恩 寵 を 顧 み て
 
 
今この修練所に属する青年諸兄姉と一堂に会して起居を共にして恵まれた清い集りを持つことの出来ますこと
は、どう言い表わしてよいか分らない感謝の念に、喜びに、溢るるものであります。我が北一条教会六十年の歴
史に於て、今度のことは一つの大いなる記念すべき集会となる様にと、心ひそかに祈っているものであります。
私は主の恩寵を顧みて、若干の感想と告白とを致すことになって居ります。が何とぞ今宵は皆さんと心ゆくまで
恩寵に感謝し、そこから、明日への信仰生活に上よりのお導きを受けたいと思います。
 私が活ける主イエス・キリストの御恵みを如実に受けて、私の生活がエペソ書第二章十節にパウロの書きしる
した 「我等は神に造られたる者にして、神の預め備え給いし善き業に歩むべく、キリスト・イエスの中に造られ
たるなり」と信ずるに至った信仰生活に導かれたのは今から三十三年前、つい昨日の様に思うのですが十一月六
日の夜であったのであります。その日は金曜日で毎週の如く小笠原さんの家、札幌停車場の今の日本興業銀行の
建っている小路の北向の家で、求道者会が開かれておったのでした。丁度冬の初めで北西の風が強く吹いて霙さ
え降って来て、北海道で一番嫌な天候のその頃でありました。平素は十人位集まっているのでしたが、その日は
天候に煩わされ寒くもあったので僅か集るもの三人でしかなかったのです。当時ほ高倉徳太郎先生が牧師であっ
て、一寸とっつき悪い顔付で言葉も荒い表現の、如何にも意志の強い、時々ジロジロと顔を挙げて見られる目に
心の底を見抜かれるようで思わずタヂタヂとしたものです。
 小野村先生も恐ろしい目をされますので冷やっとしますが、高倉先生のは心を剥ぐ様に思われました。その晩
はイエス・キリストの十字架について、訥訥(とつとつ)と吃りながら話されました。外は荒れております。風雪の音が無気
味に聞こえる。聞く者は僅かに三人、寒々とした部屋の空気に小さく寄り合ってお話を聞いておりました。高倉
先生はイエスが十字架上に於て言われた七つの言葉についてお話を進めて居られました。特に「エロイ、エロイ、
ラマ、サバクタニ」 「わが神、わが神、なんぞ我を見捨て給いし」と言う聖言について罪なき神の子イエスが何
故神に棄てられると思われたかについて話をされました。而もその十字架を囲んでいた祭司も学者も群衆もロ
ーマの兵士もイエスを罵って居る有様が目に見ゆる様に思いました。十字架上のイエスの痛々しい姿が私の心の
目にハッキリと写ったのです。そのとき私はこの神の子を十字架につけて殺したものは人類の罪であり、その罪
の裁きを贖う為に罪なきイエスが苦しみ、捨てられ死に給うたという何度か聞いた話が急転しまして私即ちこの
西村という汚い罪人の犯せる罪や心がイエスを殺したのだ、下手人ほ私であるという殺人者の実感、しかも、我
が主、我が恩人、我が父を殺した恐ろしい罪を我が内に感じて戦慄いたしました。私はあの群衆の一人であると
思いました。私の目の前は暗くなって、その室に居ることを忘れ、先生のこともそこにおった他の人達のことを
思うことなく、只十字架上のイエスの御姿と、イエスを殺した自己の罪の恐ろしさに心が転倒して了いました。
涙が止め度なく流れました。どうしてよいか分りませんでした。オロオロした不安定な心の状態が続いている中
に先生のお話も了り私も我に帰ったのでありますが、その場では沈黙していました。霙を傘に受けながら家に帰
りました。帰る途すがら十字架の上に血を流し給うているイエスを思いつづけていました。家に帰った時に家人
は寝ておりましたが、その晩はマンジリとも出来ぬ心の動揺を炬燵(こだつ)に足を入れて円くなりながら蒲団を涙で濡し
つつ三時頃まで祈りました。
 主イエスにお詫びしたのです。この殺人罪、主を売り、救主なる恩人を殺した、おのが罪を主の清き血によっ
て許して頂く外に生きる道がなかったのでした。
 私はその時自分の生涯は殺人罪から赦し罪から解き放ち給うた主のものであることを朧気ながら信ずるに至
り、翌日朝早く、小笠原さんが漸く起き出られた時に行って洗禮を受けたいと申出で、その翌日の日曜日の禮拝が
洗禮式の予定になっていたので禮拝前に試問を受けて、私は北一条教会に入れて頂いたのであります。絣の着物
に袴を穿いて喜び溢れて洗禮式に臨んだのは昨日の様に感じます。その時私は十八歳で二度目の中学四年生でし
た。二度目とは面目ないが落第したからで、意志薄弱で、怠者で、世故に長け多血質で、多弁で、熱情家ではあ
