特急ブルースカイ さん 2003年 12月 17日 20時 06分 08秒

186K346M様、 113系4両編成の運用を書いていただき、ありがとうございます。そうすると10月8日頃より、この運用順にしたがって、165系が進出したとみてよいわけですね。また、私がグリーン車開放でうらやましいと書いたのは、非電化時代の急行<くまの・紀州>で串本へ着いた編成が翌朝、新宮ゆき普通になるというのをイメージしていました。<きのくに>の間合いでグリーン車のはいった編成が普通列車運用についていたとは知りませんでした。ましてや、南海車が連結されていたとも…。


臨港様、 2341Mの件では、ありがとうございます。やはりそうですか! なお、この当時か、それよりも前に、御坊始発の1321M(快速天王寺ゆき)を数回利用したことがありますが、御坊駅1番線からの発車でした。編成はいったん、和歌山方(本線のように記憶します)へ引き上げられ、1番線へ転線してきました。5時少し前だった(発車は5:10と記憶します?)と思います。ただ、どこに留置されていたのか、時間的に間に合わずに、確認できてません。
 ところで、臨港様の17日の書き込みで登場する紀伊勝浦の引き込み(電留)線ですが、いつごろ、なくなったのでしょうか? 1984年の年末に急行<きのくに>車窓から撮った映像に写っているのですが、その後は夜しか通っておらず、2000年1月に紀伊勝浦へ降り立ったとき、何かおかしい!と気がついた次第です。<南紀>以外にも貨物列車がいたように記憶しますが…(古い話ですね)。また、気になるのは<紀伊>はむかしから新宮へ引き上げていたのでしょうか?

 なお、紀伊勝浦駅の引き込み線部分は、古い地形図などで見比べてみると、新宮軽便鉄道として開業した当時の勝浦駅の構内であったように思われます。古い旅行案内では、大阪商船の紀州航路と新宮軽便鉄道は、すぐに連絡できるとあります(いまでも港と駅は近いですけど)。その後、国有化され、紀勢中線として、串本方面へ延伸されるときに、現在の駅構内のように曲線となったようです。


管理人様、 写真を拝見しました。興味深いものが多いですね。もし、12月2日に書き込ませていただきました165系の臨時列車情報やその写真がありましたら、ぜひ、提供・公開してください。お願いします。

臨港 さん 2003年 12月 17日 01時 10分 27秒

186K346M さん
1982年11月で夜行紀州は無くなってたんですね。
あと、串本発のきのくに間合いのキロですが、締め切りと書きましたが、私が乗ったときは通路は開放されてたので、キロのシートに座ったのですが、車掌にグリーンは回送扱いなので隣の車に座って欲しいと言われたことあるんですよ、書き方が足りなくて済みません。
串本、送り込みのDCは、グリーン開放だったようで、当時のRJあたりに、掲載されていた記憶があります。
南海号については、記憶がないのですが、車両利用料の関係でしょうね
少し話は遡るけど、電化直後は、勝浦の電留線にも80系南紀が夜間留置されて、のどかな時代だったんですよね
早朝の紀伊勝浦駅、電留と1番に82系の南紀が顔を合わすシーンは懐かしいですね

186K346M さん 2003年 12月 16日 23時 25分 33秒

管理人さんの撮影された画像拝見しました。
今となっては貴重な画像ばかりですね。ED60の重連に荷物車と貨車が一緒に連結した画像や和歌山〜和歌山市間に50系客車が走っていたのには驚きました。

臨港 さん
 そうでしたか!!名古屋発紀伊勝浦行夜行急行ありましたね。早速古い時刻表見ました。1981年9月の時刻表には「紀州5号」と掲載されていましたが1983年3月〜6月の紀勢本線時刻表には掲載されていませんでした。ということは1982年11月の改正で廃止になったものと思われます。1984年4月に見た時、キハ30+キハ58の2両編成でした。1982年11月〜1985年3月まで一般型DCで運転されていたのでしょう。キハ30限定運用があったとは考えにくく日によってはキハ40系が使われた可能性がありますね。どなたか熊野花火関係以外でキハ40系を新宮〜紀伊勝浦間で目撃された方おられますか?
 串本発新宮行のDCは「きのくに」の間合いでしたね。1982年にこの列車に乗った時、キロは開放されていました。でも南海車は締切扱いだったようです。


臨港 さん 2003年 12月 16日 02時 34分 09秒

186K346Mさん>
紀伊勝浦初発南紀2号の前の普通ですが、当時は、名古屋からの夜行紀州が紀伊勝浦まで乗り入れていたと思うのですが、それの新宮運転区の取り込みで運転されていたと思います。
あと、もう一本、朝に串本発新宮行きのDCがあったと思ったのですが、こちらは、きのくにの間合いで通学時の輸送力列車として運転されてました。
どちらもキロを連結していましたが、回送(締め切り)扱いだったと思います。

管理人さんの写真で、御坊駅へ進入するキハ604がありますが、後ろをみると、現行のアスファルトの市営駐車場ではなく、国鉄が余剰人員対策で運営していた駐車場が映ってます。
もともとは貨物用地だったのですが、貨物廃止後に駐車場転用されてました。
駅よりの貨物ホームは駐輪場になっており、中間の位置に、駐車場事務所がありました。
丁度、この頃、急行さんべに使用されていた、20系客車3両と宮原区所属の旧客3両が、川辺町に開設された、スポーツ施設の宿泊所として、一番南側の線路に留置されて、トレーラーで運び出されましたが、その頃の写真とか運送シーンとかは撮影してないんですよね(汗)
今は、後ろに写ってる病院も、柑橘倉庫の位置へ移転新築されてしまい、風景が変わりましたね。
あと、当時の和歌山線の50系客車って、紀和駅の留置線で夜間寝てませんでした?
考えてみれば、悪評高きトイレ無しニセ春日塗りも、もうすぐ登場20年って事なんですよね(笑)

kisyuu(管理人) さん (kisyuu@anet.ne.jp) 2003年 12月 16日 00時 41分 05秒
URL:http://park10.wakwak.com/~kisyuu/train/myalbum/memories/m1984/m1984.htm

管理人のkisyuuです。

皆さんの最近の書込を拝見していると、私が鉄道写真を撮り始めた頃の様子が徐々に解明できてきました、よろしければ当時の写真がありますので、上のURLの所から紀州路の鉄道風景を見て解説を付けて頂ければ幸いです。

