在位ローマ皇帝表(E.ギボン「ローマ帝国衰亡史T」中野好夫訳、筑摩書房、1993)

                 生年(カッコ内)と在位年間

アウグストゥス (前63)前27-14 前名がガイウス・オクタウィウス。母がユリウス・カエサルの娘だった縁で養嗣子に指名された。

ティベリウス (前42) 14-37 アウグストゥスの后リウィアの連れ子。直系男孫が絶えたために、アウグストゥスの娘と娶合され、56歳で帝位に則く。

ガイウス(カリグラ) (12) 37-41 本名がガイウス・ゲルマニクス。カリグラは綽名で「兵隊靴」の意。ティベリウスと遠い血縁につながっていた関係で、はからずも帝位を受ける。最初の有名な暴帝。結局皇宮内で刺殺された。

クラウディウス (10) 41-54 カリグラの叔父。カリグラの横死後、近衛隊に推されて即位。次のネロの母アグリッピナに毒殺されたらしい。

ネ ロ (37) 54-68 カリグラの妹小アグリッピナの子。17歳で帝位に即いたが、史上あまりにも有名な暴帝。このネロの死でユリウス・カエサル家系の帝統は終り。

ガルバ (前3?) 68-69 ヒスパニア属州総督だったのが、ネロの自殺後、近衛隊に推されて登位。だが、わずか1年でまた軍に殺される。以下、軍擁立の帝がつづく。

オトー (32) 69 当初はガルバを支持。が、まもなく近衛隊を扇動して、みずから帝となる。だが、わずか3カ月で戦敗死。

ウィテリウス (15) 69 オトーを敗死させて即位したが、これまたたちまち敗れて殺される。

ウェスバシアヌス (9) 69-79 これも軍の推戴を受けた皇帝。但し、10年余の治世で国内秩序を回復。またユダヤ平定に成功。フラウィウス家帝統のはじまり。

テイトウス (39) 79-81 ウェスバシアヌスの長子。父子継承皇帝の最初。病死で短治世だったが、ベスビウス噴火、ローマ市の大火、疫病の跡始末などに治績を上げた。

ドミティアヌス (51) 81-96 テイトゥスの実弟。治世は15年間にわたつたが、逆に暴虐の恐怖政治を行ったことで悪名高い。末路は謀殺。フラウィウス家帝統の終り。

ネルウァ (30) 96-98 いわゆる五賢帝時代のはじまり。ドミティアヌスの横死後、元老院推挙で即位。すでに66歳の老齢であったが、善政を布いた。

トラヤヌス (52) 98-117 ヒスパニア出身。ネルウァに信任されて養子となり、数々の外征に成功。ローマ帝国最大の版図を誇った。内政上の治績も上げた。属州出身者として最初の皇帝。

ハドリアヌス (76) 117-138 トラヤヌスの遠縁。少年時からトラヤヌスの後見を受け、即位後は平和政策をとり、膨張よりも内治に全力をつくした。ローマ法制の基礎を固めたり、学問芸術を保護したり、帝国の最盛期と見てよい。

アントニヌス・ピウス (86) 138-161 ハドリアヌスの信任をえて養嗣子に指定された。即位後は穏健な善政を行い、キリスト教の迫害を禁じたりした。国民の心服をえ、敬虔帝(ピウス)と讃えられた。

マルクス・アウレリウス (120) 161-180 ピウスの養嗣子。あまりにも有名な哲人皇帝だが、その治世には失政もあり、またゲルマン蛮族の侵攻に終始苦しみ、彼自身も出征中に陣没した。