讃美歌2篇161(輝く日を仰ぐとき)

8.広場とバシリカB

 フィリピの遺跡のうちで重要なものの一つに、フォーラム、すなわち広場があり ます。長さが九十メートル、幅が四十五メートルありまして、大

理石が敷かれています。 図10 を見ますと分かりますように、広場の北側を走っている写真1 のエグナティア街道から、まず広場に入ります。

北の真ん中の近くにベーマがあります。それは、広場の最も重要な部分 です。総督、裁判官、演説をする人の演壇があります。高くなってい

ますので、その上に立ち まして、皆に見られながら話を聞かせました。面白いことに、このベーマの前のやや離れた後 ろのところに、広場の

大理石に、写真2 で見ることのできますゲーム盤が刻まれています。お前の話はつまらないから、俺たちはゲームでもしようかということであっ

たらしいのです 。パウロとシラスが審理をうけましたのは、このベーマの前においてでした。高官は、ここで 二人の衣服をはぎとり、牢獄に投

げ込みました。

  この広場の北西と北東の端に、それぞれ神殿があります。そして、広場の東端 に図書館、西端に政府のいろいろな建物があります。南側

には柱廊があり、その背後に店が並んでいます。人々は、そこにおいて生活に必要なものをすべて買うことができたのです。バシ リカBの教会

は、町の上の部分にあるバシリカAの教会と同じく、六世紀に建てられました。 バシリカAの数年後に建てられたのですが、火災により、破壊

されてからは、そのバシリカBは、完成されることはありませんでした。といいますのは、それを設計しました建築家は丸天井でその建物を覆う

ことを考えたからです。非常に大きな建物でありました教会は、丸天井を 支えるのには、その建物が大きすぎました。ですから、教会が完成し

まして、それを神さまに捧げるということが行なわれませんでした。どうしてそんなことが分かるかと申しますと、そ の祭壇には、神聖な聖遺物

が全く無かったからです。当時のキリスト教徒の慣習によりますと、建物が教会と呼ばれますためには、聖遺物は欠かすことができませんでし

た。このような聖 遺物は、バシリカAでは、発見されています。ですから、バシリカBの教会は、完成されなか ったというのです。このバシリカB

では、その柱の頭は、アカンサスの葉の図案で飾られてお り、それは皇帝ユスティアヌスの時代をあらわします。といいますのは、この図案

は、皇帝ユ スティアヌスの時代に初めて使われたからです。さらに、これらの柱の頭は、魚の図案があり ます。魚は、最初からキリスト教徒の

シンボルでした。魚のギリシア語であるΙΧΘΥΣは、 イエス・キリストを表すために使われました。それらの文字の一つ一つは、イエス、キリ

スト 、神、子、救い主を意味しています。キリスト教徒は、当時、つねに彼らにとって意味のある シンボルで教会を飾ったのです。教会からあま

り離れていないところに、公衆便所があり、そ のすぐそばは体育館です。それからさらに南にまいりますと、沼地の近くにローマ浴場があり ま

す。バシリカBを後にしまして、町の上の部分に行く道とエグナティア街道と交わるところ の手前の広場への入り口の近くの右、左に、そのエ

グナティア街道の一部分がよく保存されま して、残っています。このローマからコンスタンティノープルに通じますエグナティア街道は 、 図10

に示されていますように、広場の北側を並行して走っていて、西から東へと街を横切っ ています。その大理石の舗道には、戦車のわだち轍の

跡をはっきりと目にすることができます 。写真3、4は、フィリピの街を展望したものです。

1.エグナティア街道

2.ベーマ前のゲーム盤

3.フィリピの街1

4.フィリピの街2