186K346M さん 2003年 12月 15日 23時 42分 22秒

JRD様、ありがとうございます。「ソラリーボード」という名称だったんですね。本当に中に何が入っているのか楽しみでしたね。ホームから列車が発車した後に「カシャカシャ」と音がしていたのを今でも覚えています。
 
 特急ブルースカイ 様、臨港 様 ありがとうございます。
周参見発の2341Mが4連でしたか。当時の私が調べた運用に臨港様の情報と特急ブルースカイ様の推測を加えさせていただきました。運用番号は分かりませんので和歌山市発2332Mを「初日」と表現します。

初日 和歌山市〜2332M〜新宮〜2335M〜紀伊田辺〜2340M〜新宮〜2347M〜   串本

2日目 串本〜2323M〜紀伊田辺〜2330M〜新宮〜2333M〜紀伊田辺〜2338M    〜新宮〜2343M〜紀伊田辺

3日目 紀伊田辺〜2326M〜新宮〜2331M〜紀伊田辺〜2336M〜新宮〜2339M    〜紀伊田辺〜2344M〜串本

4日目 串本〜2324M〜新宮〜2329M〜紀伊田辺〜2334M〜新宮〜2337M〜
    紀伊田辺〜2342M〜周参見〜2341M〜和歌山 
 
 1985年3月の改正で朝の名古屋行南紀2号が紀伊勝浦〜新宮間普通列車になりました。それまで南紀2号の前に普通列車(一般型DC使用)がありましたので改正でひとまとめにした感じがしました。1986年11月の改正で天王寺行夜行が廃止となり紀伊勝浦行最終 南紀9号が新宮〜紀伊勝浦間普通列車となりましたが2001年3月の改正で105系に代わりました。
私は80,85系の両方乗車しました。85系の時は紀伊天満、那智、宇久井、紀伊佐野、三輪崎の停車案内の車内放送を聞くことが出来ました。 



臨港 さん 2003年 12月 15日 21時 49分 41秒

当時の詳しい運用は解らないのですが、周参見発の2341Mが4連でした
紀伊田辺からの御坊止めは6連で、御坊駅側線留置だったと思います。
当時は、上下の夜行が存在しましたので、和歌山からの最終が2番留置さてれ、始発の天王寺行きになっていたと思います。

特急ブルースカイ さん 2003年 12月 15日 21時 17分 05秒

186K346M様、ありがとうございます。

 当時、すでに午前の新宮ゆきと午後の和歌山市ゆきの普通客車列車はなくなっていたんですね。そうでした! 2332Mが4両編成113系でした(ありがとうございました)。それよりも前、昼間の客車列車が2往復あったときの113系4両編成が322Mのスジで南へ上っていったのでした。そして、非冷房車でした。失礼しました。
 下りの行程について、私も極めてあやふやな記憶(時期も1986年だったかどうか?)でしかないのですが、1986年当時の2341M(周参見発和歌山ゆき)か、359M(紀伊田辺発御坊ゆき)のどちらかが短い編成(113系4両編成)だったように記憶します。「紀勢本線時刻表」(昭和61年7月1日〜9月末日)で推測するかぎり、186K346M様の記録の2337Mで紀伊田辺に到着した編成が2342M周参見ゆき(紀伊田辺発19:21)となって折り返せば、周参見折り返しの2341M(和歌山ゆき)となるはずです。もし、359Mだとすれば、翌朝、御坊発の下り列車に運用しなければならず、4両編成が充当されるとは考えにくいです。推測とあいまいな記憶から2341Mと思うのですが、ご存知の方がいらっしゃいましたら、お教え下さい。
 それと、新宮地区の朝晩の普通列車が80系DC〜85系DCへと進化したまではよかったですが、いきなり105系というのは受難ですね。80系DC時代に乗車したことがあります。また、58系DC(グリーン車も普通車扱い)や485系の普通列車もあり、165系の進出でさらにうらやましく思っていました。18きっぷで165系にはよく乗りにゆきました。残念ながら、一瞬にして旅情もあこがれもなくなってしましましたね。


急行きのくに様、 予備車が共通運用だったのですか! ありがとうございます。そういえば、国鉄時代に運転された113系の臨時快速も関西線色が多かったように記憶します。


きのくに線沿線住人様、 お父様が乗車されたのですか。いま、このような列車があれば、私も乗ってみたいですね。なお、12月14日の書き込みで、東京直通の車両はB寝台1両と書きましたが、車両は10系寝台車(3段ハネ)ではなく、もうひとつ古いタイプだったそうです(ちょっと形式がわかりません)。

きのくに線沿線住人 さん 2003年 12月 15日 20時 54分 31秒

連続ですみません。JRD様、ソラリーボードという名称があったんですね。一つ勉強になりました。
きょうのNHK「クローズアップ現代」で昭和レトロのブームが特集され、新幹線0系も紹介されていまいましたが、鉄道関連でも同じことがいえますよね。

きのくに線沿線住人 さん 2003年 12月 15日 18時 53分 48秒

特急ブルースカイ様、急行きのくに様、ありがとうこざいました。父から昔東京まで乗ったことあると聞いたのですが、本人は鉄と違うためそれ以上のことは知る由もなく、詳細を知りたいとずっと思っていたので、おかげさまでスッとすることができました。

186K346Mさん、そうですね。パタパタのほうが近いですね。パタパタはなんともいえない味わいがありました。昔は空港もみんなそうでしたね。

JRD さん 2003年 12月 15日 18時 02分 24秒

パタパタ式行先案内板ですが…ソラリー(フラップ?)ボードというのが正式名称ではないでしょうか…??
駅のも「ザ・ベストテン」のもそうなんですが、動いているのをビデオにとって、
スロー再生して奥には何が入っているのかを見て楽しんだりしました(^^;)

186K346M さん 2003年 12月 14日 23時 45分 54秒

特急ブルースカイ様
 周遊券の件ありがとうございます。積極的にPRしていたとは知りませんでした。

 113系4両の送り込みは当時運用を調べたことがあるのですがおそらく和歌山「市」発新宮行2332Mだと思います。しかし周参見以北の運用を調べることが出来ず2337M(新宮 16時5分発紀伊田辺18時51分着)から翌々日の2332Mまでの運用がどうなっていたのか把握できませんでした。つまり丸一日113系4両編成が新宮に来ない運用が組まれていました。
 紀伊田辺以北はおっしゃる通り6両編成でしたね。6両の関西色編成も運用に入ったとは知りませんでした。紀伊田辺以南は4両非冷房だったので紀伊田辺以北が羨ましかったです。
 1985年3月の改正から1986年の10月頃までは113系4両のほかに12系や485系4両の普通列車と種類が多く存在していました。
 
