讃美歌262(十字架のもとぞ)

V 第二回伝道旅行


T 中央アジア再訪

1. 第二回伝道旅行に出発

 しばらくして春になってから、パウロは第一回の伝道旅行で訪ねたところにも う一度行くことを決心して、バルナバを誘いました。バルナバ

は、それに応じましたが、ヨハ ネ・マルコを一緒に連れて行くことを主張しました。けれども、パウロは、第一回伝道旅行の ときに、途中のペル

ゲでエルサレムに帰ってしまったことがあったことを理由として、連れて 行くべきではないと考えて、意見が分かれました。そのため、パウロと

バルナバとは、別行動 をとることになってしまいました。バルナバは、マルコを連れて、キプロスに向かいました 。それから後、バルナバの名

は使徒言行録から消えてしまいます。おそらく、マルコとともにキプロ スで宣教し、教会を建てたと想像されます。このバルナバは、十二使徒と

パウロにつぐ大変尊敬されたリーダーでありました。それは、おそらくはユダヤ教の伝統を無視しようとしたこと や、異邦人伝道に対するその

働きや、マルコに対するパウロのとった態度とは異なる思いやり などによるもの でしょう。

 パウロの方は、バルナバの代わりにシラスを選び出発しました。このシラスは どんな人であったかといいますと、シルワノとも言われています

が、エルサレム教会で重きを なしていたリーダーでありました。そこでパウロがこのシラスを選び、それにシラスが協力し たということは、エル

サレム教会が使徒パウロの権威を再確認したということになります。またパウロは、エルサレム教会と一緒になりまして、異邦人伝道にあたっ

たということを意味し ます。ペトロの手紙二では、シルワノとしてでてきますが、彼はペトロの口述により、その手紙を書 いたのですから、ペトロ

とも大変親密な関係にありました。パウロは、第一回伝道旅行 のときには、デルベまでやってきて折り返し、訪ねたところにもう一度行って励

ましています 。第二回伝道旅行の場合には、第一回で引き返し点になったデルベにまず行きました。その途 中、あのアレクサンドロス大王と

ペルシア王ダレイオス三世との天下分け目の古戦場となったイ ッソス平原を通ったことでしょう。

  わたしたちは,ここへは、イスタンブールから飛行機で、アダナにつき、そこから来ました。イスタンブールでは、写真1のホリデイ イン クラ

ウン プラザというホテルに泊まりましたが、そのレストランに写真2 のレンズ豆がありました。これは、エソウが長子の権利をヤコブに、それと

引き換えに譲った豆です。写真3は、イスタンブール空港をでるところであり、写真4は、アダナ空港に着いたところです。そこから、イッソス平

原に行きました。写真5、6は、そのあたりで水浴びをして遊んでいた子供たちです。 写真7 は 、イッソス平原です。 写真8、9、10 は、イッソ

スのローマの導水管です。ローマは、このような導水管を、住民の生活のために、いたるところに造りました。写真11は、そのイッソス平原をは

しっている鉄道の線路です。

1.ホリデイ イン クラウン プラザ

2.レンズ豆

3.アダナにむけて

4.アダナ空港

5.イッソスの子どもたち1

6.イッソスの子どもたち2


7.イッソス平原

8.イッソスのローマの導水管 1

9.イッソスのローマの導水管2

10.イッソスのローマの導水管3

11.イッソス平原をはしる鉄道