次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 06月 01日 23時 02分 27秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

今日スルットKANSAI3DAYチケット最後の1回を使用するべく和バスに乗車したら入り口のカードリーダーで突き返されてしまいました。

終点の和歌山市駅でその旨を運転手の方に告げると、リーダーを通して調べてもらいましたが、やはりエラーが出たので、裏面の印字を見て残り1回あることを確認し和歌山市駅で調べてもらい再発行をしてもらうようにとの事で降ろしてもらいました。

和歌山市駅の改札でこの旨を再び告げると、再びカードリーダーで調べてくれましたがエラーが出たので、他の係員を呼んでくれカードを再発行してくれました。

見ていると、改札機の上部カバーを開き、なにやらテンキーを叩き、新しいカードを通してそのカードと交換してくれました、裏面の印字を見ると2回目の使用記録がそのまま記録されており残り1回使用可となっていて、その再発行のカードで無事改札を通過できました、この間約5分間で南海電鉄和歌山市駅の係員の方がスピーディに対処をしてくれたため、無事に目的の列車に乗車することが出来ました。

実はこのカード和バスの本社で購入した物なので発行社まで行ってくれと言われないかビクビクしておりました、またこのカードの2回目は会社の友人に貸してから郵送で返却してもらったので、その際強い磁気を帯び情報が消失してしまいエラーが出たのでしょうか?

和バス乗車の時車内の広告で発見したのですが「和バスチョロQ」が6月15日から限定発売されるようです、デザインはオーシャンともう1つは確認できませんでした。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 30日 22時 13分 20秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

今日午前8時過ぎに南海和歌山港線で列車事故がありTVのニュース映像では2231が被害に遭った模様で前面の運転士側の窓ガラスにひびが入り、また客室のガラスも割れたようですが、幸いにも乗客が2名だけで、運転士にもケガがなかったようです。

和歌山港線もワンマン化されているのでこんな時は一人で大変でしょうね。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 28日 22時 44分 16秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

きしさん http://www.jr-odekake.net/ で調べてください。

しおかぜのページさん 私の祖父は讃岐の出身でした、南海フェリーに乗れば2時間で徳島です、機会があれば四国のローカル線探訪にに行きたいです。

きし さん (cfanj302) 2001年 05月 28日 20時 34分 38秒
URL:platinumgoat98

6月26日に和歌山から新大阪に
いきます。詳しい時刻表を教えて下さい。

しおかぜのページ さん (shiokaze@juno.ocn.ne.jp) 2001年 05月 26日 19時 55分 31秒
URL:http://www5.ocn.ne.jp/~shiokaze

初めての書きこみです。 和歌山県の隣の四国の鉄道の話題です。
5月12日〜13日にかけて JR西日本の485系が四国に初めて
やってきました。 5月13日の新高松駅開業記念式典のイベントの
一貫です。 

また、松山市内では、今年の秋、SL坊っちゃん列車が走ります。
伊予鉄道から機関車、客車の具体的な発表がありました。
一番ユニークな点は、終着道後温泉駅では、乗客、乗務員が力を
合わせて、人力で機関車の向きを変えるという点です。
四国の鉄道も話題ば豊富です。 一度しおかぜのページをご覧に
なってみて下さい。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 24日 19時 49分 24秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

ことしも貴志川線にほたるヘッドマークが付いたようで、6月2日のホタルオフ楽しみにしております、今年はたぶん晴れる事を期待して貴志川線で行く予定です。

まるくにさん、たまさん よろしくお願いします。

たま さん (hisaki@naxnet.or.jp) 2001年 05月 24日 17時 26分 30秒
URL:http://www.naxnet.or.jp/~hisaki/

貴志川線の車両に今年もほたるヘッドマークがついた編成が登場しました。
詳しくはみていないのですが、去年と同じような感じだと思います。

たま さん (hisaki@naxnet.or.jp) 2001年 05月 23日 02時 24分 43秒
URL:http://www.naxnet.or.jp/~hisaki/

先日、きのくに線にクモヤ443が入りました。
雄ノ山峠を越える車両の撮影ができましたので、画像掲示板にアップしておきます。
また、先日の羽倉崎での撮影会の際に小さいながらも撮影できたTc1751もアップしますね。

貴志川ほたるオフ、わたくしの諸都合のために、幹事をまるくにさんにお願いしてあります。
#ご迷惑をおかけします>まるくにさん
今年こそはほたるをみたいですね(苦笑)。みなさんふるってご参加ください(^^)

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 22日 22時 14分 11秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

大八車 さん 今でも「ヨンサントー」の改正はすごかったようですね。
初代の「あわ号」の1551系は知らないのですが、普通車に戻ったときのクロスシートのまま普通で運用していた1551系は小学生の頃乗った記憶がありました。