って人一倍不潔な思いに捕われていた多情多感な西村、気軽な人間として級友に親しまれていたと思いますが、
お調子者、オッチョコチョイの部類におった私が、クリスチャンとなったのであります。「我は正しき者を招か
んとにあらで罪人を招かんとて来れり」、とパリサイ人に答えられたイエスの食事の席、即ち教会に私は招かれ
て座ることを許されたのです。ああこれは只、キリスト・イエスの御恩寵と憐れみでなくて何でしょうか。只キ
リスト・イエスの十字架の愛の恵の外には御座いません。あの時愚かな私に、イエスを十字架につけて殺したの
は自分の罪である、という生々しい実感と戦慄と、悔改めを与え給うたものは、聖霊の働きである事を固く信じ
ます。世の如何なる哲学も論理も智慧も「十字架の救い」を示してくれるものはありません。コリント前書第一
章十八節以下の言葉通りであります。私は聖霊によって主イエス・キリストに召されたのに相違ないのでありま
す。これほ私の信仰の根底であります。
 落第生がクリスチャンになってキリスト教のパンフレットを級友に配る様になった時、優等生や級の有力者や
与太連中に、噺(はや)したてられ、見ている前でも、見ぬときでも、笑い者にされ、どんなにキリスト教の尊厳を傷つ
けられたか知れません。急に私の品性や学力が、他の人の見る程に向上した訳でありません。然し、活ける主は
私を新たに生まれしめ、段々に私の心にキリストの姿を刻ませました。私ほ祈ることに於て、聖書を深く読む事
に於て、教会の交りに入ることに於て、人生の目的が何であるか、只神の御栄光の為である事が分り、そのこと
が私の人生を決定したのであります。他人には私の変化は分りませんでしたけれども私の母は母の愛を通して私
のうちに何かが働き出し、今迄不甲斐ない長男の甚六に心を痛めていたのに、今は何か永遠の光を私の何処かに
認め、生まれながらの多血性久蔵に何か天来の、天につける或物が接木されたこと、その接木から愚かな長男に
無かった、天よりの賜物即ち信仰が芽を出して来たことを認めて驚き、それがイエス・キリストの業であると知
ったとき、私の受洗後三年で母も亦、北一条教会員になったのであります。一粒の麦が、我が西村一族に芽生え
て母に及んだのであり、十年にして父に、かくて限りなく一族一党、それからの生涯に多くの兄弟姉妹が主によ
つて与えられ、未だ不完全ではありますが、信仰の店、信仰に生きる家業に進んで来たのであります。
こんな風にお話したら一週間位寝ないでしても私の恩寵の回顧、恵みの証は尽きるものでない事は先生方と同
様であります。そこで私は一つの重大な私の主に対する裏切りを悔改めた事を申そうと思います。そしてそれは
又我が北一条教会、広くしては我が日本の教会の重大問題であると思うからであります。
私は中学四年生の時に、四五人のグループと日本の将来、東洋の解放、支那との親善のことをよく論じまし
た。そして上海の東亜同文書院に、卒業したら行くんだと話し合っておりました。自分は支那の婦人と結婚する
んだと本気で夢に見てたこともあり横浜の南京街に行くのが楽しみでした。多血質の私は激しい愛国心を持って
居ったものです。それだけに私は天皇を崇拝し、軍隊の使命を御勅諭通りに信じて軍人の素直さを愛し、世に出
てから資本主義社会の腐敗と政治家政党の底なき腐敗を見るに及んで、私は日本軍人と軍隊ほ世界に比なき忠誠
無比、道義絶倫のものとして、日本国の危機に際して政治家よりも真の軍人に信頼しておりました。
私が本当に主イエス・キリストと聖書にのみ信頼しておらなかった為に、私は心からの非戦主義、無抵抗主義
を生命を賭しても、日本国と八千万の同胞の救いの為に、キリストを信ずる者として、心魂に徹せしめておらな
かったのです。真理を割引きして居ったのです。キリストのみを愛さなかったからです。キリストを愛すること
が日本を全く愛する唯一のことである、という信仰にまで私は進んでいなかったのです。そこに目に見ゆる世の
目に見ゆる生活の、自然自分から割出して考える考えも混ざって、支那事変出征以来、敗戦に至る迄、其時其時
に、日本とキリストへの忠誠をバランスして過して了いました。四十歳で支那出征を境として、私の人生行路は
迷ったといわねばなりません。何度か気がつき、何度か信仰と教会の為に戦い、軍人としては公明の道を誤りま
せんでしたが、やはり愛国の途に世俗の途が混乱し、信仰の道が鮮明を欠き、誤り進む国の姿に真の愛国の実践
の機会を失って了ったことを主の前に灰を被って悔改めました。私は平気で、今迄の生活をそのまま続けて行く
