1998年1月2日の日記

1998.1.12 

1月2日 二男の尚弘と和歌山市内小旅行の様子です。

オーシャンアロー 13:45 自宅から最寄り駅のJR紀勢線宮前駅に徒歩で向かいました。

天候は曇り、14:00宮前駅に到着、宮前駅は無人駅であるが切符の自動販売機があるので和歌山市駅までの分大人180円、子供90円を購入、和歌山市駅までは次の和歌山駅で6分の待ち時間で乗り換え14:23到着予定、乗車距離は5.4Km。

14:02 47M特急オーシャンアロー17号新宮行きがが通過して行きました。

オーシャンアロー今日の編成は9両で前後とも展望車となっていました。

オーシャンアローに使用されている283系特急電車はVVVFインバータ制御方式、MT比は1:2、最高運転速度が130Km/h、制御振り子式となっています。

総勢18両で弾力的な運用をするために、新宮側に非貫通の展望車がある6連の基本編成が2本と、両端が貫通式の3連1本、それに京都・天王寺側が非貫通の3連1本の3種類があり、第1陣として平成8年7月に落成し日根野電車区に配備されています。

165系356M 宮前14:08発の紀伊田辺発和歌山行き356Mを待っていましたが、隣接の和歌山駅からアナウンスがあり約7分ほど遅れているとの事でした。

14:15分頃に356Mが7分遅れで到着、3両編成で2扉急行形の165系のためデッキ付近は満員でしたが何とか乗り込めましたが、和歌山駅で和歌山市行き8243Mに連絡しているかが心配でした。

165系は急行用車両で橙と緑の国鉄色で残っており、最近は貴重な車両として人気があり日根野電車区には3両編成11本が配置されていて紀勢線紀伊田辺以南の普通列車として運用されており、新大阪発新宮行きの2921Mとして新大阪にも顔を出しています。

105系ワンマン車 幸いにも和歌山駅では先発の14:16発和歌山線高田行き458Mも発車待ちをしており、458M出発後和歌山市駅行き105系2両の8243Mも発車しました。

105系は昨年まで奈良電車区の配置でしたが、10月に和歌山電車区新在家派出所改め新和歌山車両センターに配属となり、今年の3月14日のダイヤ改正では紀勢線の新宮地区にも進出するそうです。

和歌山-和歌山市間の列車普段は1時間に1本ですが土曜休日は30分毎となっており、和歌山市到着後あわただしく折り返して行きました。

和歌山市駅2番線 和歌山市駅のJR側のホームは以前1番線と2番線を使用しており、機関車付け替えのための機回線も有りましたが現在は1番線、機回線とも撤去され、2番線も短縮されてしまっています。

昔は和歌山線、紀勢線の列車が発着しておりC57やC58が客車を牽引して顔を出しており、東京行きの寝台車が有った時もあり、その後DF50やDD13のディーゼル機関車、晩年にはDE10に牽引された和歌山線の赤い50系客車や紀勢線のブルーの12系客車、それにキハ35系キハ58系、電化後は113系電車も見られました。

でも今は紀和駅(旧・和歌山駅)と共に寂れてしまいました。

和歌山市駅6番線 改札を出て和歌山市駅ビルにある高島屋和歌山店正月恒例の駅弁大会で富山名産「ぶりの寿司」を買うのが今回の第二の目的でしたが、残念ながら売り切れておりやむを得ず「ますの寿司」を買いました。

再び改札を入り水軒に向かうべく7番線に行きました、和歌山港線普通用の7番線は加太線用の6番線とは同一線上にあり簡単な車止めで分離されています。

7番線には15:26発の水軒行が入線しておりました。

特急サザン 5番線に特急サザンが入線してきました、正月明けの帰省客のUターンのため先程出発した上り難波行きの自由席は始発の和歌山港駅でほぼ埋まっておりました、4月の明石大橋の開通で南海四国ラインの将来はどうなる事でしょうか。

南海四国ラインは昭和31年5月の和歌山港線の開通から始まりましたが、船舶の方は途中「南海丸」の遭難もありましたが旅客船から現在はフェリーと高速艇に変わり、連絡列車の方も当初は急行「あわ号」18m車の1551系3両から11001系5連に、昭和36年からは特急に昇格その後一部座席指定も設けられ、昭和60年からは10001系のサザン8両と発展してきました。

和歌山港線水軒行き2202F 一方和歌山港線の各駅停車でも水軒行きの電車は1日に2往復しかなく鉄道ファンにとって人気?の路線です。

和歌山港線の普通列車は以前は単行で運用されており、古くは元電8形改めモハ701形さらに出力強化されたモハ1021形の5枚窓のタマゴ形木造車や電4形を半鋼体化したモハ1061形、元高野山電気鉄道デ101形改造のモ561形、18m万能車1201形、20mの通勤車1521系等が使用されておりました。

昭和59年に2連が入線可能となってからは、本線用の7000系、7100系、高野線から平坦化改造された下りてきた21000系、22000系、その改造型の2200系が使用されています。

高野線から下りてきた車両はズームカーが最初ではなく、前述の高野山電気鉄道のデ101形改造のモ561形が昭和38年頃短期間和歌山港線で運用されていましたが、後に汐見橋線に転属しました。


その後水軒から橋を渡った所にある和歌山バス「石切場」から乗車する予定でしたが、正月ダイヤのため時間があったので、トンネルを抜け雑賀崎、田ノ浦の海岸にある「なぎさロード」を歩き、元南海和歌山軌道線和歌浦支線の終点「新和歌浦」を目指しましたがバスが出発した所だったのでさらに元和歌浦電留線跡にある和歌山バス本社、車庫を過ぎ海南線との分岐点「和歌浦口」からバスに乗車し17:00帰宅できました。


ESSAY