キハ75系ファン さん ボンネット式の「くろしお」は電化前に乗車したことがあります、今は弁天町の交通科学館で余生を送っていますね。

昔は草津発和歌山市行きという列車がありましたよ、最近ではほとんどが新宮で分断され、紀伊半島を一周する列車が無くなってしまいましたね。

まるくに@幹事代行 さん (nakagawa@naxnet.or.jp) 2001年 05月 22日 21時 04分 54秒
URL:http://www.naxnet.or.jp/~hisaki/off07.htm

お久しぶりです。
今年も、たま@OCEAN STATIONさんで毎年恒例の貴志川ほたるオフを開催いた
します。今年は、たまさんが多忙のため、私が幹事代行を勤めています。
詳しくは
http://www.naxnet.or.jp/~hisaki/off07.htm
をご覧下さい。
参加希望の方は私の方までメールでお願いします。
なお、現地に車で来られるか、電車で来られるか明記して下さい。
多数の参加をお待ちしております。

大八車 さん 2001年 05月 20日 13時 41分 50秒

次田さん回答ありがとうございました。胸のつかえが取れた感じです。国鉄の昭和43年10月の改正は、今までの歴史で一番有名なくらい大きな改正でしたが、南海でも時を同じくして改正を行ったんですね。南海の改正も、かなりの変化をもたらしたようですね。それにしても次田さんは何でもよくご存知なんですね。

キハ75系ファン さん 2001年 05月 20日 12時 52分 44秒
URL:http://homepage2.nifty.com/kiha75/

こんにちは。和歌山は特急がたくさん走ってていいですね。「くろしお」(名古屋-天王子)は豪華ですね。HP最近開設しました。見ていってください。掲示板もかいってて下さい。みんな最初はみておどろきますよ(×だらけで・・・)

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 19日 23時 52分 17秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/myalbum/memories/m1985/m1985.htm

大八車さん書き込みありがとうございます。
さてご質問の件ですが、昭和36年10月1日の改正で四国連絡列車は特急に格上げされ、昭和38年12月1日からは一部座席指定に、昭和43年10月1日のダイヤ改正で通勤特急が廃止され四国連絡特急のみとなり名称も「四国号」に統一されたようです。
また、昭和44年12月15日にフェリー「なると丸」が就航し、7便からから12便に増便された際に3往復の和歌山港行き急行が延長運転されました。

そして昭和60年(1985年)11月1日から特急「四国号」に代わり「サザン」が登場しました。

この辺の様子はhttp://www.snet.ne.jp/tsugita/train/myalbum/memories/m1985/m1985.htmをご覧下さい。

polo さん  水軒の浜は私も小学生の頃泳ぎに行った思い出があります、市電の水軒口電停から西に歩き、川を越したところに松林がありその先が水軒浜でした、今はその松林の海側に和歌山港線の水軒行き線路が走っています。

polo さん 2001年 05月 19日 20時 57分 42秒

和歌山軌道線のお話、興味深く拝見させていただきました。自分も小さい頃はよく両親に連れられ大阪の上町線や和歌山市電に載る機会がありました。ただ、塗色といい、連接車といい、和歌山の市内電車が大好きでした。今の本町界隈の衰退も電車が存続していればなかったのではないかというのは極論でしょうか。年老いた母がよく口にするのは、市電と水軒の浜を失ったのは本当に寂しいということです。

大八車 さん 2001年 05月 18日 16時 35分 18秒

はじめまして。阪南市在住の大八車といいます。今個人的に、南海の歴史について調べているんですが、どうしてもわからないことがあるんです。

南海では、昭和31年5月に和歌山市−和歌山港(現築港町)間が開通し、南海四国ラインが就航しました。同時に四国連絡急行「あわ号」が運転されるようになりました。そして、昭和37年4月には四国のほうでも、国鉄が連絡列車を走らせるようになり、「あわ号」も特急に格上げされ、そのうち高知接続となる列車が「とさ号」となったのです。そこまではわかっているのですが、その「あわ号」、「とさ号」がいつまで走っていたのかがどんな文献にも載っていないんです。また、「四国号」がいつ走り始めて、いつ廃止されたのかも正式に知りたいんです。私の憶測では、「あわ号」と「とさ号」が統合されて「四国号」となったんではないかと思うんですが。誰か、どんな些細なことでも構わないんで、何か知っていることがあったら教えてください。よろしくお願いします。

電車事故 さん 2001年 05月 14日 16時 46分 29秒

なーにが鉄道だ!!木瓜!!あんなのただレールの上を走るだけだろが!!鉄道紙ね!!このお宅どもがよ!!
鉄道と結婚してろ!(笑)

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 10日 20時 33分 11秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/data/historical/wakidou01.htm

