初めての海外出張
昔の記憶を辿って、思い出すままに書いてみました・・・・
私の初めての海外出張は、今から20年以上前でした。中国の遼寧省、審陽です。満州時代は奉天と呼ばれていた所です。当時の関東軍が建てた大和ホテルも、名前が変わって、そのまま残っていました。近くには、毛沢東のでっかい銅像が建っています。この銅像、恐らくは、レーニンの真似をしたのだと思いますし、金日成もそれを真似したのだと思います。このホテルには、溥儀、李香蘭、甘粕大尉も通ったのでしょうね。そういえば、最初にミャンマーに行った87年当時の大使は、李香蘭の旦那様でした。
行きの飛行機は、CAAC(中国民航:当時)のエコノミークラスでした。スチュワーデスのぶっきらぼうな対応、水割りを作る時に氷を入れるシャベルみたいなヤツが、プラスチックのままごと道具に見えました。 で、到着した北京空港は、回りに煉瓦造りの建物が見えました。長時間並んだ入国審査、隅々までチェックされた税関を通過して、銃を肩にかけた警備兵のそばを通って、出迎えに来てくれた商社の方と、タクシーに乗って並木道を通ってホテルに到着。商社の応接室で酒を呑みながら、中国での注意とかいろいろ聞いて、その後は、ポーカーして遊んだ記憶があります(呑み屋なんかありませんから)。
翌日、審陽へ移動です。ホテルから空港へ向かう途中、空港までもう少しの並木道で、突然「ボン」と音がして、乗っていたタクシーの後部タイアがパンク!降りてみると、つるつるの溝無しタイア(*1)でした。なんとか空港まで到着し、飛行機を見ると肩翼のプロペラ機です。ちょうど、北京発審陽行きのジェット機がハイジャックされて韓国へ行った事件の直後で、再発を恐れたCAAC(中国民航:当時)が、航続距離が短いプロペラ機にしていたようです。飛行機に乗ったら、スチュワーデスがハエ叩きを持って、機内にいるハエを退治していました。その後、中国民航の名前が入ったビニール袋を貰いました。最初は何だろうと思っていたのですが、当時の中国はビニール袋が珍しい物だったらしく、登場記念にそれは貴重な物だったようです。扇子が配られる時もありました。
審陽に着いてチェックインしたホテルは、遼寧大廈です。部屋番号は忘れもしない541号室。見事なカヤがベッドの上から吊されていました。翌朝、緊張もあって、5時過ぎに目を覚ましてウトウトしていたら、服務員の女の子が、忍び足で部屋に入ってきました。何をするのかと思い、薄目を開けて見ていたら、お湯が入ったポットを交換しに来たのでした。今でもたくさん残ってますが、当時は、ガラス魔法瓶にコルク栓のポットでした。
朝飯は食堂ですが、当時は、宿泊客が座るテーブルは常に決まっていましたので、持ち込んだ醤油・マヨネーズ・ソース、ウイスキー等は、そのテーブルに置きっぱなしでした。昼食・夕食も基本的にホテルの食堂です。
9時半頃、お客さんが迎えに来ました。お客さんが人民解放軍の施設の為、皆、軍服でした。仕事を始めて30分、10時半に「お茶の時間」になりました。お茶を飲みながら、皆で歓談すること30分、仕事を始めます。更に1時間後には、昼食の時間でホテルへ戻ります。昼食後、2時半まで「昼寝の時間」です。2時半から3時の間に迎えに来てくれまして、仕事を始めると、すぐに「午後のお茶の時間」になります。早々に切り上げて仕事に戻ったら、すぐに5時になって終了です。ホントにのんびりしてました。
休みの日は、お客さんからの接待を受けます。北京にある故宮の前身は、審陽にあります。そこに招待され、一般観光客が入れない所まで、あちらこちらを案内してくれました。さすがに人民解放軍ですから、何でも出来るんだと感心した記憶があります。
途中、トラブルでパーツを北京まで一人で取りに行き、戻りの便が朝から待てども待てども出発せず、アナウンスも無く、夕方になって、突然、運行中止になったりとか、結構いろんなトラブルがありました。
審陽での仕事が終わり、北京に戻ってから、万里の長城、明の十三稜、故宮博物館の観光もしました。この当時、洋食は国際倶楽部でしか食べられず、あの北京飯店のレストランでもメニューの半分以上は、「没有」(ありません)です。長安街でも、車は中央の2車線だけを走り、その外側それぞれ2〜3車線は、自転車だらけでした。皆、人民服です。お金は外国人用に兌換券というのがありました。これが、使えるのはホテルと友誼商店だけでした。他の場所では誰も受け取ろうとしなかったですね。また、ホテルのカフェやレストランは、一般人民には開放されておらず、外国人だけが利用出来る場所でした。
帰りは同行した先輩がどうしてもJALでないとダメだと言うので、大阪経由で帰る事になりましたが、北京−大阪で勤務していたスチュワーデスさんと、大阪−羽田便で隣同士になって、結構楽しかったです。期間にして1.5ヶ月。昔の海外出張は長かったですね。
(*1):現在でも、タクシーのタイヤには、溝が少ない物がたくさん走っています。数年前、上記の出張に一緒に行った先輩が、雨の高速道路での乗っていたタクシーによる自損事故で、ドアから車外に放り出され、同乗していた現地事務所の女性も、リアウインドを破って車外に放り出される事故に遭いました。幸い、2人とも命に別状はありませんでしたが、先輩の方は、未だに繋がっていない肋骨があります。朝早い飛行機で移動した後のタクシーだった為に、社内でうとうとしていたので、ぶつかる時に構える事が出来なかった様です。運転手は、殆ど無傷です。
運転手は、高速道路だからスピードを出さないとダメだと思ったと話しており、全く安全に関する知識やタクシーたる運転技術も持ち合わせいません。
これは中国に限らず、殆どの開発途上国では同じですから、旅行される方は要注意です。