きのくに線沿線住人様
 行先案内の「カシャカシャ」の正式な名称ですが私もわかりません。知人は「パタパタ」と表現しています。私は往年の歌番組を見ていたためでしょうか「ザ・ベストテン」のイメージが強いです。ほとんどの駅では電光掲示板に取り替えられましたが串本では改札口、ホームとも健在です。


急行きのくに さん 2003年 12月 14日 22時 14分 13秒

 以下自分の見聞した記憶に頼った情報です。阪和・紀勢本線用113系青帯6連と関西本線用の予備車が共通で関西線色(赤帯)だったようです。このため時に赤帯の阪和線新快速や紀勢本線乗り入れがありました。また和歌山線電化初期に113系赤帯6連の運用が朝夕に上下各1本(和歌山電車区で日中留置)あり、休日のみ上りは昼過ぎ和歌山発の湊町行き区間快速(王寺から快速)でした。それからC57やC58の牽引する列車の(上り)最後尾に連結された和歌山市⇔東京の直通車両3段ハネは、当時打田駅近くに住んでいて憧れながら眺めていました。最後に、大学時代はよくワイド・ミニ周遊券を利用して旅行をしましたが、和歌山⇔天王寺は急行を利用して恩恵にあずかりました(^_^)

特急ブルースカイ さん 2003年 12月 14日 13時 57分 07秒

186K346M様、興味深い165系の運用情報、ありがとうございます。書き込みをみながら、頭の中で列車の動きを描いてみました。ワクワクしてきますね。

 周遊券の件、よくわかりました。周遊券登場の目的は、確かに周遊観光の旅客に便宜を与えるものだったと思います。しかし、国鉄末期や民営化以後、周遊券廃止まで、東北・信越・北陸・中国・九州地方の主要駅(私が旅行で訪ねた駅)で、ビジネス(出張)や所用目的での使用をPRするポスターやパンフレットをよくみかけました。これは嫌がるどころか、営業戦略として、周遊券を奨励していたのです。このような点から、意見がちがうと申し上げたのです。しかし、均一周遊券で和歌山県内を発地とするものは、「和歌山」しかなかったと思いますので、紀勢本線の駅では申し訳け程度のパンフレットでしか宣伝しているのをみたことがなく、他地区に比べて、PRも、恩恵も小さかったようです。

 1986年7月頃からの福知山転出用113系は、上り322M(日根野発)が113系4両だったと思いますので、この運用で紀伊田辺にはいり、紀伊田辺以南の運用にはいったんでしょうか。当時はまだ、紀伊田辺以北は6両編成だったと思いますので。 そうすると、4両編成の113系の運用(福知山へ転出)に、早期転出してきた165系が充当されたというわけですね。また、9月の上旬には関西線色の113系も運用にはいっていたそうですが、紀伊田辺以北でも6両編成の関西線色がときどきやってきていたように思います(この運用が規則的なものか、そうでないかは不明ですけど)。
 想えば、定期急行<きのくに>が廃止されたとき、普通列車に急行形の12系客車が運用されており、12系客車の紀勢本線からの撤退と入れ替わりに、165系がやってきて、紀勢本線にはいつも急行形車両がいたんですね。最近、何か物足りなさを感じてしまうのは、こういうことなのかと痛感しています。


きのくに線沿線住人様。 急行<しらはま>は、紀勢本線内では<きのくに>と併結でしたから、長大編成で、貫禄がありましたね。下り1本の名古屋ゆきは、上りがないことで、ずっと不思議に思っていましたが、「運用のからくり」を知人に聞いて納得しました。ところで、東京からの夜行列車の件、私も知人からきいた話なのですが、以下に要点を書いてみます。

*昭和37年3月から運転。
*東京⇔和歌山市(東京・王寺間急行<大和>に併結、和歌山線内は普通列車534レ・525レに併結)
*愛称なし(急行区間は<大和>)
*東京⇔和歌山市の直通車両は、いまのB寝台1両。

どうも、東和歌山へははいらなかったようです。当時、県庁所在地から東京へ、直通列車を設定するのが「ステータス」のようになっていたらしく、和歌山もがんばったようですね。私自身が乗ったとか、みたとかいう情報ではありませんが、鉄道にかなり詳しい人物の話なので信頼できると思います。

きのくに線沿線住人 さん 2003年 12月 14日 03時 30分 36秒

特急ブルースカイ様、そうですね、私も「紀州」は急行の中でも少し格上の感じが好きでした。それから個人的には「しらはま」も和歌山線の花形的な感じがして好きでした。和歌山駅改札上の行き先案内も、今のように電光掲示板でなく、カシャカシャていうやつ(名称知らなくてすみません。)で、行き先、列車名もバラエティがあって、見てるだけで心おどらせたものです。

186K346M様、DCくろしおは全席指定でしたが、晩年(76年頃から)は自由席も組み込まれてたと思います。昔のくろしおは、やはり「特別の急行」で、自由席に気軽に乗るというイメージがなかったのでしょうね。

ところで質問なのですが、かなり以前、東和歌山ー東京間の夜行列車があったという話しを聞いたことがあります。年代や愛称、経路、編成内容などご存知ないでしょうか。

186K346M さん 2003年 12月 13日 22時 53分 12秒

特急ブルースカイ 様 ありがとうございます。

周遊券の「本来の趣旨の使い方」の件ですが
「本来の趣旨」とは旅行などのレジャー目的だという意味で書き込みました。出張やビジネス、所用目的での使用をJRが嫌がっていたのだと思っていました。説明不足で誤解を招いてしまったことをお詫びします。
 1986年7月頃から9月頃まで「福知山色113系」が新宮地区で見ることが出来ました。
しかも9月の上旬には関西色の113系も見かけました。10月の8日頃から165系が新宮に進出、11月を待たずに165系に取り替えられていましたが12系の客車は10月31日まで活躍しました。
 
きのくに線沿線住人様 はじめまして。
 特急「くろしお」がDC時代全席座席指定だったんですね。初めて知りました。小学生の頃食堂車見るのが楽しみで友達と見ていたのを思い出しました。