和歌山営業所 さん 、ピンスケ さん 懐かしい市電のお話ありがとうございます、もう廃止されてからかれこれ30年程経っているのですね。

311は戦災車の足回りを利用し和歌山電気軌道時代に製造された1台だけの車両でよく「市駅−東和歌山間」の運用に入っていました、兄弟分の連接車2000形はラッシュ時に市駅−車庫前間でよく走っていましたが、あまり乗車の機会はありませんでした。

251形は南海時代に最後に中古で導入された車両のせいかあまり乗車した記憶がありません、乗降口が前後のため311や321形より古く感じました。

一番面白かったのは500形で郊外電車並の大きさのためステップが高く、子供や老人が乗降するのに苦労したり、背が高いため琴の浦のトンネルを通過できないため、海南方向には行けなかったという噂がありました。

PRで恐縮なのですが、昭和42年当時の資料を上記URLにTEXTで掲載していますのでご覧下さい、写真があればよかったのですが。

ピンスケ さん (min37er@hotmail.com) 2001年 05月 10日 19時 48分 11秒

聞くところによると、311号は、戦災に遭った200形206号の足回りに、新製した車体を載せて作られた車両だそうです。
その後投入された321形には基本的に311号と同型の車体が採用されましたから、311号は、台車等が200形と同じで、車体形状は321形と同じで、色は白と青のツートンという、極めてユニークな存在となりました。見ようによっては、321形よりも洗練された車両だったと思います。乗り心地も、200形よりは良かったような・・・。
私個人的には、251形も好きでしたね。たしか秋田市?から購入した中古車両だったと思うのですが、購入時の更新で車内などはとても綺麗になっていました。窓が大きくて、走りっぷりも軽快だったように記憶しています。

和歌山営業所 さん (zxb11407@nifty.ne.jp) 2001年 05月 09日 02時 04分 28秒

次田様 やっぱり和歌山では「市電」で通っていましたよね。 市営という
意味でなく広義の市内電車、といった意味合いでしょうか。 
1000型1004号はよりスマートになった後期型でしたっけ。 311
号はたしか1形式1両の青ガエルですね。 2000型連接車は私も乗る機
会に恵まれなかったか、幼少期の記憶にありません。
今でこそ和歌山は後進県などと言われますが、市電は当時先進であったと思
います。 全車パンタ集電(Zパンタでなく)、連接車は間接制御式、321
型はダブルコイルの枕バネなど。

MM様、ピンスケ様
和歌山市電の廃止時期は、採算もさることながら、国体開催や全国的に路面電
車排斥?とでも思えるような風潮の中、右に倣えで先人の築いた貴重な庶民の
財産を葬り去ったと思われ非常に残念です。
路面電車の邪魔者扱いは和歌山だけにとどまりませんが、日本は奈良や京都で
の路面電車新設・復活の機運が最近ようやく高まりかけているように、最初か
らわかっていたことにようやく気づいたようです。 奈良はともかく、京都な
んかは完成されたネットワークがあったにもかかわらず、全廃してしまった代
償は高くつくことでしょう。
いかに自動車大国で自動車生産が外貨獲得に貢献しているとはいえ、国内のマ
イカー偏重の政策はそろそろ見直し、公共交通との棲み分け・使い分けを自動
車発祥国ドイツに見習い実践してもらいたいものです。
さもなくば、公共交通という社会資本はますます脆弱化し、資源・環境問題も
深刻化することでしょう。 また、毎日のように新聞紙面に交通死亡事故の記
事が載る現状からの脱却も難しいと思われます。 みなさんはどう考えられま
すか。

ピンスケ さん (min37er@hotmail.com) 2001年 05月 08日 10時 12分 27秒

はじめまして。和歌山在住のピンスケと申します。宜しくお願いします。

>和歌山営業所さん MMさん
私も子供の頃「市電」(正式名称ではありませんが、みんな市電と呼んでました)に慣れ親しんだ記憶から、和歌山にも路面電車が残っていれば良かったのに、と心から思います。
ヨーロッパなどでは環境保護の観点から路面電車が見直され、新たに敷設されるところもあると聞きますが、日本だと、そうもいきませんね。
しかし、鉄道という、地球環境に優しい交通手段を、ただ「採算が取れない」というだけの理由で廃止するのは、どう考えても時代の流れに逆行しています。
せめて、現存している路面電車やローカル線を、公的資金を投入してでも残すように、行政側も検討して欲しいと思います。
無駄な公共事業をするよりは、よっぽど地球の将来のために役立つ投資になるはずです。
それに、こういうことへの公的資金の投入なら、納税者も納得するのでは・・・。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 08日 00時 20分 30秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

和歌山営業所さん 私も和歌山市電で大好きだったのは1000形の1004と311でした。
321形の南海時代のクリームとグリーンよりも和歌山電気軌道の白と青のツートンが良いですね。

