野上電鉄クハ100形



クハ100形は主にラッシュ時に連結する制御車でしたが晩年は休車となっていました

クハ101は2代目で先代の車体を阪神1121形1128の車体と振り替え1961年(昭和36年)4月に竣工されているが、台車は当初近江鉄道から初代23、24が履いてきたガソリンカーの物を利用していたが重さに耐えきれず水間電鉄からのブリル台車を付けていたが、1963年(昭和38年)に現在の南海から譲り受けたブリル台車に取り替えられました。

31、32と同じく明かり採り窓つきの姿ですが、残念ながら102と共に登山口駅の奥で長い間休車状態で放置されており、廃止後は登山口駅構内で102と共に解体されてしまいました。

連絡口横で化粧直し直後の101

登山口駅の奥に押し込まれ放置された101、102 クハ102は先代が玉野市営に売却される事となりその代替として阪神1111形1118の車体と南海のブリル台車を組み合わせ1962年(昭和37年)に竣工されました。

残念ながら優雅な明かり採り窓は埋められてなくなっており、101と共に登山口駅の奥で長い間休車しており101と共に解体されました。

窓ガラスの替わりにベニヤ板を張られてしまった哀れな姿、前方の明かり採り窓付きの車両は101で後方の明かり採り窓無しの車両が102です。


クハ104は阪神1121形1122でクハ103を廃止するため1962年(昭和37年)に阪神1130=野鉄31と同時に購入したが103が廃車の前に完成したので番号の重複を避けるために104となりました。

竣工は1963年(昭和38年)、制御車の中では一番最後まで活躍していたが廃止前には日方車庫で休車状態になっており、廃止後車庫と共に解体されました。

104巽の変電所近くで


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