讃美歌520(しずけきかわのきしべを)

4. リディアとの邂逅

 パウロは、ユダヤ人の数が多くなくて、シナゴーグを建てることができないと きには、集まって祈るために、泉か川かの近くの場所を選ぶとい

うことを知っておりました。 ユダヤ人にとって、水は祈ることのための欠かすことのできないものでした。その理由と言い ますと、洗うということ

がどのような形態の礼拝についても、先立ってなされたからです。パウロは町の壁の外側の小川のそばの町の西門の近くで祈っている婦人の

グループを見つけまし た。彼の説教をその婦人たちは熱心に聞きました。

 その中にとりわけ熱心な婦人がいました。彼女は、エフェソの近くのティアティラか らやってきました神をあがめる異教徒の婦人でありまし

て、名をリディアと言いました。ティアティ ラといえば、今ではアクヒサールというトルコの町になっていて、カーペットの製造の中心地 としてよく

知られています。リディアが家政をとりもっていまして、彼女の夫のことにつきましては何も触れられていませんので、彼女はすでに夫に先立た

れていたのでしょう。彼女を神を 信ずる者とされていることから、ユダヤ人の植民地として存在していたティアティラでユダヤ教の信仰を受け入

れていたと思われます。パトモスの預言者ヨハネは、その七つの手紙の一つをティアティラの教会に送りました。この手紙により、この町には

宗教的な混淆主義が盛んであったこ とを知らされています。リディアは紫布の商人でありました。紫布のいえば、王族か金持ちしか 、買うこと

ができない高価なものでした。ということは、それを商いとしていたリディア自身も 、裕福であったことを意味します。一八七二年に、フィリピで

白い大理石の断片に刻まれました 「この町は、紫布の染色業者の中から、すぐれた市民のアンティオコスに、慈善家としての栄 誉を与えま

す。アンテイオコスは、リカスの息子であり、テアテラの生まれである」という碑 文が発見されました。この碑文から判断して、ティアティラの紫

布の染色業者が、フィリピで組合を つくって活動していまして、その職業は高い地位にあったとことを示しているものと思われま す。

  リディアはパウロの説くメッセージを聞き、イエスがキリストであることを確信 しました。彼女の決断は早かったのです。彼女は洗礼を受ける

ことをパウロに求めました。そ して、彼女とその家族とは受洗しました。洗礼の場所は、ガギタス川の土手であったと思われ ます。そこは、ア

ントニウスとオクタウィアヌスの軍隊と、ブルータスとカシアスの軍隊との 間で、決戦が行なわれまして、戦った兵士たちの血によって汚された

ところです。リディアとその家族の罪を流しました水晶のような清流が、煙草畑を通り、今も流れています。旅の途次、 夕暮れ時に、ここに立ち

寄りました。わたしたちのグループのうちの未受洗の一人が、同行の牧師により、リディアとその家族の罪を流しましたその清流で、受洗しま

した。

 ルカは、ルデヤのことを語り、主が彼女の心を開き、彼女はパウロのメッセー ジを理解したと言っています。そこで、彼女はパウロとその弟子

たちをもてなそうとして、彼 らに、わたしが主を信ずるものであるとお思いでしたならば、どうぞわたしの家にきて、お泊 りくださいと申し出まし

た。パウロたちは、それを断る理由がありませんでしたので、喜んで その申し出を受け入れました。彼女は、自分の大きな家が、フィリピでの

最初のキリスト教徒の 会合に適している唯一のものであるということを知っていました。このような親切なもてなし は、ヘブライ人への手紙

三章二節に旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで 、ある人たちは気づかずに天使たちをもてなしましたとあるように、使徒