MMさん 和歌山軌道線は和歌山国体が開催されるために廃止されたようです、紀三井寺競技場横の専用軌道の踏みきり等と紀三井寺交差点付近の軌道敷きが障害になったのでしょうか、この時に国体道路、42号線の堀止−高松間のバイパスが完成し、紀三井寺−琴の浦間の専用軌道は遊歩道になりました。

SuperChetさん 書き込みありがとうございます。

南海の旧々カラー(非ツートン)で屋根が茶色の頃が懐かしいですね、私も残念ながら2000系が活躍していたあの頃の写真は撮影しておりません、数年前引退した2代目1521系の初代(3両編成)が登場した時はグリーンにオレンジ色の帯を巻いていました。

やはり南海は「みどり」が良かったですね。


SuperChet さん (supercomposer@hotmail.com) 2001年 05月 06日 09時 21分 37秒

大阪に在住のSuperChetと申します
初めてカキコさせていただきます

南海電車の塗色についてなのですが 1973年までと それ以降の 急行車両の
上下割りのツートンの色が 変更になっていますよね?
どうしても それ以前の写真が見たいのです
当時 私は北摂に住んでおりまして 母方のおばあちゃんが 泉佐野に住んでおりましたので
よく 南海電車を利用しました
が 高校に入学した1973年ごろ 塗色が変わっているではないですか!
、、、、で やはり 幼少の折りに インプリントされた あの「色」を見てみたい! と ずっと思い続けております
どなたか お持ちの方おられましたら ご連絡をお願いしたいと思います
宜しくお願い致します!

MM さん 2001年 05月 06日 07時 37分 03秒
URL:cfaab708@jtw.zaq.ne.jp

昔のアルバムを見返してみると市電廃止の日の切符がありました。廃止の日に確か運転手さんに頼んだら黙ってくれたことを思い出しました。1区が30円(市駅、和歌山駅・車庫前間)、2区が50円(市駅、和歌山駅・新和歌浦間)、4区が90円(市駅、和歌山駅・海南駅前間)でした。なぜか3区がありませんでした。いくらだったのでしょう。それにしても30年前は30円、今は230円とはずいぶん高くなったものです。もっとも和歌山市から五条・木津経由で京都まで630円の切符も残っていますから、そんなものだったんでしょう。廃止の頃の風景を本の写真で見てもとても市電が交通障害の原因になっていたとは思えない交通量です。堀止付近などの狭い道路が理由だったのでしょうが、国道の拡幅後は問題にならなかったでしょうね。もったいないことでした。

和歌山営業所 さん (zxb11407@nifty.ne.jp) 2001年 05月 05日 23時 40分 05秒

岡公園の321号も、あの場所に保存されてはや30年経ちますね。
製造が昭和38年10月だったと記憶していますが、現役時代はわずか
7年余、それからずっと30年静態保存の生涯です。 運良くたった1
両だけ第二の職場を見つけた324号も松山でその役目を終えて今はな
く、和歌山軌道線の車両で今見ることのできるのはこの321号と黒江
の322号だけとなりました。 322号の方は姿が変わり果てていま
すので、当時を偲ぶには321号の方が良いかも知れません。
私が子供の頃、1000型が最も気に入っていましたが、そのすがすが
しい白と水色のツートンカラーとともに現存しません。 たまに路面電
車の走っている地方都市へ旅行したときは必ず乗車してきますが、和歌
山にも残っていたらなあ、とやりきれない思いに駆られています。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 05月 05日 19時 18分 07秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

和歌山でのワンマンは和歌山−和歌山市間が最初で専用の105系が担当していました。
最近では南海の貴志川線、紀勢線の紀伊田辺以南、4月からは南海和歌山港線の普通、加太線もワンマンになりました。

今日5月5日は恒例の岡公園に展示されているC57119、南海和歌山軌道線321の一般公開があり、3時頃に覗いてきましたが今年もかなりの人出がありました。

和歌山軌道線の電車を監督していた知り合いと話をするため30分くらい車内にいましたが、子供の頃に乗車したことがある人が自分の子供に説明したり、ご老人が孫に説明したり、昔を思い出すように車内に座られている姿が多数見受けられました。


飯田線沿線住民 さん 2001年 05月 01日 20時 42分 31秒

ちょっと古いネタですが、ワンマンカーについて。。。

長野から静岡にかけて走る飯田線も先日のダイヤ改正より一部列車がワンマン化されました。
こちらの電車は119系(広島のほうで走ってる105系のセミクロス版って感じですな)で
改造の仕方自体は和歌山線と似たような感じです。

この路線は冬季はドアが半自動になり、ワンマン運転の場合無人駅では、
1両目後ろ寄り車内側のドア開閉ボタンの「開」側が操作できないようになっていました(ように思います)。
春になってから利用していないため、ワンマン時のみ半自動になっているかどうかは後日調べてみたいと思いますが、
やはりある程度「制限的」に、例えば乗車が無いときは後ろのドアを開かない、てな感じにできないのでしょうか?
あるいは運転席から遙か彼方の一番後ろでなく中間よりのドアを乗車ドアにするのもいいんじゃないかと思うのですが。

