5m下に弥生時代の遺跡が残る

大和川は、奈良県の川が集まって出来た川で、生駒山を越えて河内平野に流れていた。大阪城の北で淀川と合流して大阪湾に注いでいた。しかし、川底に土砂が溜まり大雨で洪水を起こした。小手先の幕府の対応では解決せずにいたが、大和川は今から約300年前(1704年)付け替えられ今の川筋になった。

それまでは幾度となく繰り返される洪水に河内の人々は苦しんだ。元禄16年(1703年)幕府に付け替えが認められ
1704年工事がなされた。
付け替えられた後は、河内の洪水は無くなり、深野池、新開池、それまで川が流れていた土地が田畑になりました。新田には米や河内木綿が作られた。また、鴻池新田に代表される商人が地主になり発展した。

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