5. 折り返し点−デルベ
リストラと同じく、石灰石の断片に刻まれた碑文が発見されたことにより、その位置が確定されました。 写真1は、その碑文です。けれども、
このデルベについてはほとんど明らかになっていません。パウロとバルナバはこのデルベに行くのに、リストラからは 一日以上かかりました。
使徒言行録十四章二十一節にあるように、彼らはそこで多くの弟 子たちをあたえられました。 写真2、3,4 は、そのデルベです。
このデルベにゆくために、その土地の人にガイドさんが尋ねてくれました。上 の前歯が一本しか残っていない小父さんがにこにこしながら、あ
そこに何があるのか知らない が、ここへ訪ねてくる人たちは、皆あそこに行くから、そこがそうなんでしょうと、その場所 を教えてくれました。リ
ストラ同様、小山のテルにしかすぎませんが、将来発掘でもされまし たならば、何かでてくるものと思います。写真5は、石でできた家屋です。
写真6でわかりますように、石の上に泥の煉瓦が積まれてあります。帰り道にありましたちょっとした店でコーラを飲み ました。そこの店の主人
の写真を撮り、日本に帰ってから送りましたが、届いたのかどうか返事がないのでわかりません。 写真7は、その休憩のときのものです。左
側にいるのは、わたしたちを案内してくれたガイドさんです。 このガイドさんは、日本の女性と婚約している
とのことでした。
6. 帰還
デルベから、キリキアの峡門までは二百四十キロです。そこを通ってパウロの 故郷のタルソスにより、そこからシリアのアンティオキアに帰る
ことができたはずです。けれども、使徒たちは、その地点で折り返して、リストラ、イコニオム、ピシデヤのアンティオキ アへと引き返しました。
リストラでは、その後、パウロの忠実な友となることに運命づけられていたテモテのところに寄ったものと思われます。パウロとバルナバは、こ
れまでに宣教した ところを、再び訪ねまして、教会をつくりあげていったもののようです。故郷に立ち寄るどこ ろではなかったのかも知れませ
ん。
パウロとバルナバは、途中、 写真8 、9、10のエユルデール湖でおそらく休憩したものと想像されます。そして、シリアに向けて出発する前
に、再びペルゲに着きました。今度 は、宣教するというはっきりした目的のためにやってきました。しかし、ルカは何か特別な事 件が起こったと
いうことなどは、何も書いていません。ですから、説教の結果、改宗とか迫害 といった目だったことはなかったように思われます。使徒たちは、
舟でケストロス川を下るこ とをせずに、パンフィリア湾の岸をアタリヤに向かって平野を横断いたしました。そこから、 シリアのアンティオキアに
向かって帰ってきました。無事到着して、神さまが自分たちにして くださったすべてのことと、異邦人に信仰の門が開かれましたことを報告しま
した。このようにして、この第一回の伝道旅行におきましては、異邦人だけを直接対象にしたのではなくて、 まずユダヤ人に向けて、シナゴー
グで伝道いたしましたが、結果としまして、ユダヤ人よりも はるかに多く の異邦人が信仰に入ることになったのです。わたしたちは、パウロや
バルナバのように、海路をアンティオキアに帰ったのではなくて、アンタリア空港から、イスタンブールにまいりました。写真11、12は、アンタリ
ア空港です。