システムを知らない人もいるわけで、その人たちにとってよりわかりやすいシステムにする必要があるように思います。
乗客にはっきりと「ワンマン」であることをアピールする(方向幕とか電光掲示板とか)力が和歌山線の105系電車には弱いように思います。

#和歌山駅の跨線橋側から乗って、いちば〜ん前まで込み合う車内を移動するのは辛いですからね。。。

...たまに書き込むと文章力が落ちるのが一目瞭然ですね(--;;

まに さん 2001年 04月 30日 01時 39分 04秒

訂正です。最後に、
#時期を間違えると取りすぎた運賃返せって事にも・・・なりかねないですね
ということを書きたかったのですが、半角中点入れたために化けてしまいました。スミマセン
下半分は冗談入ってますので、もし気分を害されましたら削除しちゃってください。

まに さん 2001年 04月 30日 01時 28分 04秒

こんばんは、MMさん。駅の移動による運賃改正ついてはやはり利用者の損得の関係があるためではないでしょうか。駅が移動する事によって近くなる人(運賃が安くなる)と遠くなる人(運賃が高くなる)が出るため、その時点での改正が必要だったのではないでしょうか。200mは結構大きいです(特に定期券に関しては)。で、下の記事に補足なんですが最初の投稿で私が言いたかったのは下に書いた理由から実キロと営業キロは必ずしも一致しないということが言いたかっただけです。もちろん実キロに沿った営業キロにしていただきたいと私も思います。
紀勢線の件に関しては私もよく知らないのですが、運賃改正が行われなかった理由について過去ログからちょっと冗談も入っていますが推測してみました。
1.儲かる区間での収入減は痛いから
2.改正する事を忘れていた
3.工事の中断などで改正のタイミングを失った
4.駅が移動したわけではなさそうなので、改正しなくてもよかった
1や2に関してはもちろん論外ですが、3の場合、今頃行うと何を今更って感じもします。
#時期を間違えると取りすぎた運賃返せって事にもゥァ@糞な「魍欧靴泙靴燭薀好潺泪札鵝ヒ

MM さん (cfaab708@jtw.zaq.ne.jp) 2001年 04月 29日 21時 45分 24秒

まにさん。「少々の線形改良」もいろいろあるようで、例えば3月3日に阪神電鉄が西宮付近の高架化をした際、西宮駅が約200メートル東に移動したことで運賃の修正をしているようです。紀勢本線の場合、芳養・南部間の複線化は23年も前のことです。もちろんそれ以後「大きな変更時期」は何度もあったわけで、たとえ事業者が損だとしても利用者にとっての公正さはもとめられて当然だと私は考えます。100グラム1000円の品物が実は90グラムでしたではおかしいのではないでしょうか。100グラムいくらかは売る側が自由に決められるでしょうけど。「神戸新聞」のWebStdio2月25日付けの記事によれば、『運賃は鉄道事業法に基づいて一定の運行キロ数ごとに定めており、ホームの中心位置が算定基準となる』とあります。つまり恣意的に事業者が営業キロを設定できるものでは基本的にないと考えられると思いますがいかがなものでしょぅか。20年以上にわたって不正確な営業キロに基づいて一段階上の運賃と料金を取られ続けていることが私には理解できないのです。

まに さん 2001年 04月 29日 13時 07分 37秒

初めまして。

>一定の制限のなかで自由に決められても距離は正確でなければならないと思うのです。

この意味は実キロの事なのか営業キロの事なのかはわかりませんが、少々の線形改良
(高架工事中の仮線含め)を行う度に距離変更による運賃改正を行っていたのでは事
業者側としては負担が大きいし利用者も混乱するだけです。改正は大きな変更時期で
(ダイヤ改正や運賃そのものの変更など)行えばいいと思います。その辺の時期の調
整を含め営業キロというのはあくまで運賃を決める為の目安のようなものだと思います。
だから事業者側が損をするようなことはしたくないのでしょう。
#南海高野線は複線化工事の影響で運賃が安くなったと思いますがこれは普通の人から見
ても短くなっているのは明らかですからねぇ。

元和歌山県民 さん 2001年 04月 23日 00時 31分 05秒

MMさん。そうですか、どこでも似たようなものなんですね。もしかしたら、私が普段目にしている高校生が例外的に「まとも」なんでしょうかね。ただ、私が高校生位の頃はおしゃべりはしても内容や声のトーンなどある程度の節度は守っていたように思いますが・・・無論、携帯電話なんかはありませんでしたし、座り込み(ジベタリアン)なんか恥ずかしくてとてもできない行為でした。私の考えが古いんでしょうか。でも電車内は公共の場ですし、やはり節度をもった乗り方があると思いますね。その意味でも先日の和歌山線内の光景は、「高校生にもなって小学生以下のようなことするかな〜」という感じで、やはりショックでした。