 12月5日の書き込みで「愛称名なし快速」について間違いがありましたのでお詫びします。

10月9日の「1日」だけでなく10日も運転されていました。停車駅は白浜、紀伊富田、椿、周参見、串本〜新宮間各停でした。

 天王寺発10月8,9日に9922M臨時夜行快速「いそつり」が165系6両で運転されました。
新宮到着後3両が紀伊田辺行各駅停車9329M(新宮発7時18分紀伊田辺着9時51分)
紀伊田辺到着後新宮行9344M「愛称名なし快速」(紀伊田辺発17時49分新宮着20時34分)
新宮発天王寺行9921M「愛称名なし夜行快速(新宮発23時8分天王寺着翌朝4時55分)       
あとの3両が新宮発8時50分和歌山着13時23分9333M(新宮⇒紀伊田辺各停、紀伊田辺⇒和歌山快速)


 





特急ブルースカイ さん 2003年 12月 13日 16時 34分 49秒

186K346M様 ありがとうございます。
ダイヤ改正を待たずに、急行<アルプス>の運用からはずれ、日根野へやってきたということは承知していました。しかし、10月中に紀勢本線で運用されていたとは、知りませんでした。しかし、よく考えてみると、新宮発10月31日の天王寺ゆき夜行が165系で運転されたということは、何らかのかたちで、新宮まで165系を送り込む必要があったわけで、186K346M様の情報により理解できました。そうすると、福知山へ転出させる113系の先行転出との関係で、改正前の165系登場となったんでしょうか?

 周遊券について、「本来の趣旨の使い方」とはどんな使用方法のことなのでしょうか? 無論、不正乗車にかかわる使用はいけませんが、そのほかに「本来の趣旨」ってあるのでしょうか? 私は186K346M様の意見とは少しちがいます。周遊券の廃止は、国鉄の「分割化」が決定したときに運命づけられたものだと思います。「自由周遊区間」が複数会社にまたがるものもいくつかあり、そこまでの経路が選択できる(当然、複数会社にまたがってしまう!)うえ、割引率も高く、運賃等の(売り上げの)配分をするときに問題が発生していたのではないかと考えます。第一、周遊券使用者は選択した経路を報告する義務などはなく、鉄道会社もそれをチェックできないことが大きな要因ではなかったでしょうか? 景気が低迷してきた時期と廃止の時期が重なることからも、そう考える方がよいのではないでしょうか! 周遊券に代わって登場した周遊きっぷの性格と比較しても、このような指摘が成立するのではないでしょうか。

きのくに線沿線住人様 はじめまして。
なつかしいですね。私は特急<くろしお>もそうですが、急行<紀州>にも愛着をもっています。天王寺⇔名古屋を走破し、グリーン車2両を連続して連結していましたから、急行<きのくに>ともちがいました。食堂車がある点で、<くろしお>は「特別急行」と感じていましたが、<紀州>は普通急行でも、何か「特別」な列車だったように記憶します。1往復は和歌山・御坊間ノンストップでしたしね。なつかしい話をありがとうございました。

きのくに線沿線住人 さん 2003年 12月 13日 02時 52分 20秒

久しぶりに書き込みさせていただきます。私も周遊券で急行をよく利用しました。今はそんな旅ができないのが本当に残念です。急行が数を減らした一つの原因は、特急に格上げすることでJRが増収をはかったからですよね。だから、安く乗りたいので普通急行を増やしてほしいという私たちの願いと相反するんですよね。小学生の頃毎日のように和歌山駅に通ってました。「全車座席指定、特別急行、次は紀伊田辺までとまらない」といった駅アナウンス、きのこ型のクーラー、食堂車、憧れの眼でくろしおをながめたものです。それと比べると確かに今の特急は特別な感じがしないですよね。反面、普通列車の設備が向上しているのはありがたいことですが、117系新快速や185系の普通が登場した時代あたりから、特急と一般車両の差が一気に縮まり、急行の居場所がなくなってきたように思います。やはり時代の流れで仕方ないのでしょうかね。

186K346M さん 2003年 12月 10日 22時 06分 54秒

特急ブルースカイ様 ありがとうございます。
 14系使用の「きのくに」が走っていたとは知りませんでした。
1996年のお盆に信州方面の臨時急行に乗りたかったのですが指定券完売などで乗車できませんでした。
 1986年10月、ダイヤ改正を待たずに165系が新宮地区に進出しました。その頃は松本から来たばかりの状態でしたので方向幕は紺地に白抜きの「普通」幕で走っていました。車体表記も「長モト」でしたが一ヶ月ほどで「天ヒネ」になりました。車内広告も「お父さん電車ではビール飲めてよかったね」と家族連れの絵を描いたものが貼っていました。その広告の右下には「国鉄/長野」と書かれていました。つまり特急ブルースカイ様とは正反対の紀州路で見る信濃路の車内広告だったのです。
 「特急」は「特別急行」とは言い難いですね。私も(普通)急行の方が良いと思います。周遊券がなくなった理由の一つに「出張など周遊券本来の使い方がなされていない」と新聞で読んだことがあります。「いいもの」が姿を消す理由は「本来の趣旨の使い方がされていない」という気がしないでもないです。

特急ブルースカイ さん 2003年 12月 09日 18時 41分 13秒

186K346M様。
なつかしい話題をありがとうございます。

 急行<南紀リゾート>に乗車されたのですか! 私も乗りたいと思っているうちに、設定がなくなってしまったように思います。紀勢本線から定期急行がなくなった頃、
臨時急行<きのくに54号>白浜ゆき(1985年7月27日/14系客車6両)
臨時急行<きのくに51号>天王寺ゆき(1985年5月6日/12系客車6両)
臨時急行<きのくに53号>天王寺ゆき(1986年5月5日/12系客車6両)
には乗車したのですが、いずれもガラガラでした。でも、当時まだ存在した12系客車の普通列車とはちがい、186K346M様がいわれるように、「急行」を楽しむことができました。
 最近では、2001年7月20日に臨時急行<くろよん>(381系6両日根野車)に始発の信濃森上から乗りました。この駅からは3人の乗車があり、1人は指定席で大阪まで、もう1人は自由席(喫煙)で大阪までといっていました。私は自由席(禁煙/6号車)へ乗車しました(自由席は2両)。6号車は、白馬で数人の乗車があったものの、松本で全員下車してしまい、中津川まで私1人でした。車内販売も全区間でなく、いまどきの急行らしかったですが、その後、設定がなくなりましたね。それにしても、信濃路でみる紀州路の車内広告、なんともいえませんでしたよ。

