C57 119の履歴

1997.11.3 

集煙装置、重油タンクを装備した唯一の保存機で全面に「くまの」のヘッドマークが添えられています。

昭和14年三菱重工業で誕生、宮原区新製配置で戦時中から白河、高崎、大宮と東京の北で活躍していたが、高崎電化で一転鹿児島に転属、ここでC60の投入で天王寺鉄道管理局の山田機関区に転属、その後紀勢線全通の昭和34年に和歌山機関区に配属となりました、その頃和歌山機関区には6、61、78の姉妹がおりました。

和歌山時代は準急「くまの」の牽引があり、集煙装置、重油併燃改造、ボイラ前端角化が施工されており、 以後紀勢線のSL廃止の昭和48年まで活躍し、廃止後岡公園まで運ばれ、南海和歌山軌道線の321号と共に保存されています。

毎年正月と子供の日には開放されており、時々子供達が元国鉄和歌山機関区OBの「田中一郎さん」の指導の元きれいに磨き上げられています。

田中さんに聞くと「119は最高状態の部類の釜ではなかったが、長く和歌山区にいた釜であった」との事、内心は鷹取工場最後のSL整備出場車(その後C57 1の検査を担当したが)できれいに磨き上げられ試験走行する姿はテレビ等のニュースにも取り上げられ、また昭和47年3月12日に湊町-王寺-和歌山間で和歌山線SLお別れ列車を牽引したC57 6を保存して欲しかったようでしたが、残念ながらC57 6は検査期限までの期間が長く残っていたため、遠く北海道まで転属しそこで保存される事なく一生を終えたそうです。



ESSAY