MM さん (cfaab708@jtw.zaq.ne.jp) 2001年 04月 22日 20時 43分 15秒

元和歌山県民さん、次田さん。おっしゃるような状態は何も和歌山県の高校生に限ったことではないと思います。3月に青春18切符を使って2泊3日の日程で中国地方をまわってきましたが、特にワンマン化された線区ではどことも高校生を中心にひどい状態でした。山陰線や姫新線などは特に強く感じました。無人駅で乗ってきて無人駅で降りるのに切符も定期も示さずに後ろから下車するのがたびたびでした。一度、女子高校生に運転手が注意していましたが、無賃乗車でした。和歌山県下のということではないと思います。ワンマン化による合理化と運賃のとりっぱぐれとモラルの退廃とを天秤にかければどちらがいいのでしょうか。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 04月 22日 13時 43分 40秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

MMさん おっしゃる通り正確な距離を適用するのが妥当だと思います。

元和歌山県民 さん  私も昨年、紀勢線に乗車した際に同様な姿を見てあきれました。

私の息子も4月より紀勢線−阪和線を利用し電車通学を始めました、まだ中学生なのでそんな事はないと思うのですが、高校生等のの態度を聞いておきます。

元和歌山県民 さん 2001年 04月 22日 02時 47分 38秒

 たいへんご無沙汰いたしております。
 久しぶりの書き込みです(もちろんレスは週2〜3回はしております)。
 さて、今日(といっても20日土曜ですが)、約7年ぶりに和歌山線に乗りました。
 以前はなかった桜井線経由奈良行きで、「奈良まで乗り続ける人はいるのかな?」など非現実的なことを考えながら目的地の打田まで約30分の車中を楽しむはずでした。
 しかし、和歌山から乗車した途端、目が点になってしまいました。
 時間帯がちょうど通学(帰り)時間帯だったこともありますが、和歌山県下の高校生がここまで落ちぶれたのかと愕然としました。
 床にすわっている者、携帯電話で遊んでいる者、老人が乗ってきても無視して座り続けている者、「前のドアからお降りください」と放送しているにもかかわらず、乗車口から降りている者(定期券を持っているのでしょうが、無賃乗車と思われても仕方ない)など呆れ返る光景ばかりでした。
 無論すべての高校生がこんな様子ではないでしょうが、少なくとも私がいつも利用している阪和線の車内(といっても朝7時頃の天王寺方面行きに限ってですが)では、こんな光景は滅多にありません。結構参考書なんか読んでる者もいるのですが・・
 今日はたまたまだったんですかね。乗っている高校生のほぼ全員がこんな状況でした。親や学校は何も言わないんでしょうかね。世も末かなと感じました。
 すいません、直接鉄道と関係ないことで。
 でも少し(かなり)ショックでした。和歌山線の列車がかわいそう。
 私のように思う人いませんか?

MM さん (cfaab708@jtw.zaq.ne.jp) 2001年 04月 21日 20時 20分 18秒

 久しぶりの書き込みとなります。以前紀勢本線の距離についてみなさんに問いかけをさせていただきました。それとは別に和歌山県のホームページから和歌山県がJRに対して是正を申し入れる考えはないかと質問いたしました。それについて先日、和歌山県から知事名で回答がありました。簡単にすると鉄道事業法第16条を根拠に是正を申し入れる考えはないとのことでした。そこで鉄道事業法第16条について調べました。第1項には「鉄道運送事業者は、旅客又は貨物の運賃及び国土交通省令で定める料金(以下「運賃等」という。)の上限を定め、国土交通大臣の認可をうけなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。」とありました。
 この条文についての解釈は法律の専門家ではないので詳しくはわかりませんが、私は事業者は区間制にしろ、距離制にしろ一定の距離あたりの運賃はいくらにするということは一定の制限のなかで自由に決められても距離は正確でなければならないと思うのです。その点ではまだまだ疑問が残ります。まして同じく第16条第5項には「特定の旅客又は荷主に対して不当な差別的取り扱いをする…」と国土交通大臣は「その運賃等又は料金を変更すべきことを命ずることができる。」とあります。和歌山・新宮間は特定の区間の旅客が不当な扱いをされているといってもいいのではないでしょうか。長文ですみませんでした。みなさんのご意見はいかがでしょうか。

たま さん (hisaki@naxnet.or.jp) 2001年 04月 18日 00時 02分 10秒
URL:http://www.naxnet.or.jp/~hisaki/

そういえば、那賀の最古参1157は引退したみたいなので、本社の1191、1192が本当に最古参になりました。

たま さん (hisaki@naxnet.or.jp) 2001年 04月 18日 00時 00分 44秒
URL:http://www.naxnet.or.jp/~hisaki/