 急行の魅力は、何といっても周遊券があれば、急行券(普通急行券)なしで乗車できたことでしょう。紀勢本線で使用したことはありませんでしたが、各地の周遊券で体験しました。周遊券はなくなりましたが、依然として長距離になれば、特急とちがい、かなり格安で利用できる点はすぐれていると思います。だから、「特別急行」らしくない、でも「特急」と名のる列車は、(普通)急行にすればいいんじゃないかと思います。中央東線の<あずさ>と<かいじ>などが典型で、紀勢本線でも急行<きのくに>よりも停車駅の多い特急列車にB特急券とはいえ、特別急行券を必要とするのは不思議な感じです。だから、急行復活論には賛成です。とにかく、「いいもの」がどんどん姿を消してしまい、「なぜ?」とJR各社の社長さんにきいてみたい気がします。

186K346M さん 2003年 12月 08日 20時 06分 32秒

特急ブルースカイ 様
「南紀マリン」という列車が設定されていたのを知りませんでした。
<紀勢本線内でも「立ち客が出るほど」とまではゆかないものの、ガラガラではなかったように記憶しています。
 和歌山⇔御坊間は30分毎に普通列車が運行されているのでほとんどの乗客は「南紀マリン」目当てでなく「あ、電車来た」という感覚で乗車したのかも知れませんね。
 以前白浜発大阪行の「レジャー」号に乗車した時、御坊から乗客が増えたのですが簑島で乗車された女性客は「電車早く来たね。なんでやろ。まぁいいか」と言いながら乗車されていました。本来乗車するはずだった列車は「レジャー」運転のため御坊⇒加茂郷間で時刻変更(繰り下げ)されていていたのです。
 1989年夏には「南紀リゾート」に乗車しました。圧巻だったのは167系8両で運行されていたことです。迫力がありました。
 1990年12月30日〜1991年1月4日に9102M「南紀リゾート2号」(165系3両全車自由席)が運転されました。
 この列車も車内はガラガラでしたが165系本来の「急行」を楽しむため和歌山まで乗りました。
 
 デフレの今こそ比較的安い「急行」があるといいなぁと思うのは私だけでしょうか?

 

特急ブルースカイ さん 2003年 12月 07日 12時 39分 44秒

186K346M様、ありがとうございます。

 紀伊田辺⇒新宮の臨時快速の乗車率も悪かったですか! 臨時列車の宿命なのでしょうが、愛称があり、運転日がもっとあり、もっとPRすれば、状況もかわったでしょうに…。もっとも、まだこの当時、紀勢本線の165系は、さほど注目される存在ではありませんでしたから、186K346M様のように、乗車された方は希少でしょう。

 1988年は時代背景もよく、紀勢本線でも臨時列車がかなり設定された年だったと思います。12月2日の書き込みのリストでも、その傾向が出ています。
 それまでの臨時急行は<きのくに>でしたが、この年は<南紀リゾート>という愛称で登場しています。165系の3両編成、または6両編成で運転されましたが、全車指定席で設定されています(のちに、自由席も設定)。また、113系6両編成で運転された臨時快速<南紀マリン>(複数設定)も印象的でした。天王寺⇔御坊・紀伊田辺・白浜の設定で、紀勢本線内の和歌山・御坊間も快速運転でした。この快速は、紀勢本線内でも「立ち客が出るほど」とまではゆかないものの、ガラガラではなかったように記憶しています。臨時列車も1日1本とか、1往復とかなら、ダイヤによって利用しにくいものですが、<南紀マリン>のように1日に数本設定してくれたら、利用客からみると、ありがたかったです。「地域思いのダイヤ」ここにあり!ですね。
 ここにも当時のJR西日本・和歌山支店の意気込みがあらわれています。

186K346M さん 2003年 12月 07日 00時 11分 22秒

 特急ブルースカイ様
情報ありがとうございます。<直行なら・シルク博号>が上り御坊ゆきの御坊到着後、御坊⇔和佐の回送があったとは全く知りませんでした。ヘッドマーク付いていましたね。私が乗ったのは1回だけで奈良⇒堺市でした。

紀伊田辺⇒新宮の愛称名なし臨時快速の運転理由はよく分からないのですが白浜止の「くろしお」から接続していたのを覚えています。PR不足だったのでしょうか車内はガラガラでした。

「地域思いのダイヤ」この言葉最近では耳にしなくなりましたね。1988年はJR発足2年目で当時の時刻表見ると一人でも乗客を増やそうという意気込みが伝わってきました。

特急ブルースカイ さん 2003年 12月 06日 15時 15分 33秒

はじめまして、186K346M様。
情報ありがとうございます。

 私も<直行なら・シルク博号>は数回乗車しました。すべて、平日だったせいか、奈良ゆきは紀勢本線内から和歌山への通勤通学、和歌山からも天王寺方面への通勤利用が目立ちました(堺市で車内はガラガラになりましたから)。阪和貨物線なんて、めったに乗れる線じゃなかったので、私も楽しみでした。186K346M様のいわれるように、貨物線内はかなりの徐行運転だったですね。いまになって思えば、よくこんな臨時列車をシルクロード博期間中、基本的に毎日運転したものだと思います。いまとちがって、当時のJR西日本・和歌山支店の意気込みが伝わってきます。「地域思いのダイヤ」として評価できるのではないでしょうか。私が利用したときは上下とも165系3両編成(全車自由席)で、ヘッドマークがついていました。ちなみに、奈良⇔奈良電車区の回送と、上り御坊ゆきの御坊到着後、御坊⇔和佐の回送が営業運転以外にあったことを記憶しています。

 紀伊田辺⇒新宮の臨時快速は承知していました。愛称があればよかったのにと思います。運転の理由は、単なる波動旅客輸送だったのでしょうか?

186K346M さん 2003年 12月 05日 00時 57分 34秒

特急ブルースカイ様初めまして。
 懐かしい列車名が並んでいますね。私が印象に残っているのは1988年に運転された「直行なら・シルク博号」です。阪和貨物線に乗りたくてシルク博見物の帰りに乗りました。奈良駅のホームの行先表示機に「御坊」が表示されていたのには驚きました。貨物線内はゆっくり走行していたのを今でも覚えています。
 紀伊田辺⇒新宮に愛称名なしの臨時快速がありました。運転日は1988年10月9日の一日だけで停車駅は白浜、周参見、串本⇒新宮間各停だったと思います。

特急ブルースカイ さん 2003年 12月 02日 22時 28分 22秒

はじめまして、管理人様。
そして、この掲示板をご覧になっているみなさま、はじめまして。

 私は急行形車両が好きで、18年ぶりとなった10月の気動車急行<きのくに>の運転は心踊りの2日間でした。でも、キロが必ず組み込まれていた定期列車時代と比べ、編成がきれいすぎたように思いました。

