讃美歌58(かみよみまえに)

6. 広場で

  フィリピは、その町の裁判官を兼ねています二人の高官により治められていまし た。広場は、つねに町の生活の中心でありました。そこで

人々は、買物をしたり、友達と会っ たり、政治の問題を議論したりしました。店舗、工場、柱廊玄関、浴場、神殿などが、ひしめ きあっていまし

た。そして、少し高いところに、集会所の演壇であるベーマがあり、そのベーマから、演説がなされたり、その日のニュースが伝えられたりしま

した。ベーマは高かったの で、話す人をよく見ることができましたし、話もよく聞こえました。パウロとシラスは、ベー マの高官の前に引きずり出

されました。非難するものたちは、「この者たちはユダヤ人で、わ たしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが

受け入れることも 、実行することも許されない風習を宣伝しております」と詰ったのです。けれども、その場所 は、あまりにも人で混雑しており

まして、喧騒を極めていました。そのために、高官たちは、 何も耳にすることができませんでした。結局のところ、彼らは、その二人はユダヤ人

であり、 町で騒ぎを引き起こそうとしているということと、ローマの法律を尊重する気持ちのないとい うことだけが分かったようでありました。そ

ういうわけで、高官たちはよく調べもせずに、す ぐに、役人に鞭でうつように命令じました。これは、ごく普通の処罰の仕方でありました。彼らは

鞭でうたれ、衣服を剥ぎ取られ、牢に投げ込まれました。その身柄は看守にまかせらり、重い罪人のための奥の牢に入れられ、足枷をはめら

れたのです。 

 パウロとシラスは、自分たちがローマの市民であるということを示すことによ り、自らを弁明することができたはずでありました。しかし、彼らは

そうはしませんでした。 どうしてなのでしょうか。これは初めての投獄でありました。ある注釈者によりますと、パウ ロはキリストと同じような苦

しみを受けようとしたために、多くの不愉快な異常なことを経験 しなくてもすんだであろうのに、あえて、市民権のことを口にしなかったのである

と申してい ます。ところで、この市民権を証明するのはどのようなものだったのでしょうか。それは、小 さな木製の二つ折りの板であって、その

中に証明書が入っておりました。写真1、2は、フィリピの遺跡であり、写真3、4,5は、フィリピの広場です。

1.フィリピの遺跡1

2.フィリピの遺跡2

3.フィリピの広場1

4.フィリピの広場2

5.フィリピの広場3

7. 獄中のパウロ

 牢獄は非常に小さく、かつては水溜めでありましたが、後に牢獄に変えられた ものです。その奥の部分は、部屋は岩をくりぬいたものであ

り、とくに、最も危険な犯罪人の ために使用されました。どんな囚人も逃げないようにするために、足には足枷がはめられ、そ れから、その手

と首とは、壁に対して鎖でつながれました。体が直立した姿勢でなければなりませんでしたので、座るということは苦痛でありました。もしも、

囚人が傷を負っていますな らば、余計にひどい状況になったと思われます。パウロとシラスとは、奥の牢獄に入れられま した。彼らの鞭による

傷は焼けるように痛みました。彼らは看守の足音を聞きました。一晩に 、三回見張りがなされることになっていました。パウロとシラスは、その

ローマの習慣を知っ ていましたので、その回数を計算することで、今が何時ごろか分かったのです。真夜中のころ 、他の囚人たちの罵り声に

まじりまして、一つの歌が牢獄を満たしました。それは、初めは悲 しそうでしたが、次第に生き生きと、喜びに溢れるものとなりました。夜のし

じまを破って聞 こえてきましたのは、神さまへの賛美でした。その賛美といいますのは詩編百二編二節から三節までと、二十節から二十一節

までの個所でした。それはつぎのように歌われました。

主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。 苦難がわたしを襲う日に、御顔を隠すことなく、……・主はその聖