> 看護専門学校のスクールバスに和バスの最古参、いすゞキュービックの1192号が投入されておりました

お、まだまだ動いていましたか(^^)
よかったよかった。

シャトルバスも9分ヘッドになって余剰車が増えているようですね。
シャトル専用車のために一般路線への転用が利かず、なんだかもったいない気もします。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 04月 12日 20時 44分 05秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

今朝、看護専門学校のスクールバスに和バスの最古参、いすゞキュービックの1192号が投入されておりました、ロートルですがまだまだ活躍しているようです、あともう1台はシャトルバスの・・44でした。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 04月 03日 20時 40分 59秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

みまさかかわい さん、和歌山営業所 さん 、あけやん(JE3BIV) さん、ガリバーくん さん 、BAKABON さん 阪和線の旧国、初期103系の思い出の書き込みありがとうございます、あんなにたくさんある103系にもいろんな履歴があるのですね。

おかっきーさん書き込みありがとうございます、紀州路から貨物列車が消滅してからもう10数年が経過するのですね、つい最近のように思いますが。

今後とも書き込み方よろしくお願いします。

おかっきー さん (okkakii@be.to) 2001年 04月 01日 06時 08分 03秒
URL:http://www.aaacafe.ne.jp/okkakii/

始めましてこんにちは!
ちゃきちゃきの和歌山っこのおかっきーです。
電車といえばかなり大好きで、乗っていれば幸せですが
現在二十歳ですが、5才ごろ昼間にきみいでら周辺で貨物列車が通ってたのを覚えています。

また、阪和線も3年ほど和歌山から六十谷まで通学で使いましたが、
そのころはまだ六十谷が朝と夕方だけしか快速がとまらず、
卒業して通わなくなった年から、六十谷も通常で快速がとまるようになり
なんか悔しい気分です。

朱色の103系にはたまたまつい最近和歌山駅に行った時お目にかかりましたが、
愕然となりましたね、前に黄緑色のは一回見かけたんですが。
塗変えて入ってきて欲しいものでした。ではまた

BAKABON さん 2001年 03月 31日 21時 49分 10秒

普段は阪和線を利用しないので朱色の103系にはまだお目にかかっておりません。
朱色の旧国懐かしいですね。編成中に転入車なのかチョコレート色が混ざっているものもありました。私もクロスシートの70系の方がお気に入りでしたが、スカ色より以前の湘南色もどきの70系が印象に残っております。


みまさかかわい さん (h-kami@nnc.or.jp) 2001年 03月 31日 00時 14分 11秒
URL:http://www.nnc.or.jp/~h-kami/

あげやんさん▼
クハ103−57+モハ103(102)−57+モハ103(102)−61+クハ103−58は大モリの略号をつけていました。

この6連って、国鉄末期にも阪和線を走っていたんですねぇ。
手持ちの資料では、この6連は全車国鉄末期〜廃車までずっと森ノ宮の配置となっていますので、おそらくガリバーくんさんの仰るように、貸し出しで走っていたものと思われます。
ちなみにこの編成、前回書き込んだ通り天王寺車止め衝突事故の時にも日根野区に貸し出され、阪和線を走っている他、宮原区(当時)から黄色4連を借り入れ(最終的にそのまま転入)た時に、どちらか片方のモハユニットが組み込まれ、黄色+朱色で走っていた事もありました。

私自身は幼稚園(笑)への通園で使っていた頃は旧国末期にあたるはずなのですが、記憶にあるのはほとんどが103系で、ごくまれに113系という感じでした。
その頃は親と一緒だったので大人しく乗っていましたが、一人で大阪方面へ遊びに行けるようになると、非冷房車の時は車端に座って妻側と側面側の窓を両方全開にして風を浴びながら乗るという、今では信じられないような事をよくやっておりました(笑)。

ガリバーくん さん (chi01120@hkg.odn.ne.jp) 2001年 03月 30日 22時 42分 22秒
URL:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/7223

久しぶりの書込みです。

あけやんさん>
>クハ103−57+モハ103(102)−57+モハ103(102)−61+クハ103−58は大モリの略号をつけていました。
これは阪和線車の103系に冷房改造を行うため、当時北イケから大モリへ転属した車両を天オト(当時)に貸出していた編成です。
あとクハ103−62+モハ103ユニット2本+クハ103−79(モハユニットのうち1本はスカイブルー、他は黄緑)なる編成も貸出されていました。
(参考資料:関西国電50年)
いずれも1992年JRアーバンネット線区の完全冷房化までに廃車となっています。