 165系が定期運用にはいっていた頃は、時間に制約されないかぎり、乗車は165系に限定していました。そんな165系の足跡をたどってみようと、紀勢本線で運転された165系の臨時列車(列車名つき/団体専用・修学旅行臨などの一般旅客が利用できない列車を除く)を探してみました。しかし、記憶にあいまいな点があり、ひょっとしたら思い違いもあるかもしれませんので、管理人様、みなさまの記憶や記録に残っているような情報があれば、お教え頂ければと思い、書き込みさせて頂きました。

 以下が165系で運転された紀勢本線の臨時列車のリストです(号数は省略。一度記載した列車名は、種別・運転区間が異なる場合のみ再掲。それ以外は再掲しない)。

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*1986〜1987年
普通いそつり           天王寺⇒新宮
急行きのくに           天王寺⇔白浜
普通ふれ愛紀州路黒潮磯釣り大会号 天王寺⇔串本

*1988〜1989年
急行きのくに     周参見⇒天王寺(周参見・白浜間快速)
急行南紀リゾート   天王寺⇔白浜・新宮
直行なら・シルク博号 御坊・和歌山⇔奈良(阪和貨物線経由)
快速いそつり     天王寺⇒新宮
快速いそつり     新大阪⇒新宮
快速潮風ハイキング号 天王寺⇔白浜
快速白浜ホリデー号  天王寺⇔白浜
快速きのくに     新大阪⇔新宮

*1990〜1994年
快速きのくに     天王寺⇒新宮
快速世界リゾート博号 大阪⇔海南
快速世界リゾート博号 天王寺⇒海南
快速熊野古道ホリデー 大阪⇔紀伊田辺

*1995〜2002年
快速観梅&パンダ       大阪⇔紀伊田辺★
快速きのくにホリデー     大阪⇔紀伊田辺
快速きのくにホリデー     大阪⇔白浜
快速きのくにホリデーさくら号 大阪⇔白浜
快速しらはま         天王寺⇔白浜
快速ありがとう165系号    白浜⇒天王寺
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 ★印の列車は、とくにあいまいです。上記の列車名には、のちに165系から他形式車両に変更となったものも含まれます。

 このほか、御坊や箕島から京阪神方面〜湖西方面への行楽・スキー列車の設定があったように記憶しますが、221系使用だったと思います。165系で運転されたこともありましたかね?

 いろいろな情報をお願いします。

たー さん 2003年 11月 30日 12時 17分 53秒

臨港さん
ポン菓子懐かしい〜。私も小さい頃に従姉弟の家の近くで
販売していたのを食べた記憶があります。美味しいですよね〜。

kisyuu(管理人) さん (kisyuu@anet.ne.jp) 2003年 11月 29日 00時 19分 18秒
URL:http://www.bd.wakwak.com/~tsugita/train/train.htm

臨港さん: ポン菓子の件ですが懐かしいですね、子供の頃大きな音でビックリした思い出があります。

普通紀伊行 さん : ご希望通り削除しておきました。


臨港 さん 2003年 11月 28日 13時 28分 43秒

みかんの収穫時期も最盛期を迎えてるようですが、ここのところの雨で、収穫が遅れ気味になってるようですので、この週末も天気が良ければ、有田方面へ出かけれると、みかんバックに撮影できるかと思います。
私も、先週、先々週と出掛けたのですが、出掛けたおり、最近では、めずらしいものを発見してしまいました。
ポン菓子の実演販売です。
昔ながらに、お米と砂糖持参でもやってくれるようですが、現地でも販売してます。
場所は、箕島−紀伊宮原間のバスラーメンの西側に、農協の販売所のようなところがあるのですが、そちらの駐車場で、土日祝日にやってるようです。
炒りたては、やっぱり美味いですよ!(ある程度の年齢の方しかわからん会話ですが)

和歌山港線3駅も! さん 2003年 11月 23日 02時 31分 13秒
URL:http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news001.htm

南海、貴志川線廃止を検討 赤字理由に和歌山港線途中3駅も
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県と2市町 対策協を来月設置

 南海電気鉄道(本社・大阪市)が、和歌山市と貴志川町を結ぶ貴志川線(JR和歌
山―貴志、十四・三キロ)の廃線と、和歌山港線(和歌山市―和歌山港、二・八キロ)
三駅の廃止を検討していることが二十一日、わかった。同社が赤字を理由に、沿線自
治体である両市町と県に対し、検討に入ったと伝えていた。県と両市町は、来月に対
策協議会を立ち上げ、存続に向けて要望や利用促進運動などを行う方針。

 同社によると経営改善策の一つとして検討しているのは赤字が続く貴志川線の廃
線と、利用者が少ない和歌山港線の途中三駅(久保町、築地橋、築港町)の廃止。

 貴志川線は、道路網の発達などで、一九九九年から利用減が目立ち、昨年度は百
九十九万二千人(一日平均約五千四百人)で、赤字は四億六千五百万円。和歌山港
線は昨年度三十五万三千人(同約千人)。

 同社は先月、県や両市町に方針を伝え、山中諄社長が今月七日、大橋建一市長と
中村慎司町長に説明。これを受けて三者は来月中に対策協議会を設置する方針。

 貴志川線はJR和歌山駅から貴志駅まで計十四駅。一九一四年に山東軽便鉄道と
して開業、六一年に南海電鉄に合併された。九五年に同社としては初めてのワンマ
ン運転を行うなど経費節減策を行っていた。和歌山港線は昨年五月、水軒駅を廃止
したばかり。

 南海電鉄は「(廃線は)あくまでも経営改善策の一つとして検討している」とし
ている。

 また、和歌山市は「通勤通学など重要な生活路線なので、県や関係町と連携して
沿線住民の利用促進を図りたい」とした。

「生活の足なくなる」 沿線住民不安の声

 廃線が検討されている貴志川線の沿線住民や利用客からは「生活の足がなくな
る」「地域の過疎化が加速するのでは」などの不安の声が聞かれた。

 和歌山市木枕の山東駅近くの足守観音寺代表野崎秀光さん(76)は「お参りに
来るお年寄りで貴志川線を利用する方も多い。市内の病院に通うお年寄りも、路線
バスもないので生活の足が奪われる」と話す。

 同市口須佐の主婦(38)は「沿線には高校もあり、朝夕は通勤通学客も多い。
学区撤廃などで遠い学校に行く子供が多いので廃線になれば影響は大きい。ます
ます地域の過疎化が進むのでは」と不安げな様子。

