水墨画1

旅行

  赤目四十八滝

 

  北海道の道

ずっと向こうの先まで、真っ直ぐに延びる道。
道の両側は白樺の並木がどこまでも続く。
ルピナスの花が咲く田園。
広大な土地、拡大する視界に気分も拡がる。

  観光バスの窓から写す
遠くに斜里岳がゆったりと屹立する。一面は広大な田園
防風林が長々と連なり、畑の畝筋が先の見えなくなるほど
真っ直ぐに伸びる。栽培されているのはじゃが芋だろう。
北海道の雄大さを感じながら、次の宿泊先の温泉に急ぐ。
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3 倉敷

遍路の帰途しまなみ街道を渡り倉敷で泊まる。
翌日倉敷美観地区を歩く。大原美術館ではヨーロッパの美術作品を堪能。そして倉敷川に沿って柳が植えられ、漫ろ歩く観光客も多いが風情がある。大原邸、民芸館、考古館,土産物店など見るところは多い。

中橋をバックに描く。雰囲気として城崎を連想する。

4 明石大橋

淡路島側からの風景

  東京の北東部、江戸川のほとりに位置する葛飾柴又は、水と緑と下町の風情あふれる街並が調和した門前町です。参道の突き当たりにあるのが江戸時代に創立された『帝釈天』
正式名称は経栄山題経寺といい、厄除け、延寿、商売繁盛に霊験あらたかとのこと。

葛飾柴又『帝釈天の参道でくるまやという団子屋を営むおいちゃんとおばちゃん夫婦。
映像に現れる『よもぎの葉』や江戸川の『よもぎ摘み』には
強い哀愁を感じるシーンである。

帝釈天から少し行くと、「寅さん記念館」がある。入館料500円を支払うとそこは「男はつらいよ」の世界。
撮影スタジオのセット、マルチスクリーン、資料展示コーナ、
記念撮影コーナ、寅さんグッズなど。

裏手には江戸川堤防、ここを登ると「矢切の渡し」が眺望される。

1 興福寺

光明皇后の出身である藤原氏の氏寺。
五重塔は光明皇后が建てた。室町時代再建

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1 融通念仏宗  総本山 大念仏寺  (大阪市平野)
  http://www.yuzunenbutu.com

毎年5/1〜5/5まで行われる「万部おねり」は有名。大阪市指定無形民族文化財。娑婆世界から極楽浄土に出現される一大極楽絵巻が始まる。二十五体の菩薩様のおねりによる絢爛豪華なる来迎の世界が出現。

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3 叡福寺太子御廟 参拝 (H18/2/22)

太子道をたずねる集い〜磯長ルート
 斑鳩の宮で逝去された太子のご遺体は、母間人皇后が葬られている河内磯長の御廟へと運ばれたと伝えられる。その道のことを「太子道」と呼んでいる。これら1400年もの間太子の遺徳を偲ぶ多くの人々に護られ、語り継がれてきた。太子の命日である2月22日を「太子の日」として、太子を偲び太子像と共に太子の時代に思いを馳せつつ歩くのである。

当日は講師として奈良大学名誉教授水野正好先生の大変興味あるお話を聞きながら、約180名の参加者と一緒に3班に分かれ下記のスケジュールで歩いた。

法隆寺9時出発⇒龍田神社⇒達磨寺⇒尼寺廃寺⇒香芝正福寺⇒(昼食)⇒志都美神社⇒どんずる嶺⇒太子町役場⇒叡福寺16時

4 大安寺   南都七大寺  癌封じの寺

癌封じ  1月23日 癌封じ笹酒祭り  青竹の筒で温められた笹酒の薬効が御利益あり、古都奈良の新春の風物詩となる行事がある。また、6月23日にも竹供養、癌封じ夏祭りがあり、笹娘による笹酒が振舞われる。
境内の竹も立派なものである。奈良時代は大伽藍を誇る。

寺の東側に推古天皇社がある。592年豊浦宮で日本初の女帝になり、聖徳太子と共に歴史を彩った。

親戚が胃にポリープができ摘出手術の入院をしたため、見舞いに大安寺の癌封じのお守りを持って行く。ご利益があり手術後も良好である。

5 奈良  二月堂

お水取り。大松明の火の粉を被り一年間の健康を祈りに行ったが、寒い冬の夜、数時間立ったまま待つ、既に多くの人が並んでいる。松明がスタートしても、ぞろぞろ大観衆の行列に続き、欄干から突き出された大松明を拝めたのは一瞬であり、後に続く人に押され、入れ替えさせられるのである。

戒壇院から二月堂へ。築地塀などを眺めながら、石畳の坂道を上がり、急な階段に立ち見上げた二月堂である。鹿がいて、お水取りとは違った雰囲気である。

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