あけやん(JE3BIV) さん 2001年 03月 30日 21時 38分 20秒

阪和線の旧国、私にとっても大変懐かしい。一番最後に乗った(と思われる)のが、昔の紀伊
駅まで乗ったクハ79+クモハ60+サハ78+クモハ73の4連の区間快速でした。70系
を期待していたのにがっかりしたことを覚えています。最晩年は旧国自体が珍しくなっていた
ので仕方ないのかもしれませんが。
昔の紀伊駅は今のような跨線橋がなく、天王寺方へホームが下がっていて構内踏切のようなも
のがあったのを覚えています。快速が停まる今では考えられないくらいのんびりとした駅でし
た。駅前は昔と変わっていないようですが。

>みまさかかわいさん
 昭和61年11月改正時の転属車は大モリ区のものもあったと思います。クハ103−57
+モハ103(102)−57+モハ103(102)−61+クハ103−58は大モリの
略号をつけていました。クハ103−167+モハ103−244+モハ103−399+
モハ103−245+モハ102−400+クハ103−166は確か元・大ヨトでしたね。
最初はいずれも非冷房車で、夏の通勤時には大変でした。もっとも。当時は非冷房車が多かっ
たですけどね。
101系改造のクハ103も懐かしいです。

和歌山営業所 さん (zxb11407@nifty.ne.jp) 2001年 03月 27日 23時 31分 58秒

阪和線の旧国、懐かしいですね。 子供の頃、大阪に出るのはもっぱら南海を
親が選択していまして、それ以外の和歌山線、紀勢本線を利用して両親の郷へ
向かうとき2、3番乗り場に停まっている阪和線電車に興味を抱いたものでし
た。 朱色の73系等もさることながら、私にとっては70系スカ色が阪和線
の象徴だと当時思っていました。 新性能化が完了したとき、一抹の寂しさを
覚えたものです。

みまさかかわい さん (h-kami@nnc.or.jp) 2001年 03月 27日 23時 16分 18秒
URL:http://www.nnc.or.jp/~h-kami/

昭和61年11月の改正で転入してきたオレンジの車は大半が今な亡き淀川区の車でしたが、今も阪和線で走っているクハ103−53のように単身豊田区から飛び込んで来たという車もいました。
当時の大転配では、この豊田の朱色車の他にも関東型の特別保全工事車、そして101系改造のクハ103−2051・2052と、マニア的にはすごく面白い時代でしたねぇ・・・って、今も変な車多いですけど(汗)。

ちなみに、阪和線の朱色103系はこれ以降10年ほど前にやはり淀川から借入のクハ103−35や、天王寺車止め衝突事故の時に森ノ宮から借入のクハ103−57他6連などで見られました。

個人的に朱色の103系は、環状線を走る都会の電車というイメージを持っていましたが、今回の転入車はちょっと色褪せが目立ってイメージぶち壊しなのが残念です。
#それ以前に体質改善車を持って行かれた事の方が残念ですけど・・・

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 03月 26日 19時 56分 05秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

たまさん私も今日城北公園でループバスを見ました、パンダ車はさておいて市電風ということですが私の知っている「和歌山市電」とは色も格好も似ていないようでした。

あけやんさんも旧国電を思い出されたようで、私は万博の頃南海で通学していましたが、数回この旧国に乗る機会がありました、すきま風の酷かったのが記憶に残っています。
引っ越しをされたようですが、また時々「和歌山の鉄道掲示板」にも書き込みをお願いします。

あけやん(JE3BIV) さん 2001年 03月 26日 13時 16分 34秒

朱色の103系が阪和線を走っているのをみて旧型国電時代を思い出したのは、私だけでは
なかったのですね。高運車が転属してやってたのが冷風車の103系、しかも朱色のままと
はなんだかなって感じです。昭和61年11月のダイヤ改正当時も大モリ区から朱色の10
3系(しかも非冷房)がやってきましたが、それ以来ですね。

ところで、先日阪和線沿線から大和路線沿線へ引っ越しました。そして、最後の阪和線を使
っての通勤となった3月2日の帰りに、この朱色の103系に乗車しました。最後の最後に
旧型国電時代を思い出させる朱色の編成に乗ったことは、運がいいのか悪いのかわかりませ
んでした。

たま さん (hisaki@naxnet.or.jp) 2001年 03月 25日 23時 35分 14秒
URL:http://www.naxnet.or.jp/~hisaki/

ぶらくりループバス、出発式典見物に行ってきました。
試乗もしたのですが、注目度は抜群!
みんな振り返ってました(^^)

画像掲示板にアップしておきますね。

次田 修 さん (tsugita@snet.ne.jp) 2001年 03月 22日 22時 32分 52秒
URL:http://www.snet.ne.jp/tsugita/train/train.htm

たまさん画像掲示板への投稿ありがとうございます、何だか30年ほど前の阪和線を思い出しました、オレンジ色の電車が走っていました「直行」とかいう看板を付けていたと思います。

それからいよいよブラクリループバスが走り始めますね。

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