 毎日、同線岡崎前駅から奈良県の大学に通学している池上貴子さん(19)は
「和歌山駅で乗り換えて奈良まで行くのに、バスもないし通学手段が奪われてし
まう」。日前宮駅を利用する開智高一年富樫奈津子さん(16)は「自転車では
遠いし雨の日も困る。何とかして残してほしい」と切実だ。

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和歌山港線3駅も廃止されるかも?という状況らしいです。
(個人的な意見ですが)、和歌山港線3駅については、

・利用客が少なく、本線に対する「培養線」としての貢献度も低いこと。
・(93年に私が乗った時点で)平日朝のラッシュ時ですら、「バスでも
運べる程度」しか乗っていなかったこと
・並行道路には路線バス(西浜和歌浦線、湊線)が、電車を
上回る本数で走っており、地元住民の足は確保されていること。
・将来、客が増える要素も見当たらないこと。

などから、廃止もやむなし、という気もします。(記事でも、「貴志川線廃止されたら
困る」という住民の声しかなかったですし・・・)
 ただ、そうすると、和歌山港線は、「四国連絡の特急・急行しか走らない」
という、やや特殊な路線になりますね。

 それにしても、南海はこれまで、赤字な上に乗客の居ない天王寺支線、水軒駅を
長年に渡って放置したり(汐見橋線などは、いまだに「放置」に近いですが…:汗)、
支線へのワンマン導入も(大手私鉄の中では)遅い方、さらには、山陽電鉄
や神戸電鉄などでは導入されている都市型無人駅システムも未導入と、
比較的合理化の取り組みが遅れている会社というイメージがあったのですが…。
 ここへ来て、本線・高野線の減便ダイヤをはじめとして、急速に舵を
切り始めたようです。

まじっすか? さん 2003年 11月 23日 01時 09分 48秒
URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031122-00000001-mai-l30

南海電鉄が貴志川線廃止を検討 和歌山市と貴志川町、県が存続協議会設立へ/和歌山

 南海電鉄(本社・大阪市中央区)が、採算上の問題から和歌山市と貴志川町を結ぶ
貴志川線(14・3キロ)の廃止を含めて検討していることが明らかになり、県と同
市、同町は存続を求め、年内に対策協議会(仮称)を設立することを決めた。3者で
住民に同線の利用を呼びかけるなどの存続策を協議する。
 関係者によると、同社の担当者が10月下旬、県、和歌山市、貴志川町に貴志川線
の採算悪化状況を説明し、存続するかどうかを検討していることを説明したという。
 その後、大橋建一市長と中村慎司町長が同社を訪れ、存続を要望。県も含めた3者
で協議会を設立することにした。中村町長は「住民にとって欠かせない路線であり、
簡単に(廃止を)受け入れるわけにはいかない。県、市と力を合わせ南海電鉄の経営
改善にも協力したい」と話している。
 南海電鉄貴志川線は1961年運行開始。平日は1日往復96本、土日は同80本
を運行している。通勤、通学客が中心だが、道路整備などに伴い利用客は年々減少し、
93年度の約255万人が昨年度は約199万2000人まで減った。100円の収
入をあげるのに244円かかる赤字路線で、昨年度は約4億6500万円の赤字を出
した。同社は「経営改善の選択肢の一つとして、廃線の可能性は否定しない」と説明。
しかし、沿線自治体への正式な廃線通告はしていないという。(毎日新聞)

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 貴志川線は、駅の無人化やワンマン化などの合理化を進める一方で
新駅を設置したり、車両を入れ替えたりと、それなりに努力をしていた
路線だけに、突然の廃止検討は、驚きの一言です。
 ただ、記事を見る限りでは、南海も、本気で廃止しようと考えているというよりは、
あわよくば行政から補助金をもらいたい、というのが本音(?)な気がします。
 なんとか、存続の方向で話が進むとよいのですが・・・。


野上電鉄 さん 2003年 11月 22日 01時 11分 35秒
URL:http://asama189.hp.infoseek.co.jp/index.html

ブルドックやったら大阪の交通博物館? に保存されてますよ。
(見たこと無いけど・・・)

えーーー 貴志川線、廃止するのですか。
やっぱり乗る人が少ないんでしょうかねぇ。
水軒に続いてまた和歌山県から路線が消えることになるのそれだけはやめてほしいですね。

雲隠れ さん 2003年 11月 22日 00時 59分 09秒

管理人様>
・・・・・・・やはりブルドッグでしたか・・・・・・。ブルドッグって非電化時代の東北本線でも活躍していた車両でしたよね。違いました?東北特急のエースっていわれていたような気がします。
やはりないものねだりをしてしまいます。こんな事を申しあげてしまえば極論になってしまいますが、今のJRの車両は確かにバラエティーに富んでいますが、何処か物足りなさを感じます。やはり国鉄時代の車両に憧れる私の考えは時代遅れなのでしょうか?
勿論現在の鉄道にもいい点は沢山ある事は充分分かっておりますが・・・、でもいまいちなんですねー。
私の友人はキハ5828が大好きなのですが、やはり現在のJRの車両は好きだそうです。
私個人としては、全ての国鉄カラーをなくさなくても、一部は残しておいてもいいのではないかなと思っています。整備新幹線も結構ですが、情緒という汽車の旅にとって大切なものまでなくしてしまっている今の世相に、なんともいえない残念さを感じずには居られません。

なんだか愚痴みたいになって申し訳御座いません。でも管理人様は私のこの感想に対してどのように感じられましたでしょうか?

kisyuu(管理人) さん (kisyuu@anet.ne.jp) 2003年 11月 21日 21時 45分 27秒
URL:http://www.bd.wakwak.com/~tsugita/train/train.htm

雲隠れさんの質問に答えさせていただきます。

紀勢線が新宮まで電化されたのは昭和53年9月1日で和歌山繰駅までは昭和43年9月1日 に電化されており、和歌山−和歌山市間は和歌山線と同じ昭和59年9月30日に電化されています。

それまで特急くろしおに使用されていたのはキハ80系で先頭車にはキハ82形(貫通型)とキハ81形(ブルドッグ)があり和歌山機関区(天ワカ)に配置されておりました。

電化後も急行はDCのキハ58系やキハ65系で昭和60年3月まで運用されていました。

家族が言う事には、先ほどのNHKニュース845で貴志川線の廃止が検討されているというニュースが報じられていたそうです。

雲隠れ さん 2003年 11月 20日 22時 46分 10秒

野上鉄道様>
はじめまして。そういえば昔、紀勢本線の新宮以西でも非電化の時代に国鉄タイプのディーゼル特急が走っていたような気がしましたが・・・・・。いや急行だたかな?(私の記憶違いかも・・?)「紀州」ではないです。
「ブルドック」は違ったかな?
すみません。いい加減な記憶なので思い出せません・・・。

