讃美歌291(主にまかせよ)

2. 踊る宗教−イコニオン

  さて、パウロたちはピシディアのアンティオキアから、山々を南東に横切ってロ ーマの軍用道路をリストラとデルベに向かって歩きまし

た。けれども、彼らはリストラに到着 する前に、東に向きを変えまして、イコニオンに向かいました。そのときには、イコニオンではピシディ

アのアンティオキアとは異なっていて、まだローマの入植者はいないギリシアの町で した。パウロとバルナバとは、イコニオンのシナゴー

グに入り、宣教いたしました。写真1は、イコニオンに向うところです。

 その途中に、 写真2 のような高さ千六百メートル位の二つの山があります。左がテクラの山であり、右がフィリポの山です。パウロにし

たがっていったテクラという女性とイエスの弟子のフィリポを記念してつけられたものです。

1.コンヤへ

2.テクラ山とフィリポ山


 イコニオンは、現在コンヤとよばれています。ギリシア神話では、イコニオン は、あまりにも恐ろしい顔をしているのでそれを見たら石になると

いう女性の怪物であったメ ドゥサの頭をペルセウスがきりとった場所として描かれています。メドゥサはもとは美しい乙女でした。とくに、髪の毛

が素晴らしかったのです。ところが、ポセイドンのものとなったために、、女神アテナによりすべての美しさが奪われてしまい、美しい巻き毛は蛇

に変わってしまったのです。残酷な怪物になってしまったメドゥサは、その顔つきがあまりにも恐ろしかったので、誰でも一目見たものは石にな

りました。ペルセウスは、その怪物退治にやられることになりました。このペルセウスは、アテナとヘルメスに可愛いがられていましたので、ア

テナからは楯を、ヘルメスからは翼のついた靴を借りました。ペルセウスは、メドゥサが眠っている間に、その顔を見ないようにして、メドゥサに

近寄り、首を切り落としました。

 イコニオンは、紀元前二五年に、ローマ 帝国に併合され、ローマのガラテヤ州の中に入れられました。ここは、使徒たちにより 訪ねられたす

べての町の中で、今なおコンヤとして存続しています。またここは、イスラムの一派である踊る宗教の中心になった町でもあります。現在では、

教祖であるメヴラーナを記念しまして、毎年十二月十七日には、その儀式が行なわれ、多くの人々が集まります。トルコの町々の中で、一種独

特の雰囲気を醸しだしているところで す。写真3、4 は、そのコンヤの町です。 写真5 は、コンヤ博物館です。休館日でしたが庭だけを特別に

見せていただきました。というのは、ここにはリストラと、デルベの石碑があるからです。こんなことはざらにありますが、できるだけ事前に調べ

ておき、無駄なことをしない ようにしておくことに越したことはございません。 写真6、7 は、メヴラーナの博物館です。写真8は、終始、わたし

たちを、誠実に、案内してくれました回教徒のトルコ青年です。 写真9、10、11 は、博物館内部です。また、写真12は、楽器です。写真13

は、模型ですが、踊っている修道僧、 写真14、15 は、修業中の修道僧です。


3.コンヤ1

4.コンヤ2

5.コンヤ博物館

6.メヴラーナ博物館1

7.メヴラーナ博物館2

8.ガイドのトルコ青年

9.内部1

10.内部2

11.内部3

12.楽器

13.旋舞の間

14.修道僧1

15.修道僧2

  ところで、メヴラーナの踊りといいますのは、踊る人は、写真15のように、円筒形の帽子を被り、白い上着とスカートを着ます。帽子と上着は

墓をあらわし、スカートは墓を覆う布だそうです。踊ることにより、あらゆる束縛から解き放たれて、神さまと一体化します。片手を天に向かって

あげ、ぐるぐる回ります。そのようにして恍惚の状況になります。