讃美歌24(ちちのかみよよるはさりて)

3. テクラとの邂逅

 以下の物語りは、第二世紀の外典の「パウロとテクラ行伝」によるものです。イコニオンは、二世紀の外典であるパウロとテクラ行伝の

中に記録されていま すパウロとテクラとのロマンスの舞台になったところです。写真1は、テクラです。パウロは新しく町々を訪ねるとき に

は、予め弟子を送ることを習わしとしていました。弟子のテトスの知らせを受けて、イコニ オンではオネシフォロがパウロのくるのをまって

いました。パウロの到着と同時に、オネシフォロ は自分の家に招き入れました。そこで、パウロの説教がなされました。

 パウロが語っている間、そのとき十八歳であったテクラが、隣りの家の開かれ ていた窓際に座って、使徒の言葉を注意深く、楽しそう

に聞いていたのです。彼女の母のテオ クレアイは、その姿を見て驚き、テクラの婚約者であるタミュリスに、「タミュリス、テクラが三 日三

晩、窓から立ちあがろうともせず、食べたり飲んだりすることもなく、人を騙そうとして いる異国の教えに熱中してしまっており、慎み深い

乙女がそれを少しも気にしないのが不思議 です」と言いました。テオクレイアとタミュリスの二人は、テクラをパウロから離れさせようと し

ましたが、二人がそうしようとすればするほど、彼女はパウロの声とメッセージとに魅せら れてしまうのです。使徒は、乙女を誘惑したと

いう廉で、高官の前に、タミュリスの訴えで、引き立てられて、牢獄に抛り込まれるのですが、テクラは家を抜け出して、自分のもってい

た銀の鏡を賄賂につかって牢獄に入り、パウロの傍にまいります。膝元に座り、その話を聞いて 、使徒の鎖りに接吻するのです。その状

況を描いたものが 写真2 です。つぎの日、タミュリスと、その友人とが牢獄にゆきますと、テクラがパウロと一緒に牢獄にいるのをみまし

た。そこで、高官は、パウロを鞭打って、イコニオンから追放します。テクラは火あぶりの刑に処せられるところでしたが、十字架の印をつ

けて、裸のまま、薪に載せられ、火がつられましたが、雹が降り、火が消え、難をのがれました。

 その間、パウロは、オネシフォロとその家族とともに、テクラが亡くなったものと思い、六日間、嘆き悲しみ、断食をしていました。ところ

が、テクラは、使徒たちを探していたところ、パンを買うためにやってきたオネシフォロの息子にばったり会いました。そこで、彼と一緒に、

彼女は、使徒のところに戻りました。皆大喜びをしました。テクラは、婚約を破棄し、少年の姿になるために、髪を切り、パウロの後を追う

ことになりました。このようにして、テクラとパウロとの物語りが始まる のです。

  パウロとテクラは、ピシディアのアンティオキアに帰ってきました。彼らが町に入ってきたときに、大祭司のアレキサンデルは、テクラを

見初めて好きになってしまいます。テクラは、異教徒の大祭司に抱かれようとするのですが、パウロは、それを制止しようとはせず、その

大祭司に自分は、その女性を知らない、わたしとは関係がないと申します。なんと冷たいパウロであることか。ところが、テクラは、大祭

司アレキサンデルの外套を引き裂き、冠りをひきずり倒します。このようにして、大祭司を衆人環視の中で、笑い者にしてしまうのです。こ

のような恥辱を受けた大祭司のアレキサンデルは、高官の前で、野獣の犠牲にひきづりだしたのです。彼女は、裸にされて、強暴な雌の

ライオンの中に投げ込まれます。しかし、ライオンは、彼女に何の危害も加えず、ただ、その足をなめるだけあったということです。第二回

目にも、、テクラは、着ているものを剥がれて、闘技場に抛り込まれるのですが、野獣は、彼女に襲いかかることをしまなせんでした。テク

ラは、熊を引き裂いた雌のライオンに助けられるのです。ところが、雄のライオンが、雌を殺してしまいますが、テクラは救われます。テク

ラは、祈りました。その願いを終えたときに、大水が彼女に押し寄せてきました。それを見て、テクラは、「イエス・キリストの名において、

わたしは洗礼をうけます」と叫びました。雲が彼女の周りを囲み、野獣たちは、彼女に触れることも、その裸もみることはできませんでし

た。さらに多くの野獣たちが、闘技場に入ってきましたが、テクラに触れることはて゜きませんでした。やがて、火がついて、彼女を縛って

いたロープが焼け、自由になりました。彼女の受難は、これで終わりました。彼女は、衣服をまといました。高官は、彼女の生ける神に対

する証言を聴き、彼女は、解放されました。写真3は、スペインのタラナゴの大聖堂にあるパウロと、テクラの邂逅の図です。  その娘が

亡くなったトリファニアという富裕な寡婦がいました。彼女は、テクラを二番目の子どもとしました。一方には、ポレモン二世、他方には、ト

リファニアの描かれた貨幣が、発見されました。このことは、この富裕な女性の歴史性を裏づけるものです。

 このパウロとテクラ行伝には、パウロの風貌についての大変有名な記事があり ます。それによりますと、パウロは体が小さく、頭の髪

がうすく、両足は曲がり、胴体の格好 はよいのですが、両方の眉毛がくっついており、鼻はやや鈎鼻であり、神の恵みに満ちていま す。

彼はときには人間のように見えますが、ときには天使のような顔をしていると。

 写真4は、聖テクラのバシリカの下にある洞窟です。彼女は、セレウキアに退いてから、ここで福音を説き、最後を過ごしたといわれて

います。彼女を捕らえて殺そうとするものがやってきました。テクラは、この洞窟の奥に逃げ込みました。後に、ベールを残したままいなく

なりました。ベールの形をした岩が,今も残っています。写真5は、地下のバシリカであり、写真6は、その上にある聖テクラのバシリカの

奥室であり、写真7は床に描かれたモザイクです。

 このような伝承と真実の歴史とを区別することは不可能です。けれども、初代キリスト教会の経験した激しい迫害の中に、美しく咲いた

ロマンスとして、忘れることのできないものの一つです。

1.テクラ

キプロス 聖バルナバ博物館

2.パウロとテクラ1

Meinardus,F.A."St.Paul in Ephesus and the Cities of Galatia and Cyprus,"p.33. より転載

3パウロとテクラ2

4.洞窟の入り口

5.地下バシリカ

6.聖テクラ バシリカ

7.床のモザイク