讃美歌2篇26(ちいさなかごに)

4.奇跡−リストラ

  イコニオンでもユダヤ人たちの反対にあい、リストラとデルベに難をさけました。イコニオムからリストラまでは、約四十キロの距離があ

ります。町の名前を記しましたラテン語の碑文のついた祭壇が発見され、ローマの植民地としてのリストラの位置が明らかになりました。

写真1は、その碑文のついた石碑です。このリストラでは、シナゴーグがまだ発見されていませんので、フィリピのように、ユダヤ人たちは

祈祷の一時的な場所をもったものと想像されるのです。わたしたちは、このリストラの位置を捜してその近くの水場で仕事をしていた人た

ちに尋ねました。その人たちは山羊の乳からバターを作っていました。写真2、3は、そのときの写真です。すぐに教えてくれましたが、何

の変哲もない小山のテルをどうして訪ねてくるのが不思議でならないようでした。トルコはイスラムの国です。したがって、リストラがどん

なところであるのか知らないのも無理はありません。写真4は、リストラの小山のテルです。また写真5、6、7、8は、その傍にある泉とそ

の近くの様子です。パウロたちはここで水を飲んだのかも知れませんね。写真9は、そのあたりに咲いていましたヒナゲシです。

1.リストラの石碑

2.リストラの人たち1


3.リストラの人たち2

4.リストラ

5.リストラの泉1

6.リストラの泉2

7.リストラの泉3

8.テルからリストラをみる

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9.ヒナゲシ

  リストラでの目立った事件といいますと、足の悪い人に対してなされた奇跡です。このことは、ここの土地の人たちに深い感動を与え

ました。この事件は、使徒言行録三章二節から八節にでているペテロが足の不自由な人を「美しい門」のところで癒したということとよく

似ています。しかし、ここでの叙述は、第一回伝道旅行でのその他のどの経験よりも生き生きとしていまして、しかも大変劇的です。です

から、ルカはこの物語りを目撃者から聞いたに違いありません。しかもその目撃者はテモテであったかも知れません。といいますのは、

テモテはリストラ出身で、後にパウロの忠実な同伴者となったことはみなさんがご存知の通りです。この事件のあらましはこうです。この

あたりを旅行する人たちは、不幸な体の不自由な人たちを見ることが多かったのです。その一人の足の不自由な男は、埃りの中を足を

引きずり、物乞いをしながら道端に座っていました。パウロは、その人が使徒言行録十四章九節にあるように、癒されるのにふさわしい

信仰のあることを認めました。そこで、使徒は、ペテロが「美しい門」のところで、足の不自由な人を癒したように、パウロもリストラのその

人に立ち上がるように命じ、それに応じてその人は立ち上がって歩きました。起こったことを目にした群衆は、神々が人間の姿をして天か

ら下ってきたものと信じました。彼らは、バルナバはゼウス、すなわちジュピター、パウロはヘルメス、すなわちマーキュリーと信じました。

そして、ゼウスの神殿の祭司が、急いでいけにえのための牛数頭と花輪を運んできて、いけにえとしてパウロとバルナバとに捧げようとし

ました。彼らはこの神さまに対する冒涜に対して、マルコによる福音書十四章六十三節にあるようなやり方で衣を引き裂いたのです。異

邦人の聴衆に対する説教のあらましがここに書きしるされているにすぎませんが、ここでの使徒たちのやり方は、あの有名なアレオパゴ

スでの演説で、アテネの人たちに訴えたのと全く軌を一にするものです。写真10は、ゼウスの神さまです。


10.ゼウスの神

キリスト新聞社「バイブル・メイト」より転載


  この地方にあった伝説として、ローマの偉大な詩人のオヴィッドは、こんな話を伝えています。このことは、この地方に、ゼウス信仰が

存在していたということの証拠ではないかと思います。人間の姿をしましたゼウスとヘルメスが、千もの家を訪ね、休息を求めたのです

が、誰も受け入れてくれませんでした。ところが、一つの家だけが彼らを受け入れてくれたのです。その家は、みすぼらしい、沼地の藁と

葦とで葺かれたあばら家でありました。年老いた夫婦のフィレモンとバウキスは同じ歳でした。この夫婦は、その小屋で若いときに結婚し

まして、その小屋で二人ともども年老いたのです。・・・・天にいます方が人間の姿をしてこの粗末な小屋にやってきて、低い扉から入って

きたときに、夫の方は腰掛けを用意し、そこで休むようにといいました。そして、この腰掛けに、カバーをかけました。神々はそこで休むこ

とができました。老妻は、服のすそを捲り上げて、震える手でテーブルの支度をしました。・・・・・オリーブ、イチゴ、残りかすのワインに漬

けた桜桃、ラディッシュ、クリーム・チーズ、卵、ワインなど。このテーブルを囲んで、楽しそうな四人の顔が並びました。そこには、老夫婦

のせい一杯の好意が、生き生きと溢れていました。最後に、ゼウスとヘルメスは、その正体をあらわすのです。「わたしたちは神々です。

わたしたちを受け入れてくれなかった悪い人たちは、罰せられなければならないが、あなたたちは、その罰を受けません。あなたたちの

住み処を出て、向こうの高い山にわたしたちと一緒にきなさい」と言いました。老夫婦はその言い付けに従いました。振り返ってみます

と、村が全部、水びたしになっていました。そして、自分たちの家だけが立派になって残っていました。そこで、フィレモンとバウキスとは

余生を送ることができました。神々は何か願い事がないかと尋ねました。二人は、お互いがお互いの死を嘆くことのないようにと、同じ時

に死にたいと申しました。神々はその願いをかなえてやり、最後は、お互いにさよならと言って眠りについたというのです。

  リストラでは、一つの大きな成果がありました。それはユダヤ人の祖母ロイス、母ユニケ、そしてギリシア人の父親をもつテモテの一家

が信仰に入ったことです。第二回伝道旅行のときにパウロはここに立ち寄り、それ以降、テモテは生涯の同伴者として、パウロと苦楽を

ともにすることになりました。使徒たちはここでも迫害を受け、石を投げつけられデルベに向かいます。写真11は、そのリストラとテルベと

を結ぶ道です。写真12は、その道でであいました羊飼いです。


11.リストラとデルベを結ぶ道

12.その道での羊飼い