ことが出来ず、新しく日本人として、敗戦の悲しい祖国の現状を我が重荷として、クリスチャンの終りを全うし
たいと思い、祈りと実践に、五十歳を一期として悔改めの生活に出発した次第です。四十歳にして主の前にまど
った不信の私もこの十年の手痛い主の鞭と憐れみに依って、五十歳にしてやっと信仰の道に本気で進む決心をし
ました。若き兄弟姉妹達よ、祖国の今の姿とその前途を何と見て居りますか。「亡国から滅亡に」、日本民族は
駆り立てられて居ります。蒙古民族の末路を私は支那に見て来ました。フィリッピン、朝鮮、日本の民族の危機
です。少なくとも民族の光栄はこのままでは滅びます。祖国の独立はいつまでも与えられないでしょう。
 生活として、ニヒリズム、それは祖国の姿です。ニヒリズムの生活の空自を埋める為に、あらゆるものが流行
している。スポーツ、スクリーン、ダンス、酒、煙草、富義、盆踊り、朝から晩まで如何に退屈して、サボって
いることか、働くことをしないで、騒げば食えると思っている。安本は全く自信を失っているが嘘の計画を一応
は出しています。国民は働かないでもその計画通りになると思ってもそうは行きません、当てが外れてインフレ
ーションが増進するだけであります。唯物思想と共産党は民族と国家を破壊している事を知りつつも悪霊に取り
つかれて、ソビエット政権を見習っています。今日本民族が生きておれるのはアメリカ進駐軍の治安と今迄満三
 
年六億ドルの主食と主要資材を日本に運んで来ているからに過ぎない。日本政府はあっても行政権も、司法権
も、立法権も、毎日毎日失いつつある。アメリカの保護国か居候の様なものである。
 数日前の朝日新聞の文芸欄に或る応召学生の遺言が紹介されて居りました。カーニコバルで軍隊のスパイ取調
べの通訳を手伝って居った或る応召学生が軍事裁判で戦犯として死刑に処せられたその若い不幸な学生の日記で
あります。「自分は軍閥の為死ぬと思えば残念だが、今世界から憎まれている日本と日本人の罪と患難を負うと
思えば笑って死ねる」という様な意味の事が書かれてありました。彼は聖僧の如く静かに絞首台に歩んで行っ
た。残された歌は「おののきも、かなしみもなし絞首台、母の笑顔を抱きてゆかん」というのであります。誰か
この敗戦の責任をこの歌に感じて彼の志に泣かぬ者があろうか。世の罪を負うて、十字架につき給いしイエスを
主と仰ぐキリスト者が祖国の罪と祖国の腐敗と破壊を我が身に負うて闘わずしてよいであろうか。それでも、隣
りを愛する信仰であろうか。祖国を真実に愛しているものの生活であろうか。共産党の勢力の増大は一面クリス
チャンの怠慢であるといったユニオン神学校のジョン・ベンネット教授の言葉に私は責任を感ずる。キリストの
血に生きた我らはキリストの為に感謝して十字架の道を歩まねばならない。私はここに集まられた兄弟姉妹が、
キリストの血に誓約して、札幌北一条会内に一つのグループを作り、毎週祖国救援の為に、キリストに献身する
為に、特別の祈祷会を持ち、そこに上よりの聖霊の力を与えられ、一つの信仰一つの決心をもって団結し、具体
的な伝道と、信仰生活の実践を、家庭に、職場に学校に、街頭に展開し、新たな発足をせられんことを望んで止
みません。
静かに不当なる死に直面した時の一青年がキリスト教の信仰がなくても遂に贖罪によって死を受け入れ決心し
ている。然し淋しい。そこに歓喜がない。キリスト者はその先を持つ者でなくてはならない。キリストの苦難に
与る喜び、そこに信仰の勝利があるのです。戦闘の教会として諸君は航空母艦より飛立つ決死隊であります。教
会は母艦です。レーダービーコンは祈りであります。
 ヨハネ黙示録第三章一四節−一九節に、
「ラオデキャにある教会の使に書きおくれ、
 アーメンたる者かく言う。われ汝の行為を知る、汝は冷かにも非ず、熱きにも非ず、我はむしろ冷かならん
か、熱からんかを願う、かく熱きにもあらず冷やかにも非ずただ微温が故に我汝を我が口より吐き出ださん。汝
我は富めり、豊なり、乏しき所なし、といいて、己が悩める者、憐れむべき者、貧しき者、盲目なるもの、裸な
る者たるを知らざれば、我汝に勧む、汝我より火にて煉りたる金を買いて富め、白き衣を買いて身に纏い、汝の
裸体の恥を露わさざれ、眼薬を買いて汝の目に塗り、見ることを得よ、凡てわが愛する者は、我之を戒め之を懲
す、この故に、汝励みて悔改めよ」とあります。
                 (一九四八年八月、野幌に開かれた青年会修養会にて)




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