所、高い天から見渡し、 大空から地上に目を注ぎ、捕らわれ人の呻きに耳を傾け、死に定められている人々を、解き放 ってくださいました

と。

  また詩編七十九編十一節も歌われました。

 「捕らわれ人の嘆きが御前に届きますように。御腕の力にふさわしく、死に定められている人々を、生き長らえさせてくださ い」と。

 皆は静かになり、耳を傾けました。歌っていましたのはパウロとシラスでした 。他の囚人たちは驚きました。こんな苦しみのどん底で、神さま

を賛美するということは、一 体どういうことなのか。新しく牢に入ってきたパウロとシラスの信じている神さまは、このよ うな苦しみと災いを賛美

に変えてしまった。この神さまとはどんな神さまなのだろう。明らか に、パウロとシラスは、その牢獄を礼拝堂に変えてしまったのです。

 もっと大変なことが起こりました。突然、恐ろしい騒音が牢獄に溢れたのです 。壁と鎖とは崩れ、柵と、ドアが恐ろしい音をたてて壊れる音の

ほかは、何も聞こえなくなっ てしまったのです。地震があって、牢獄を揺るがしました。ドアは床に落ち、囚人たちは自由 になりました。鎖は壊

れてしまい、彼らを繋ぎとめるものは何もなくなってしまいました。で すから、逃げようとすればできたのです。けれども、彼らのうちだれも逃げ

ませんでした。

 心配した看守は、牢獄に飛び込んできました。すると、ドアが床の上に落ちてお りました。看守は、絶望の声をあげ、剣をとりまして自殺しよ

うとしたのです。彼にとっては すべてのことが終ってしまったのです。囚人たちは逃亡してしまった。囚人を監視するという 看守としての義務を

怠った罰として、当時の法律によりますと、公衆の面前で、絞殺の刑にな ると思いました。そんな目にあうぐらいならば、すぐにそんな苦しみか

ら解放される方がよか った。ところが、そのとき、自害してはいけません。わたしたちは皆ここにおりますという声 が聞こえてきました。自害し

ようとしていた看守の剣が下されました。この声、この希望の声 はいったいどこから聞こえてくるのか。そこで、看守は、その前日、じっと鞭打

ちの刑に耐えていた広場で見たパウロとシラスとのことを思いだしたのです。今となりましては、彼は何の 疑いをもつことなく、彼らが話してい

た神さま、その神さまが今晩、地震を起こしたのだとい うことを。その苦しみの中で、彼らは神さまに賛美をささげていました。この神さまは、素

晴 らしい神さまだ。自分もその神さまにしたがうものとなりたい。そこで、彼の心に平安が戻ってきました。パウロは、看守が今何を考えている

かを見抜いておりました。そこで、パウロと シラスは、主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われますと申しました。彼は信じま

した。パウロは看守とその家族すべてに洗礼を授けました。看守に は新しい信仰の力が宿りました。看守は、エルサレムからエリコに行く途

中で行ないました善 きサマリヤ人のように、パウロとシラスを自分の家に連れて行きまして、その傷を洗ってやり ました。そして、家にありまし

た食べ物の一番良いものを用意いたして、もてなしたのです。

 これは、看守とその家族とが洗礼を受けてから後に、どのようにして、フィリピ での最初の晩餐が祝われたのかということについての状況で

す。その晩餐は、今日に至るまで ずっと続きます伝統となって成立しました。それは救われた者の喜びと、キリストの愛による 晩餐でありまし

た。この晩餐により、キリスト教徒の強靭な連帯がつくりだされ、迫害を受けたときの支えになったのです。

 さて、地震は囚人と看守の目を覚まさせただけでなく、高官の目も覚まさせま した。彼らは、前の日に、告発することをあまりよく考えもせず

に、パウロとシラスの二人を 牢獄に抛り込んだことを思い出しました。高官たちは、ローマの法律に違反しておったのです 。そこで、自分に責

任がかかるのを恐れました。そして、その間違ったことをしたことを後悔したのです。それで、できるだけ早くパウロとシラスとを釈放しなければ

なりませんでした。 日の出と共に、彼らは一人の下役を牢獄に送りまして、看守にその命令を伝えました。ところ が、驚いたことには、告発さ

れたパウロとシラスは、出て行くことを拒否したのです。彼らは ローマの市民であり、軽はずみな高官たちが無視しましたローマの法律のこと

をよく知ってい たのです。法律によると、まず裁判にかけ、それから有罪という判決がおりるのでなければ、 決して鞭で打って投獄するというよ

うなことを認めてはいなかったのです。高官たちは、困りました。パウロとシラスは、高官自らが牢獄にやってきて、詫びて、彼らを釈放すること

を主 張しました。彼らは自分たちが間違ったことをしたことを認め、その主張に従いました。彼ら はやってきて、パウロとシラスを釈放したので

す。そして、彼らにフィリピの町をでてくれるよ うに頼みました。二人とも、その町を出ることにしました。どうして、このような高官に対す る態度

をとったのでしょうか。何か悪いことでもしたように、こそこそとフィリピを出ることを 潔しとしなかったのです。彼らは主の栄光のために生きるキリ

ストの弟子でした。そのことを そこの教会の人たちにも、また街の人にも理解させようとしたのでした。 

 このようにして、二人とも、その町を出ることにしましたが、フィリピを去るに あたりまして、ともにキリストにある兄弟とリディアのことは、もちろ

ん忘れはしませんでした 。出発にあたり、彼らはリディアと兄弟に会い、励まし、その将来を主の導きに委ねたのです。

 さて、パウロとシラスはフィリピを去りましたが、ルカとテモテは後に残りまし た。その後、テモテは、まもなくパウロの後を追いました。ルカの

方は、パウロがエルサレム に行く途中にフィリピに来ましたときに一緒になり、パウロに同伴しました。それから、難破の旅を共にいたしまして

ローマにまでもついて行きました。