、香料など を加えた水に炭酸ガスをとかし、びんにつめ、ガラス玉で密栓することを特徴とする清涼飲料の一種」として取扱っている。  
(昭和53年3月27日 特許庁審査第一部 商標課長名にて)

★玉落ち
仕入れたラムネの中に時々『玉落ち』と呼ばれるラムネが混じっている事がある。栓の役目をしているビー玉が口から自然脱落してしまったのである。その為ラムネのガスが抜け、味は甘味のある水と言った感じ。
炭酸ガスの内圧等にかなりのバラツキがあるのだろう。物凄く強い力で玉を押さないと開けられないラムネから、このような玉落ちのものまで、製造の難しさもこの辺りに有るのではないかと推測される。

ラムネは夏の季語
俳句の世界ではラムネは夏の季語になっています。
よく冷えたラムネをラッパのみをしてビンを傾ける。
夏祭りや花火大会、縁日に付き物のラムネ。
風呂上りのラムネ。 
しかし、ラムネは春秋の少し暑い日によく飲まれ真夏はかき氷だ。

レモネード
ラベルが貼付されたラムネ
ラムネは20世紀の飲物として終るのか
わが国初めて炭酸飲料が伝えられたのは1853年(嘉永6年)、ペリー提督が艦隊をひきいて浦賀に来航したとき、飲料水の一部として艦にレモネードを積んでおり、幕府の役人にこれを飲ませたのが “炭酸飲料1号”だといわれている。栓をあけたところぽんという大きな音がし、シューと泡がたった。役人はびっくりして「さては新式銃か!」と思わず腰の刀に手をかけたとか。実はこれが「炭酸レモネード」だったのである。その後、1860年(萬延元年)英国船によって長崎にラムネが持ち込まれ、その後長崎在住のイタリー人(またはオランダ人)によって製造され、もっぱら外人用に販売されたという記録が残っているらしい。その後神戸、横浜でも製造が始まり、ビー玉で栓をする玉ラムネは明治20年代から流行し、大正、昭和,平成の現在に至るまで百年の歴史をもつ飲物として育ってきたという。

ラムネの名称は?

英語のLmonade「レモネード」ということばがなまったといわれています。

1 まず溶けたガラスのかたまり(コブという)をびんの型に入れる
2 圧縮空気を入れて、あのウエストのすぼまったラムネびんの形にする。
3 びんの口はまだ広がっているので、ビー玉を入れる。
4 びんの口をガスで焼いて、柔らかくする。
5 びんを廻しながら、ゴム・パッキンの入る溝をつくり、口を狭くす

ビンの中にビー玉を詰める方法は、ビンの口からビー玉を入れ、予め少し絞っておいた中間に引っ掛け、それからビン口を絞るといったものです。但し、既にラムネビンを生産する所がないとのことです。

★10年程前、瓶を2ピースにしたものが採用された。瓶の口部と本体部に分け、左ネジで結合していた。この瓶では口部が外れ玉が取れた。しかし、その後見掛けなくなった。コスト、性能など問題が有ったのだろう。
どうしてビー玉というんだろうか?

ビー玉の『ビー』はポルトガル語の『ビードロ』 【ガラス】の略で、ガラス玉のことと言われている。

ビンの中に入っているビー玉は、ガラスビンを傷つけないように、一切キズのない一級品だけを使っているという。そのため、遊具としてのビー玉 をビー(B)玉というのに対し、ビンの中のビー玉はA玉という人もいるのだそうだ。

しかし、ビンの中のビー玉を取り出そうとしても、ビー玉 は取り出せない。

ラムネを造る
甘味料にシロップ(砂糖と香料)を使い、冷却水に炭酸とシロップを混ぜて逆さにしたビンに詰め(この工程によってビー玉がビン口に落ちます)、さらに炭酸ガスによる圧力のかけられたビー玉で密封するラムネ

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ラムネの瓶に水を約170cc
入れる。
この時、砂糖等を一緒に溶かすと
ラムネとして飲める。
重曹(炭酸水素ナトリウム)昔から医薬やふくらまし粉、さらし粉として使われてきた
アク抜き、煮物等々に使用


クエン酸
酸味料として種々の食品に広く使用
清涼飲料水、ジャム、ゼリー、チーズ等々

重曹1g
クエン酸1g
を瓶内に入れる。
ラムネ瓶内は
化学反応を起こし二酸化炭素の
泡が発生する。

瓶の口を手で強く押さえ
瓶を逆さにする。
ガスは瓶の上部に溜まりガス圧が増大する。
瓶を振るとよりガスの発生が促進される。
逆さにした瓶の口から水が漏れなくなったら瓶を元に戻す。
ビー玉がゴムパッキンに密着した。
ビー玉が栓の役割をした。

炭酸ガス発生の確認

燃えた線香を
ラムネ瓶の口に入れる
火がすぐ消える

 

 

2000年7月11日付の地方紙・中国新聞記事内の広島県清涼飲料工業協同組合の話によると、1890年頃初めて設立された広島のラムネ工場は1955年には県内108社(そのうち、広島市内に42社)あったのだが、年々減少しており、2000年7月までで県内6〜7社(広島市内2社)となっている。さらに、広島市内では7月末に1社が廃業するとのこと。
廃業する新庄飲料工業所(広島市西区大宮)では最盛期には55万本製造していたのが1999年には10万本に減少してしまったという。駄菓子屋や銭湯などの卸先の減少の他、シェアを他の飲料水とコストが瓶よりも3割安いぺットボトル製ラムネに奪われたのが原因。
「(使い捨てのペットボトルと違い)ラムネ業界は瓶を回収して繰り返し使い、率先してリサイクルを推進していたのに」と新庄飲料工業所の浜本利道さんは複雑な胸中を記事内で語っていた。

1926年〜1959年の間まで酒税と同じ間接税の対象になるほど売れ、日本海軍の戦艦などにもラムネ製造機が置かれていたぐらい人気があったのに……。

 

ラムネ徒競走

ラムネを飲み干し、ゴールを目指す
運動会のラムネ飲み競争
ラムネを如何に早く飲み干すかが、この競争のポイント。
早くの飲もうとしてラムネを上に向けると玉が詰まってなかなか液体が出ない。
ラムネを効率よく飲むにはどうすれば

瓶の角度  流出時間
水平     8秒14  但し50cc残
 10度    6 16   玉の詰まり無し
 20      7 85 1回玉詰まり
       10 53  3回  〃
       15 79  6回  〃
瓶の中程にある窪みを底辺にし、瓶を少し
傾け(約10度)飲むと、玉が出口に詰まらずスムースに飲める。

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