のメッセージの重要な部分を占めていたのです。

 また、わたしたちはここに、キリスト教徒たちの家族ぐるみの宗教の始まりを 見ることができます。このことは、パウロの手紙の中で、繰り返

して述べられていることです 。例をあげますと、コリントの信徒への手紙一 一章十六節や十六章十五節にでてきますステファナの家や、ロー

マの信徒への手紙十六章五節にでてきますアキラとプリスキラの家 の教会などです。

地方の言い伝えによりますと、リディアの家は、彼女の名前をとった村の中にありました。それは、フィリピの廃虚の近くにあります。 写真139

のようなリディアの洗礼をうけたことを記念する教会堂も、そこに建てられています。 

 後に、パウロが必要としたときに、ルデヤは彼を助けようとしました一人であ りました。パウロが、コリントであれ、ローマの獄中であれ、どこ

におりましても、彼にとっ てフィリピでの仲間のキリスト教徒は、最愛の人たちでありました。実際に、フィリピの人たちは 、決して彼を裏切るよ

うなことはなく、いつも彼に喜びと愛情を与えていました。ですから、 パウロは、喜びの手紙と言われていますフィリピの信徒たちへの手紙を書

くことができたのです 。

1. リディア洗礼の川岸1

2.リディア洗礼の川岸2

3.リディア洗礼の川岸3

4. リディアの教会1

5.リディアの教会2

6.リディアの教会3

7.みんなで

8.教会周辺

 写真1、2、3は、リディア洗礼の川岸です。写真4、5、6は、リディアの教会です。写真7は、その前でみんなで撮ったものです。写真8は、

その教会の周辺です。

5. 女占師の事件

  しばらくの間、そのフィリピの若い集りは平穏でした。安息日ごとに、その小さ な集りは町の門をでまして、川岸にでかけました。そこで礼拝

をしました。ある日のこと、そ の祈りの場所に行く途中で、占いの霊に取りつかれている女性の奴隷の占師に出会いました。 ギリシア人は、

アポロという神さまは、占いの霊の神さまと考えていました。その占いの結果 をつげる力は、このアポロにより与えられることになっていまし

た。この女占師は、この占い の霊にとりつかれていました。けれども、このような女占師は、最も低い職業とされていたの です。この一人の女

占師は、パウロの説教を聞き、パウロとその弟子たちにしたがって行った のです。彼女の心にひそみます悪鬼の力により、パウロたちの本質

を見抜き、この人たちは、 いと高いところにいらっしゃる神さまの僕でして、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです と大声で叫ぶのです。

パウロは、困ってしまいました。と言いますのは、彼は女占師の異教による魔術を相手にしたくなかったからです。キリスト教の信仰は、それと

は全く別のものであ ったからです。彼はその貧しい女性に同情はしましたが、ほっておけなくなってしまいました。そこで、その女占師に取りつ

いている悪鬼に、彼女から出ていくように命じました。悪鬼は 彼女からでていき、その占いで預言する能力を失ってしまったのです。彼女は自

分を悩まして いた悪鬼から解放され、幸福な思いに浸ることができるようになりました。ところが、彼女か ら搾取していた彼女の主人たちは、

彼女から稼ぐあてがなくなってしまったのです。なんとか しなければならないと思い、主人たちはパウロたちが町の平和を乱し、新しい宗教を

取り入れ たという廉で問題にすることになりました。第一の非難は間違っていました。といいますのは 、キリスト教徒は町の平和を脅かすよう

なことをしたのではなかったからです。けれども、も う一つの嫌疑に関しましては、かなりの重みがありました。ローマの法律は、外国の宗

教を取 り入れることを禁じていたからです。ローマ人は、その法律を尊重しました。パウロたちのや っていることは、ローマの町に別の宗教を

持ち込むことになるのではないのか。これは、法律 に反することになるのではないか。そこで、彼らはパウロとシラスとを逮捕して、広場に引き

連れてきました。このようにして、フィリピにおいて騒動を引き起こしましたのは、たとえば、 ピシディアのアンティオキア、リストラ、その後では、

テサロニケやコリントでは、ルカによる と、いずれもユダヤ人とされていますが、ここではユダヤ人ではなく、ローマ人でありました 。このこと

は、パウロが殉教したであろうローマでも、同様でありまして、ローマの支配者ネ ロの迫害によるものでした。