5.ペルガモンの教会へ
(1) 古代ペルガモンについて
ペルガモンの地域で発見された陶器によって、アルカイック時代に、すでに、現在の街の位置に、小規模な移住が行なわれていた
ことが明らかである。ペルガモンは、ペルシアの拡大が頂点に達したとき、ペルシアの総督のゴンギラスによって治められた。より後
に、クセノホンの統率の下にあった傭兵が、兄であるペルシアのアルタクセルクセス二世に対する弟のキュロスの叛乱を、それは結局
は失敗に終わったのであるが、援助するために途中、紀元前四〇〇-三九九年に、その街を通過している。紀元前三三三年のアレク
サンドロス大王の死後、アレクサンドロスの将軍の一人のリシマカスが、西小アジアを支配するようになった。彼は身の安全のため
に、九千タラントをペルガモンに預金し、財宝を守るために、フィレタエラスという名のパフラゴニアの宦官を任命した。リシマカスが、紀
元前二八一年に殺されたとき、その国はセレウコス王朝の手に落ちた。しかし、フィレタエラスは、ペルガモンとその財宝の管理を続け、
それでもって、ペルガモンの君主政治の基礎をつくった。フィレタエラスの養子で、その後継者であるエウメネス(紀元前二六三ー二四一
年)が、ペルガモンの最初の王になった。その都市は栄え、紀元前二八三年から一三三年にいたる百五十年間、ヘレニズムの世界に
おいて最も輝かしい文化の中心であった。