管理人様>
紀勢本線(西側)の電化が完了した時期の事はご記憶にありますでしょうか?「くろしお」使われた車両って「ブルドック」でしたでしょうか?
以前に何かの書物で見た記憶があるのですが、全く思い出せません。
こんな事書いていると、今はかなわない夢物語という事が分かっていても、本気で乗って見たいと思ってしまいます(笑)。

皆様>
突然変な事を聞いてしまいますが、今は無きブルートレイン「紀伊」に関しての思い出話やエピソードってお持ちですか?昔私の住んでいるすぐそばの関西本線を走っていただけに廃止されてしまったのが20年たった今でも残念に思います。

野上電鉄 さん 2003年 11月 20日 21時 43分 33秒
URL:http://asama189.hp.infoseek.co.jp/index.html

キハの画像を画像掲示板にUPしておきました。

野上電鉄 さん 2003年 11月 20日 21時 42分 04秒
URL:http://asama189.hp.infoseek.co.jp/index.html

こんばんは 野上電鉄です。
今日、和歌山駅にキハ181系の臨時団体列車が来ました。
旅客扱いではなく、回送だったようです。 
6番線に停車していました。
はまかぜの車両みたいです。

雲隠れ さん 2003年 11月 18日 22時 09分 01秒

だい様>
今晩わ!一概にはいえないとは思いますが、禁煙車でなくても中には平気で喫煙されている方もいらっしゃるようですね。
私はタバコは吸いませんし、又、どちらかと言えばタバコの匂いは気になる方なので、指定席は出来る限り禁煙車の『ムーンライトながら』でキャンセル待ちをする時や10時丁度の時点で並ぶ時です。切羽詰まっているときはそんな贅沢がいっていられないもので・・・。そして希望の席が確保出来た時点で乗車変更をかけますが・・・・。
まあ確かに乗り換えは少ない方がいいですが・・・・。

だい さん 2003年 11月 18日 00時 37分 21秒

雲隠れさんこんばんは。
冷静に考えるとやはりゥ・(笑)
3号車の喫煙もありますが、コレに限らず喫煙席っていうのはどんな感じですか?
僕はタバコは吸わなくて煙は嫌いなほうなんですが。前に友達に「思うほど喫煙車
はタバコくさくない」とも言ってたのですが。
本数少ないですよね、それに高校生がたくさん乗ってると立つのも苦労する区間あり
ますし和歌山から串本まで、乗換1回がいいですね。

雲隠れ さん 2003年 11月 17日 17時 13分 25秒

だい様>
普通列車は本数が少ないのから、やはり特急の利用がいいかな。仮に座れ無かったとしても・・・・・。
そういえば特急列車の近距離の利用って割高に感じませんか?新幹線等正にそのいい例ですね。

だい さん 2003年 11月 17日 11時 22分 45秒

ほたる号さん、もしもしさん ありがとうございます!
串本へはちょくちょく行くのですが、いろいろ節約方法を考えてましてゥ・^^;
今まで串本方面は車だったので、よくわからなくて。
立つ覚悟するなら、普通にしようかな(笑)1度経験ありなんですがゥ・
それにしても普段南海利用してるのですが、串本へたまに行くようになり、JRを
使うようになったのですが、関空快速快適ですね^^1人席なんてグリーン車みたいっす♪

もしもし さん 2003年 11月 17日 06時 54分 40秒

はじめまして。だいさんへ。くろしおは、海南から座すかは運しだい。しかし、紀伊田辺、最悪でも白浜からは、余程のことがない限り座れます。1時間ほど立つ覚悟をして、特急料金の節約をしてください。

ほたる号 さん 2003年 11月 16日 23時 20分 25秒

JTBの「旅」12月号の鉄道用語を解説するコラムに野上電鉄とおぼしき写真が掲載されています。
テーマが「タブレット」でして、タブレットを交換する写真があるのですが、車両が野鉄の車両のようでピンときました。周りの風景から察するに紀伊野上駅っぽいです。
興味ある方、一度ご覧になってください。

だいさん:
土曜日となると混雑しているような気がします。
御坊を過ぎるとだいぶん落ち着くとは思いますけど・・・。

だい さん 2003年 11月 16日 19時 32分 37秒

はじめまして。場違いかなと思いましたが、質問させてください。
今月29日土曜日に海南からSくろしお25号に乗り、串本へ行くのですが、
禁煙自由席は座れないでしょうか?和歌山から乗ると少し高くなるし、
やはり指定取ったほうがいいでしょうか?できるだけ節約したいのですが。
このような質問ですみません。ご存知の方いれば教えてください。
絶対座れる保障はないのはわかっているのですがゥ・

モハ561型 さん 2003年 11月 16日 16時 26分 53秒

 ご無沙汰しています。
昨日の真夜中の関空連絡橋での訓練、私も朝のNHKテレビで見ました。開港以来初めてとのことですが、関空開港直前の1994年5月19日に同様の訓練を行っています。この時は、
南海1000系とJR223系での訓練でした。南海1000系は2回目の参加です。はるかは初めての参加です。南海電車の場合7000や7100系の場合連結器の構造が違うためどのような中間連結器を使うのか、興味があります。次回やるとき南海電車は7000系で参加してほしいです。

急行きのくに さん 2003年 11月 16日 15時 03分 02秒

雲隠れ様
 危惧されることは同感です。事故の大小にかかわず、運行マニュアルを遵守されなかったり、あるいはマニュアルが不備だったり人為的なトラブルが原因というのは少なくないでしょう。どんな業種、行政に限らずですが、危機管理を徹底できているかは重要な問題です。交通機関の業者場合、直接人命を預かっているわけで、自社の業績の問題ではとどまりません。
 まして指摘のあった相互乗り入れなど複数業社間の連携は、(くわしいマニュアルの取り決めの実際については分かりませんが、)誠実に時間と労力を惜しまず、対等にあらゆることを想定した徹底した共同マニュアルの作成と遵守、そして訓練がなされるべきです。裁判で責任の所在を争うといったことは避けたいですね。それに徹底した合理化や経費削減が安全に影響しないよう願いたいです。

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